日本明慧
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人心に対する執着を放下し、師父の按排された修煉の道を歩む(三)

文/中国河北省の大法弟子

三、 法理をはっきり認識して、息子に対する情を放下する

  2008年12月のある日、我が家に最悪な事態が起きました。34歳の長男がガンと診断されました。それも死亡率が一番高いガンでした。家族全員が苦しみに 陥りました。私は修煉者です。法輪大法の法理から、私は人の生、老、病、死に対してどう認識すべきかを知っています。しかし、たとえ法理が分かっているとしても、プレッシャーに直面して、自分の感情をコントロールするのは容易いことではありません。いったん息子に会い、彼の苦しい様子を目にすると、涙が泉のように湧き出てきて、自己制御が難しく、ひいては息子のことを考えると涙がぼろぼろと流れ、言い尽くせぬ痛みがずっと私の心にまとわりつき、本当に心から血が流れているようで、言葉にできない苦しみを感じました。

  もし常人であれば、特に母親として、この感情の現れは責めるべきことでもなく、理解できることです。しかし、私は修煉者であり、それも法を正す時期の大法弟子です。毎日、大法を実証する仕事をしっかり行わなければならないのに、このように情に左右され、邪魔されてよいのでしょうか? それはほかでもなく、絶えず邪魔され、自己を台無しにすることではないでしょうか? これは絶対に許されません。どうしたらよいでしょうか。素早く情から抜け出すべきです。

  私は法を多く学び、繰り返して学法し、暗記することを通して、情というこの物質がますます薄くなり、ますます薄くなり、同時に師父が私を加持してくださっていることを強く感じました。師父は、これらのものを私から取り去ってくださり、同時に慈悲のエネルギーを注いで、私の思想を昇華させてくださいました。修煉者として、情を放下すべきだと悟った後、生じた純粋な善の念、慈悲心がこのことをうまく処理し、難から正しい道を歩むようにさせました。私は、一方で息子の面倒をしっかり見ると共に、経済的に息子を助け、毎日の午前、私は夫と息子においしいおかずを作って、お昼に持って行きました。これを1年以上、息子が亡くなるまで続けました。もう一方で、私は法を正す時期の大法弟子として、修煉の道で止まることなく、毎日三つのことを以前通りに行い、息子が危篤になって、この世を去る2日前までCDを焼き、真相資料を配り、黙々と自分がやるべきことを行いました。

 息子が亡くなったとき、私は平静な心で彼を見送りました。私は彼が行くべきところに行ったと知っています。

四、 魔難から抜け出すことにより悟ったこと

  私が遭遇した魔難により、私は心身ともに苦しみを体験しました。実際は、もしそれが一種の苦しみだと考えるとき、あなたは人間の中にいます。なぜなら、あなたは人間の理でそれを測っていて、人心をもって、それを感じ取っているからです。人心が重ければ重いほど、感じる苦しみは大きくなりますが、神には絶対このような苦しみがありません。師父は『最後になればなるほど、精進すべき』という経文の中で、私たちに次のように教えてくださいました。「実は、人 類社会の理は宇宙の中で逆になっています。人間が難に遭い、苦しみを味わうのは業を返し、幸せな未来を得られるようにするためです。修煉者の場合、正しい 理にしたがって修煉すべきです。苦を嘗め難に遭うことは業力を取り除き、罪を除去し、人体を浄化し、思想境地と次元を高める絶好の機会であり、大変良いこ とです。これは正しい法理です」 私たちが人間から抜け出し、人心を放下し、本当に自分を修煉者とみなし、正しい理を持って修煉するとき、その魔難はほかの姿になります。それは小さく、ちっぽけになり、ただ修煉者の向上と昇華のために使われるもので、あなたを成熟に向かわせ、更に高い境地に向かわせます。 それは殊勝なことで、すばらしいことなのです。

 以上、次元に限りがあり、足りないところについては慈悲なるご叱正をお願いします。

(完)

 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/7/12/243825.html)
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