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私の親戚は、今迫害を受けています!(ニ)

2007年、考さんの妻は人質として監禁された
 
 一家の生計を支えるため、考さんは他所でアルバイトをしなければならず、家を空けていました。しかし中共当局は、2、3日おきに考さんの家で嫌がらせを行いました。2007年12月、警官・李建光は数人を連れて考さんの家を訪れ、考さんが家にいなかったため、考さんの妻・宋桂華さんを人質として嶺南金鉱洗脳班へ不当に連行しました。警官らは宋さんを繰り返し暴行し、夫の行方を自白するように強要しました。宋さんは洗脳班で4カ月半拘禁され、600元をゆすり取られてからようやく釈放されました。
 

拷問の実演:暴行
 
 招遠市国保(国家安全保衛)大隊と610弁公室は、常に考さんが住む村の村委員会に圧力をかけ、村委員会が村民に対して考さんへの憎しみを煽り、村の幹部が考さんを探し出すように強制し、探し出せなければ罰金を取りました。彼らはこれを口実に、村委員会から四半期ごとに2,000元をゆすり取りました。
 
2010年5月、考さんは残虐な拷問に遭った
 
 2010年5月8日、考さんは嶺南洗脳班に拘禁されました。洗脳班の女頭目・季暁東、610弁公室の李建光、宋少昌などは、考さんに対して、各種の残忍非道な手段で5日間連続して拷問を行い、拷問室の外では心が張り裂けそうになるほど痛ましい叫び声が響いていたそうです。詳しい情況はいまだに知ることができず、僅かな情報により、考さんが心臓の異常、高血圧、神経損傷、下半身不随になったことだけを知りました。考さんは連行されてから1年経ちましたが、家族の面会願いは、すべて拒否されました。実は警官らは、考さんの損傷状況がひどすぎて、この情報が外部に漏れるのを恐れています。
2010年8月、妻の宋さんは連行された
 
 2010年8月6日午前9時頃、7、8人の警官が考さんの家に押し入り、4時間近くかけて不当に家財を差し押さた後、考さんの妻を連行し、家財と現金を奪い去っていきました。家の中に宋さんの92歳の母だけが残されました。
 
検察院の策略で、弁護士は罠にかけられた
 
 2010年11月、考さん夫婦と他の5人の法輪功修煉者に対し、検察院からいわゆる逮捕通知が届きました。そのため考さんの家族は、法律に基づいて北京で正義ある弁護士に弁護を依頼しました。すると招遠市の公安局、検査院、裁判所は、610弁公室の指示に従い、弁護士を妨害し始めました。初め、彼らは村委員会を騙し、「悪人2人が村に入ろうとしている」と言い、村の出入り口に警備員を配置するようにさせ、2人の弁護士の特徴を述べ、村の住民に2人を死ぬまで殴るように指示しました。しかし考さんの家族が村民たちに真相を説明した後、村民たちは引き揚げしました。企みが失敗した610弁公室・公安局・検査院・裁判所・留置場は、疲労戦術を取り始め、各部門は結託して弁護士と家族を騙し、行政の各部門をたらい回しにしました。しかし、弁護士と家族の諦めない姿勢を見て、彼らは資料を捏造し、弁護士を強制退出させました。
 
裁判は秘密裏に行われた
 
 裁判所は当事者・弁護士・家族の人権を無視して、考さんたちに弁護を許さず、傍聴も認めませんでした。10数日の間、各法律執行部門は嘘の開廷日を伝えることで弁護士と家族を惑わし、最後にこっそりと12月5日(日曜日)の午前、留置場でいわゆる裁判を行いました。
 
 弁護士は5日の早朝、招遠市の留置場まで駆けつけました。冬の午前5時はとても暗かった上、各法律執行部門の周囲1キロ以内はすでに厳戒態勢が敷かれ、いかなる人も近寄ることが許されませんでした。そのため弁護士と家族は、正午12時まで交渉しても当事者と会うことができませんでした。
お姉さんは不当に4カ月監禁された
 
 考さんの姉・考福英さんは、家族として開廷日に裁判を傍聴するため留置場に行きました。しかしその後、福英さんは突然、行方不明になりました。数日後やっと分かったのですが、福英さんは610弁公室の人員に洗脳班へ連行されていました。その理由は、考福英さんが弁護士に依頼した、というものでした。このようにお姉さんは4カ月間監禁されました。
 
考さんは8年、妻は7年の懲役刑を宣告された
 
 考さんと妻の宋桂華さんは、それぞれ8年、7年の懲役刑を宣告され、現在も依然として招遠市留置場に拘禁されています。友人、家族は一回も夫婦に会うことができないため、彼らの状況が分からず、非常に心配しています。宋さんの93歳のお母さんは毎日泣いているそうです。
 
 情報によると、考さんは懲役刑8年を宣告される前、既に重病を患っていました。今回、考さんがリンロン病院と招遠市病院で診察を受けた結果、新たに冠状動脈性硬化症、心拍数240、肺気腫、狭心症、胆嚢と診断されたそうです。
 
 2010年12月21日、裁判所は再び秘密裏に裁判を行い、考さんに8年の懲役刑を言い渡しました。考さんは重病のため、常に生命の危険に直面しているため、留置場は考さんを受け入れませんでした。しかし招遠市610弁公室は、いまだに考さんを釈放せず、洗脳班に拘禁しています。聞くところによると、考さんは4月にまた留置場に送られたそうです。
 
善良な人々が考さんを救助して、早く家に帰らせて治療が受けられるよう、助けてくださることを願っています。   
 
(完)

 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/7/11/243781.html)
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