日常生活の中で内に向かって探して、心性を高める
文/広東省の大法弟子
(明慧日本)善を修めることにおいて、自分にはたくさんの至らない部分があると思います。例えば運転する時、私の車が追い越されたり、運転が邪魔されたりした時、私はいつも心の中で文句を言います。セールスマンが家を訪ねて来たとき、または電話をかけてきた時、私はよくきつい言い方をします。スーパーで買い物する時、嘘を言う店員に対する態度も全然優しくありません。
「善」の文字を書く時、ずっと横棒を一つ書き忘れていることに、私はつい最近気づきました。そこで私は、「これから善を修める面を重視しなければならず、善を持たなければ衆生を救えないだけでなく、かえって衆生を大法の対立側に押してしまうことになる」と突然目が覚めました。
人とのお付き合いがある時、もし発正念の時間と重なってしまう場合、私は車の中で発正念をしてから行くようにしています。時には遅刻することもありますが、本当の理由を常人の友だちに説明しにくいので、私は出発の前に「今、ちょうど道は混んでいます」と嘘をついたりします。結局、「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり『転法輪』)」というように、その日は本当に渋滞に遭ってしまいます。私たち大法弟子はみな功能を持っていると思います。ふだん、できるだけ念を働かせないほうがよく、特に悪い念を働いてはいけません。口を修めることも大切だと私は悟っています。
私は金儲けをしようとする心はそれほど強くないのですが、買い物する時にセール商品を狙うのが好きで、いつも最少のお金で最良の品物を買おうとして、常に店にお金を多く取られていないかと気にかけています。日用品、服、家電から家を買うまで、今までどれほど貴重な時間を買い物の計算に費やしてしまったか、計り知れないです。結局、心配していることこそ、実際に起こるものです。家を買うことを例にすれば、私の心配のとおり、買ってから不動産の相場が下落してしまい、後悔のためにたくさんの貴重な時間を費やしてしまいました。また、家を買うことをめぐって、常人と細かく計算して争う中で、闘争心、疑心がたくさん浮かんできて、常人の良くない念をも引き起こしました。
ここまで書いて、師父がおっしゃった「相は心から生じる(『大紀元会議での説法』)」、「失わないものは得られず(『転法輪』)」、「実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです(『二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』)」などの法理について、あらためて理解を深めました。だから普段、大法弟子はできるだけ常人との間に悪縁を結ばないように注意しましょう。
家を買うことと逆に、私が車を買った時、私は店側がきっと高い値段で売りつけてくるとは疑いませんでした。私は一番安い車を買いたかったのですが、店側は安い車が売り切れたといって、少し高めの車を薦めてきました。私はその時、とても快く受け止めました。結局、その車は本当に品質が良くて、その値段相応の性能を持っています。
変異した共産党文化に毒害されて、現在の中国人はみな、ずる賢くなっています。例えば買い物をする時、店員が薦めてきた商品には、きっと何か問題があるという観念が私の頭の中で形成されており、しかもこのような観念を息子(同修)に伝えてしまい、息子もいつの間にか同じ観念を形成して、ずる賢くなってしまいました。これから、師父の要求に従って相手の長所だけを見て、相手の考え方を探るなどのことをしないようにしたいと思います。
他人の評価にとても動じやすいのも私の一つ大きな執着心です。私は他人の評価がとても気になって、名に執着して、ほめ言葉だけを聞きたいのです。その原因を追及すると、やはり情です、私は情に執着しているからです。「人間は情のために生きているからです。肉親同士の情、男女の情、親の情、感情、友情など、何をするにしても情が重んじられ、情を切り離しては何ごともできません。やる気があるかどうか、気分が良いかどうか、愛しているのかそれとも憎んでいるのか、とにかく人類社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」(『転法輪』)と師父は説いておられました。私は情から離れて、いかなるものに動揺されないように頑張りたいと思います。
かつて私は修煉のため共産党に迫害されたことがあり、それ以来、迫害を恐れる心がずっと取り除けていません。先日、香港に行くためのビザ申請が不許可になったことは、私の恐れる心をいっそう強めました。飛行機、銀行、旅館に関連する手続きには身分証を提示する必要があるので、私はなるべく外出をしないようにしています。飛行機に乗る前の安全検査で、私はよく体が震えるほど怖がって、長期間をかけてやっと心を落ち着けることができるため、とても疲れます。台湾、香港に行くためには公安部門に行ってビザ申請をしなければならないため、私はなるべく行かないようにしています。私は法輪大法を修煉しているので、正々堂々とするべきですが、いつも自分を迫害される立場に置いているため、恐れる心を強化させてしまいます、「三つのこと」にも支障をもたらしています。ここまで書き出して、あの恐れる心を絶対取り除きたいと決心しました。あれはもともと本当の私ではないからです。
主人と息子も修煉者ですが、私が情を放下していないため、2人の欠点にとても執着しています。例えば息子はバスケットボールの煉習に使う時間が多すぎるとか、主人と息子の寝る時間が長すぎるとかです。しかし実際には、私はテレビを見ないし寝る時間も短いですが、買い物で店の人と計算して争ったり、他人の評価に左右されて、恐れる心が引き起こした疑心、頭の中で煩雑なことを常に考えるなど、費やした時間は主人と息子よりも多いのです。
主人と息子の発正念の姿勢が良くないと私はずっと思うため、発正念の時、私はよく目を開けて彼らの姿勢を見ようとします。この、私の歪んだ念は彼らのマイナスな一面を増強させてしまい、二人の姿勢はさらに悪くなっています。彼らの不足を見た時、私は慈悲を持って注意したり、内に向かって自分の不足を探したりをせずに、逆に彼らをよく非難します。
また、主人の仕事が忙しい時、私は正念を強めて、主人と息子に学法と煉功を怠らないように引っ張るべきですが、主人が帰宅したら、私はよく興味津々に雑談をもちかけて、主人の貴重な時間を浪費しています。この交流文を書くにつれて、私の心性が高くなったため、家族3人はまた集団学法と集団煉功を再開しました。
あれら良くないものは、もともと私自身のものではなく、観念であり、業力と外来の妨害です。それをはっきり見分けて抑制し、最終的に消滅させます。幸いにも、私はどんな時でも法をしっかり学んで、発正念も重視しています。特に毎日の4回の発正念を怠ったことはほとんどなく、衆生を救い済度する仕事も出来る限りやっています。そのため、慈悲なる師父は我が家を見守ってくださっており、主人の仕事は順調で、息子の成績も良いのです。
以上を書き出して、同修たちと分かち合い、ともに精進をしたいと願っています。
2011年07月12日
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