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生命の美しさは法輪大法からいただいたもの(二)

衆生を救い済度することは私たちの使命

 2007年、私は自宅で資料拠点を設立し、母と息子、私の3人で真相資料を作成することに専念しました。資料を作成する過程も修煉の一部であり、私は自分の歓喜心や、高慢な心、仕事自体に執着する心を次第に取り除くことができました。問題が発生した場合、法に照らし合わせて判断し、機械などに問題が発生した場合は、往々にして自分の修煉状態と関係があることが分かりました。

 真相資料を作成する以外にも、私は携帯電話のメールで真相を伝え、人を救い済度しました。昨年の年頭に、地方の同修から携帯メールや、留守番電話で真相を伝える方法を教えてもらいました。地元の同修は共に協力してこのプロジェクトに臨みました。携帯電話を使ったことのない50歳以上の同修も、携帯電話の基本操作から学びました。ある同修はメールの内容を編集し、ある同修は電話番号を収集しました。しばらくすると、このプロジェクトはますます成熟しました。

 私は主にメールの内容を編集しました。内容のほとんどは正見ネット上の、大法弟子の詩などを引用しました。内容もよく、芸術性も低くなく、何よりも大法弟子の文章ですから善良で厳かさがありました。中共(中国共産党)当局の、メールの内容に対する監視に引っ掛からないようにするため、文字の順番を逆にしたり、縦にしたりしました。

 自分の行いに満足しているとき、同修からいくつかの提案をもらいました。メールの内容を編集してから、横に読むべきか縦に読むべきかなどのコメントを入れてほしい。知識が高くない人でも理解してもらえるような分かりやすい文章に編集してほしい。編集した内容が相手にちゃんと届いたかなどのテストをしてから文章を教えてほしい等々でした。この意見を耳にした私は「毎日資料を作り、メールの内容を編集してこんなに忙しいのに・・」と、少し機嫌を悪くしました。しかし、「法に対して責任を取らなければならない」と考え直し、中共の監視に引っ掛からない文章かどうかを確認し、テストをしてから教えるべきだと思いました。しかし、他の意見に対しては、いいとも悪いとも明言せず、そのままにしました。

 後で、もう1人の同修からも同じことを指摘され、私は、内に向けて探してみました。私は、協力もせず、機嫌を悪くしており、これは「他人に言われたくない心ではないか?」と、気が付きました。ある日、私は正見ネット上の文章「善悪には報いがあり、ただ遅いか早いかだけの問題です。天は必ず中共を滅するので、早く『三退』した方がいい」と4人のあて先に送りました。すると、1通の返信メールがあり、「自分は悪いことをしていない」と非常に怒って、私のことを罵りました。私はメールの内容をもう一回確認したところ、語感に問題があり、誤解されたのでした。私は「誤解させてしまって申し訳ありません、中共は悪いことを多くやっているから、早く脱退されたほうがいいという意味です」と返信しました。私はメールの内容を「中共は悪事を憚らずやっていて、善悪には報いがあります」と、付け加えました。

 最近、師父の経文『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』を学びました。「皆さんは理性を持って行ない、表面だけにとどまらず、人を救いたければ、もっと力を入れて、表面だけのものにならないでくださいと私は言ったのです」とおっしゃっています。 私はこの法理に対して更に認識を深めました。私は確かにメールの内容、語感、相手の受け入れ能力などに気を使うべきでした。

 現在、真相を理解する衆生がますます多くなりました。以前は音声録音を残しても、最初の部分を聞いてすぐに切っていましたが、今は最後まで聞いてくれる人が多くなりました。「ありがとう」「すばらしい」などと返信してくれる人も多くいます。1人の同修が逮捕された消息が明慧ネットに掲載されたとき、その派出所宛に、1日に100通あまりの電話やメールが国内国外から届き、警官を驚かせました。そのため、その同修はすぐに家に戻ることができました。このことは、大法弟子が互いに協力し合えば衆生を救い済度することができ、法を実証することに大きな作用を果たし、巨大な威力を起こすことができることを実証しました。

 私は修煉する中で、まだ多くの不足があります。仕事を口実に煉功をしなかったり、同修(家族)に対しても優しくありません。多くの人心や、安逸心、闘争心、名利心、顕示心、嫉妬心などが存在しており、私はそれらを暴露して、徹底的に取り除き、きれいな心になって師父と一緒に、自分の帰るべき家に戻ります。

 幸運にも法輪大法を修煉して、師父の弟子になれたことは、私の一番の幸せであり、誇りに思います。師父の洪大な慈悲に私は常に感動し涙を流しています。この世ではまだ多くの衆生が、中共に毒害されて真相を知りません。本当に一歩一歩危ない境地に近づいています。大法弟子は一つの全体であり、私たちは異なる場所、異なる方式で、師が法を正されることを手伝い、衆生を救い済度しています。これは、私たちの誓約であり、私たちの神聖な使命です。最後の時期に、私たちは更によく行い、衆生を救い済度し、「正法時期の大法弟子」の名に恥じない、師父に満足していただける大法弟子になりましょう。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/7/26/244486.html)
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