日本明慧
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口を修めることは心を修めることにある
私はずっと、師父がおっしゃっている口を修めるという説法について、よく実践できていませんでした。毎回言うべきでないことを言ってしまった後、いつも後悔しています。このように自分の言った後に後悔しますが、日々の生活の中でまた忘れてしまい、繰り返し言うべきでないことを言ってしまいました。
ある日の朝、私は煉功する時、次のように悟りました。生活の中、もしくは仕事の中で何か出来事があった時、私はなぜ、すぐに自分の意見を発表したがるのでしょうか。それは他人の言動が間違っており、あるいは他人のやり方が自分の考えにそぐわないと感じているからです。さらに深く掘り下げてみると、なぜ自分と関係のない人の言動や、行いをそこまで気にするのでしょうか。私には分別する心、差別する心、私心や人を見下してしまうところがあり、さらに言えば深い嫉妬心があるからではありませんか。このように私は内に向けて探しました。すると、普段、気づいていなかった沢山の心に気付きました。これらの心の中にある執着心が、様々な問題を作り出していたのです。これらの執着心は取り除くべきです。それ以来、何かあったときも意識して自分の口を修める必要はなくなりました。なぜならば、何に出会ったとしても、私の心はもはやそれらに動じることはないからです。動じることがなければ、自ずと何かを言いたいという考えもなくなります。なるほど、口を修めるとはまさに心を修めることにあるのですね。
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