日本明慧
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トラブルの中で内に向けて探し、人心を取り除く(一) ある日の朝私は夢の中で、師父が私を見舞いに来てくださったのを見ました。師父を見た時、私は自分の修煉が良くできていないため小さな声で「師父、私は本当にあなたのことをずっと思っていました」と言いながら、涙ぐんでいました。そこで私は勇気を振り絞って師父の顔を見ました。その、師父の慈しみに満ちた表情は今でも忘れることができません。朝8時から正午過ぎまで、師父はずっと夢の中で私に説法してくださいました(どのような内容なのか覚えていませんが、ただ説法をしていただいた事は覚えています)。午後になって、師父はお帰りになるご様子でした。私は師父を引き止めようとしました。しかし最後になると師父は、すでに時間が遅くなっているのを見て、私に帰るようにおっしゃいました。師父は「午後は別の同修を見に行くので、これ以上時間をずらすわけにはいきません」とおっしゃいました。私はそれでも帰りたくないので、師父と一緒について行こうとしました。師父は「私にはまだ色々とすることがあるので、ここに残ってください」とおっしゃいました。最後に師父は私に対して「他に何か質問したいことがありますか?」と尋ねてくださいました。修煉の長い道のりを思い返せば、ずっと頭がすっきりしておらず、学法、煉功、発正念をする時はいつも揺れていましたので、私は師父に「師父、私の頭の中を調整してください。頭で問題を考えるのをやめて、心で問題を考えるようにしたいと思います」と言いました。すると師父は大きな手で、私の額の部分を押してくださいました。
夢から覚めました。本当にうれしかったです。こんなにくっきりと師父が見えたのは久しぶりです。しかも初めて夢の中で師父の説法を受けました。どのような説法なのかは全く覚えていませんが、最近は精進しているから師父が励ましてくださっているのではないかと思いました。
トラブルの中で自分を観察する
しかしながら、一日二日過ぎると突然、魔難が降りかかってきました。私の心性に対する全面的で、数カ月にわたる長期の試練がやってきました。
事の次第は以下のとおりです。ある日の夜、私と長い間、仲が悪かった同修Aさんが私たちのプロジェクトの協調人になったと知らされました。私は沢山の心が放下できていないので、決して常人の心に動かされることなく、平常心を保つようにと何度も自分に言い聞かせました。しかし、その日の夜の仕事を終えて、ベッドに横になった私は、やはり様々な考え事にふけってしまい、眠ることができませんでした。何も考えていないように感じていたのですが、体そのものがすっきりしておらず、暫くの間眠ることができませんでした。
その後、引き続き状況は私にとって不利な方向へと発展しはじめました。まずプロジェクトでは、審査の基準が変わりました。私に対しては、私の審査に対するアドバイスを重視するため基準を変えたと言ってきましたが、実際に行われた審査の新しい基準をみると、私の意見はまったく採用されていませんでした。同時に私は、同修Aさんのすることが、ますます自分に対して攻撃的であるように感じました。そのことをもっとも強く感じたのは、同修Aさんが自分の権力を使って、私の出した意見を封じ込め、わたしの意見を受け入れてくれないことでした。私が少しでも自分の意見を述べれば、同修Aさんは公に私を攻めたり、馬鹿にしたり、私が時間を無駄にしている、などと言ってきました。しかし他の同修の意見の場合、それがたとえ私からみてどれほど間違っていても、どんなに良くないものでも、どうでもいいものなのに全て受け入れられ、さらに同修Aさんから大いに賞賛されました。この強烈な対比とギャップを通して、私の心はますます落ち着かなくなり、最後には自分自身をコントロールできなくなりました。
この過程の中で、私は常に内に向けて自分を探していました。その過程で、たくさんの執着が見つかりました。そして執着を取り除くことで、短い期間内にトラブルが解決され、消えたようにみえました。しかししばらくすると新たなトラブルがやって来て、それはさらに前のトラブルよりもっと激しいものになりました。このような繰り返しで長い期間が経ち私は、もはやこのプロジェクトにいたくないと思うようになりました。しかし、去るわけにはいかないと、私は意を新たにしました。
今日、私がこのプロジェクトをしているのは、師父のご按排だとわかっています。私は一人で長年修煉してきました。やっとのことで、同修達と一緒に何かをし、一緒に修煉するチャンスを得たので、この環境を失うわけにはいきません。私は師父の写真を見て何度泣いたことでしょう。私はどうしたのだろう。自分の何処が間違ったのだろう。私は心が落ち着かなくなればなるほど、自分の根本的な問題を見つけることができなくなりました。あの時期、私はまるで迷宮に入ってしまったかのように、自分の行こうとしている方向が見えませんでした。心の中ではたえず、いじめられた、差別された、という念が反映され、そして自分が乗り越えるべき関を乗り越えられないことに苦しめられました。時々自分の考えそのものが、筋が通っておらず、自分が何を考えているのかわからなくなりました。自分の体内は傷だらけで、心も苦しみそのものと感じ、ひいては十数日間法すら学べずに、悪夢を見ていました。その時期の私は、この妨害のため正常に会社の仕事すらできず、毎週必ず一日二日ほどの休みをとりました。法を学ぶ時だけ、少しの平常心を取り戻せる状態でした。
この数カ月にわたる魔難と試練を通して私は、今になって理性的にこれらのすべてに対処できるようになりました。ですからこの時期の魔難と試練に対して、自分にどのような問題があったのかを皆さんと交流したいと思います。
(続く)
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