日本明慧
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留置場での物語 留置場の囚人リーダーが福に報われる 私は山東省濰坊市地域に住む、58歳の法輪功修煉者です。私は2002年3月13日、法輪功に関する真相資料を貼り付けていました。翌日、当市の610弁公室の役人らに強制連行され、留置場に入れられました。 留置場には女性を収容する部屋が二室あり、私はどちらの部屋にも入れられたことがありました。私は毎日、看守や収容された囚人らに、法輪功の真実を伝え、大法を広め、煉功したり、法を暗唱をしていました。囚人たちは私と一緒に、昼間は動功を練習して、夜に静功をした後、『洪吟』を暗記しました。そのため、囚人たちは温和になりました。留置場所長をはじめ看守らは、私たちの毎日の煉功や学法に対して、何も言わなくなりました。この暗黙の了解は、もちろん彼らの法輪功に対する理解に関係しています。おそらく以前、不当に収容された法輪功修煉者が彼らに真相を伝え続け、私も根気よく真相を伝え続けたことによるものでしょう。 私の言行を見ていた囚人たちは、大法は正法であり、素晴らしいと認めるようになりました。囚人のリーダーの1人は、私の面倒をよく見てくれました。そのリーダーは、「法輪功を修煉する人たちは、みな善い人であり、犯罪もしていないので、トイレの掃除などする必要はありません。私は出所したら法輪功を修煉して、善い人になります」と話し、トイレの掃除を免除してくれました。彼女の修煉したいという一念を師父は見られて、彼女の面倒を見てくださり、奇跡が起きたのです。彼女は過剰防衛による殺人罪で、すでに8年の判決を言い渡されていました。しかし判決は、不思議なことに5年減刑され、しかも3年の刑が労働教養になり、地元で行うことになりました。彼女は、「私の減刑は、法輪功の師父が私の面倒を見てくださった結果です。師父に感謝いたします」と、感激した様子で話しました。 私は38日間不当に留置された後、労働教養所に強制送還され、1年間迫害を受けました。その後、その女性リーダーの連絡先を看守に奪われたので、連絡が取れませんでした。彼女はおそらく、ほかの法輪功修煉者に出会えたことでしょう。 鶏西留置場での物語 黒竜江省鶏西市に住む26歳の二宝さんは、人と喧嘩したため、鶏西留置場に収容されました。彼は囚人をまとめるリーダーに選ばれました。彼は喧嘩の相手に重傷を負わせて、5年の実刑判決を言い渡されました。彼は判決を不服として、上訴している最中に法輪功修煉者と出会いました。彼は自ら法輪功修煉者に頼んで、法輪功の真実を囚人たちに伝えさせ、三退して、出所したら法輪功の修煉を始めると言いました。その後、彼は率先して法輪功修煉者を尊敬し、迫害されないように面倒を見ました。彼の協力を得て、ほとんどの人が三退を声明しました。生じた一念は、天がよく知っています。二宝さんは善を行い、自分の罪を償い、上訴した結果、保護観察になり釈放されました。 鶏西市に住む40歳の呉富さんは、鋳物工場を経営していましたが、電気を盗用したため、鶏西市留置場に収容されました。彼は実刑3年の判決を言い渡されましたが、不服として上訴していました。彼は、法輪功修煉者が伝える法輪功の真相を聞こうとせず、警官に協力して法輪功修煉者に対して、殴る蹴るの暴行を働いていました。彼は、悪の報いに遭い、上訴した結果、減刑でなく3年半の実刑を言い渡されました。 善悪に報いがあるのは、本当です。彼ら2人への善の報いは、さらに続くことでしょう。実のところ、法輪功修煉者に対して行ったことは、いずれ我が身に返ってくるのです。
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- 青年大法弟子の11年間の歩み(一)
- 黒竜江省ハルビン市:法輪功修煉者が囚人に裸にされ殴打される
- 服役中に法輪功を学び始めた囚人、警察の迫害を受ける
- 荷車9台分のスイカの話
- 法輪大法は素晴らしいと信じて、親戚が福を得た
- 修めて得た「福」
- 廃品を拾って生活していた婦人が真相を知り、福に恵まれる