修煉して、苦去りて楽来たる(二)
(明慧日本)
三、修煉を始めて、新しい人生が始まる
私は1996年5月7日に、法輪大法の修煉を始めました。修煉を始めてから1カ月以上経ったある日、2人の娘が泣いていて騒がしく、また遠方から親戚が来ていましたので、私は外の空き地でしつけをしようと思いました。しゃがんで娘に向かって話そうとしたまさにその時、突然何かが私に襲って来た感覚を感じ、不思議な強い力が、上げた私の手に吸いつき、まるで私の頭をかばっているかのように感じました。この時、5キロほどもある重くてとても厚いコンクリートの塊が私の腕に当たったことに気がつきました。コンクリートの塊は壊れて破片が地面に落ちました。後ろに立って私を打ったのは、意外にも私の姑でした。あの不思議な力がコンクリートの塊をさえぎってくれたのです。もし、その不思議な力がなければ、私は命を落としていたかもしれません。姑の悪意に満ちた目を見て、師父の『転法輪』の「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」の法理を思い出しました。私は怒りを抑えて、自分の部屋に戻りました。
その夜、煉功場で、皆にこの出来事を話しました。皆は人には優しく接し、恨まないようにと言いました。私は煉功と学法を終えて、とても良い気分で家に戻りました。家に帰ると、家族全員が私に挑みかかるような様相を呈していまいた。皆は私の何でもないかのような顔を見て、呆然としていました。もし、修煉する前の私であれば、この夜は生死の一戦となっていたかもしれません。
三番目の義姉は数年間、義父の飲食店で働き、いつも遅く来て、早く帰り、あまり仕事をしていませんでした。しかし、義父は義姉に普段通りの給料を払っていました。ある時、義姉は物を盗んで食べていましたが、義父は私が盗んだと決めつけました。義父のから蔑むような視線を向けられても、私は何も言いませんでした。法輪大法を修煉し始めてから、心は落ち着いて、ずいぶん寛容になり、身体も良くなりました。
1997年5月、三番目の義姉は夫と離婚し、居場所がなくなりました。私は義姉に対する数々の恨みを捨て、家に迎え入れました。大法弟子として、師父は善をもって人に接するようにと教えてくださいました。義姉が居場所がないのをただ見ていることはできません。義父は亡くなり、義姉は糖尿病でほとんど失明し、両足には潰瘍があり、歩行困難になりました。時には、義姉の便や尿の世話をし、掃除、ご飯を作らなければなりませんでした。義姉との間の過去の怨恨は解消され、義姉は心から法輪大法に感謝しました。
臨終間際、義父は後悔して泣く
当時、義父はすでに80歳を超え、身体の調子が優れず、年に2、3回は病院に行っていました。その医療費はすべて私が払っていました。ある日、義父に心臓病の発作が起こり、さらに病院が停電し、エレベーターが動かなくなりました。息子や娘たちはもう治療を諦めていましたが、私は諦めてはならないと思い、義父を4階に担いで運びました。他の人たちはただ後ろについて来るだけでした。
義父は入院期間が長く、私がいつも面倒を見ていましたので、医師は私を息子の嫁ではなく、実の娘と思っていました。義父の看護には多額の費用を要しました。姑が亡くなって数カ月後、義父も亡くなりました。義父は亡くなる数日前から、ずっと泣いていました。彼はいつも「数年前、自分の財産を他の子供に分けた事をとても悔しく思っている」と私に言っていました。
「あんたは法輪功を修煉して、家庭を離れず、さらに、とてもよく尽くしてくれた。私が死んだら、あんたは私の三番目の娘の面倒を見なければならなくなる。責任がとても重い! あんたの一生はあまりにも苦労が多すぎる」と義父は言いました。その後、2人の孫を隣に呼び、私に孝行するようにと言い聞かせました。
(続く)
2011年05月20日
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/5/19/125360.html)
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