日本明慧
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トラブルの中で内に向けて探し、人心を取り除く(二)

人に言われたくない心を取り除く

 清王朝の時代に、ある王女がいました。この王女は皇帝の娘で、皇帝から最も尊く、最も寵愛された娘の一人でした。彼女が幼い頃から、誰一人として彼女に逆らえる人はいませんでした。そのため王女は、自分の意見に誰かが逆らうことが許せないという性格を形成してしまいました。王女が16歳になった時、王妃は王女が大きくなったので何かを学ぶべきだと思い、非常に博識な妃から、文章の書き方を学べるよう取り計らいました。王女は初めて文章を書きました。王女は非常によく出来たと思い、うれしそうに文章を妃に見せました。しかし妃は見た後に落ち着いて、「あまりよく出来ていませんね」と言いました。この一言がトラブルを引き起こしました。王女は狂ったように自分の書いた原稿を妃の机の上に投げ捨て、狂ったように自分の王宮に戻りました。戻った後、彼女は懸命に嘆き叫び、誰の話も聞かず、こぶしで力いっぱい自分の頭を殴り、爪で自分の体のいたる所に傷を付けました。両足すら腫れました。王妃は王女がこれほど悲しみ憤り、泣きわめいているのを見て「わが子よ、あなたがどうすれば悲しまずにいられようか」と聞きました。王女は「私もわかりません」と言いました。彼女は本当に自分がどうすれば良いのかわからず、その苦痛は自分を滅ぼしてしまうまでになってしまいました。彼女はどうすれば心の中の苦痛を発散できるのか、自分でもわからないため懸命に自分自身を傷つけていました。最後に王女は王妃にたいして、自分を王宮の看護施設に拘禁し、誰とも話ができないよう閉じ込めるように要求しました。しかたなく王妃は、王女の望みのとおりに看護施設に王女を閉じ込め、そして王女を護るために多くの人を派遣しました。それ以来王女は毎日、看護施設の中で泣きわめいていました。
 
 この時アラームの音がして、私は夢の中から覚めました。起床のアラームです。私はベッドから起き上がりましたが、心の中の苦痛は依然として強烈なものでした。幾度の輪廻転生を経ても、この苦痛を感じる心は少しも弱くなっていません。王女はこの些細なことが原因で、しばらくしてから憂鬱のため亡くなったことを、私はなぜか感じました。私は心の中で、なぜこんな小さなことのために自分自身、怒りで死んだのか。もしこれが今生なら、私は決してこのようにならないと感じました。
 
 以前、師父は説法の中で次のようにおっしゃいました「つまり、大法弟子は間違いがあったとき、人に指摘されたくないということです。誰からも指摘されてはならず、言われたらすぐに怒ってしまいます。自分が正しいときに、人から意見を言われたくないし、間違ったときも、人から指摘されたくないのです。言われると、すぐ機嫌が悪くなってしまいます。この問題はすでに、かなり深刻になっています。」(『ロサンゼルス市法会での説法』)。私は当時、自分は師父が指摘されたような人ではないと思っていました。なぜなら私は、全体からすると非常に落ち着いていて、温和な性格だからです。周りの人も皆、私の気性は落ち着いていると思っています。しかし、今日直面しているトラブルを考えてみれば、私は自分の意見を同修のAさんが受け入れないため、私が繰り返し説得すれば時間が無駄になると言い、私を無視して他の人の意見を使って私の意見を否定するなどと思い、毎回大きな感情の歪みが襲ってきました。そのため、私は内心では極度の苦痛を感じていました。時々私は、自分には人に言われたくない心があるのではないかと思いましたが、ほとんどの場合はそれに気づかず、トラブルの中に陥っていました。私はいつも、彼は私と反りが合わないから、手中の権力を使って私を否定しているのだ、と考えてしまいました。またトラブルを解決しようと何度も努力しましたが、少し時間が経つと前よりも激しく強く、大きなトラブルが現れてきて、その結果、お互いがさらに悪い関係になってしまいました。私は、自分自身を探すように努力しました。長い時間を経て、私はやっと自分の中に、人に言われたくない心が強く存在していることに気付きました。十数年の修煉の道を振り返ってみても、私は根本的にこの面を修めたことがありませんでした。
 
 常人は皆、私の気性が良いと言いますが、しかし修煉の角度からするとそうではありませんでした。ほとんどの場合、私の気性のよさとは、常人の面子によって装われたものであり、決して修煉してその境地に達したからではありません。たとえば多くの場合、人に何か言われた時、もしくは皆の前で罵られた時、私は表面的には何の反応もありません。しかしそれは、心の中で放下したわけではなく、傷付いたり、ひいては泣いた時もありました。さらに極端な時、私は怒ります。我慢できなくなって喧嘩になったこともありました。思えば私が同修のAさんと初めてトラブルが生じた理由は、彼があることで私を公に批難したからです。これが原因で私は、心の中で同修のAさんを恨む考えの芽が生まれました。そのためそれ以来、協調の中で私は彼に対して、いつも冷やかな態度をとっていました。ひいては何らかのチャンスをうかがって、私はAさんに反撃しようと思っていました。同様に、Aさんもチャンスをうかがっては私に反撃するなど、このようなやりとりが続いたことで、トラブルが増々激化していきました。
 
 この問題に気付いた後、私は自分自身に対して、今後何を言われようと、寛容さを保たなければならず、相手と同じようにしてはいけない、師父のおっしゃったように行なわなければいけないと言い聞かせました。しかし行うことは本当に難しいものです。本当にトラブルが現れた時、はっきりと自分の人心を取り除くためだと知らされることはなく、得てして表面的には私が間違っていないのに、相手がわざと私を傷つけるような形で現れます。ですからその後、大きな突破はありませんでした。
 
 ある日また、同修Aさんは私の悪口を言い、上から目線で私を指摘しました。私は心の中で我慢できなくなり、会社で仕事を続けることができなくなったと感じ、早く法を学ばなければいけない、法を学んで初めて落ち着くのだ、と思った私は、休みをとって家に帰り、法を学びはじめました。しかしここ数日、いくら学んでも法は頭の中に入りませんでした。法による加持から離れたと思った私は、恐怖を感じました。その恐怖はますます強くなりました。体全体が煮えたぎった鍋に入っているように、一秒たりとも落ち着きませんでした。身体の苦痛も限界まできました。考えそのものが乱されていて、何も考えていないようで、しかし常に何かを考えていました。座って発正念をしても落ち着きませんでした。このような状態がずっと続き、ある日突然、私の身体が軽くなりました。自分の空間場そのものが明るくなりました。この時の私は、人に言われた一言のために怒ることが理解できませんでした。師父が私の他空間の要素を取り除いてくださったのだと、私はわかっていました。この時私は、冷静さを保って問題を考えることができるようになり、さらに法を学ぶことができるようになりました。2日目も私は休みをとり、家でたくさん法を学びました。すると、状態が良くなりました。このように連日法を学び、状態を調整した後、私の心と身体全体が良くなりました。
 
 この文章で先ほど、清の王朝の王女の物語について書きましたが、これは旧勢力が歴史上、私に対して按排し、妨害したということに気付きませんでした。私は自分自身の面子を守るという潜在的な人心を抱いており、人に言われたくないという心は、清の時代の体験から来たものと思いこんでいました。心の中で問題の大きさに気付かず、その人心を排斥しようとしませんでした。たとえそれを取り除くという考えがあったとしても、多くの場合は人に言われたくないことに対する責任逃れでした。前に私はある同修に、この体験を話した時、今回の人生の中での性格の中に、人に言われたくない、もしくは言われた時、自分を傷つけるほど怒るということを話ました。それを聞いた同修は、厳しく私に対して「この類の自虐は自我ではありません。私たちは必ず、はっきりとこれらの自分に属さないものを取り除くべきです」と言いました。しかし私はずっと、どのような自分が、本当の自分なのか意識していませんでした。今日、この文章をここまで書いて、ようやく人に言われたくない、言われたらすぐに怒りだす自分、ひどい時の自虐的な現れは自分ではないということがわかりました。それは邪悪なものであり、意図的な妨害、破壊であると気付きました。私は必ずこれらを取り除かなければいけないと思いました。
 
(続く)
 
 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/8/13/245278.html)
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