日本明慧
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「内に向けて探す」ことについての体得(二)
ある日、私は公園で散歩していました。軽快で鋭い子供の声が聞こえてきました。私は子供の方向を覗きました。2人の女の子がふざけながら遊んでいました。うち1人は私を見てため息をつき、「あなたの自重心を見てください!」と話しました。私は一瞬驚きました。あの子は確かに私の顔を見て話したのです。私はあの子の話した言葉の一文字一文字の意味を分析してはっと悟ったのです! 私は学生のころから社会人になるまで、他人の前では、外見から見ても、気質から見ても、他人より群を抜いていました。そのため自分は、さらに紳士になろうとし、さらに男性の強さを求めていました。同時に、迫害されたことで、時にはその迫害を思い出すこともありました。時には自分の服装が気になり、流行に符合しているかどうかを考え、メンツを気にするなどの人心が現れるのです。これらの人心に束縛され、疲れるばかりでなく、不自然になり、自信がなくなるのです。そこで私はやっと分かったのですが、私は自我を放下できず、自己を尊重し過ぎたため、そして疲れるのです。これらが分かると、その後、私は真の自我を見つけ、真の大法弟子になれたのです。
師父は『2010年ニューヨーク法会での説法』で次のようにおっしゃいました。「皆さんが読んだ多くの予言はこのように書いてあるでしょう。一万人、または千人に一人が残ると言っている人もいれば、十世帯に一世帯しか残らないと話す人もいます。いずれにせよ、それらは大量の衆生を消滅しようとしています。しかし、大法がこの世で広く伝えられることと、衆生を救い済度することの根本的な目的はこのすべてを救うためであり、衆生が救われ済度されるようにすることが根本的な目的なのです。そのため、できるだけ多く行ない、できるだけ多く救って下さい」学法した後、私は多くのことを理解しました。
その一、私は面と向かって大法の真相を伝えるとき、相手に今後災難があると伝えるのが好きでしたが、これ自身がすでに旧勢力の按排を認めたことになり、なぜならば、旧勢力は按排した一つ一つの災難は、衆生を淘汰するための災難なのです。師父がおっしゃった人類に大きな事が発生すると言うのは、最後のときに大法を迫害した生命、または大法に同化していない生命の淘汰を指しているかもしれません。ですから、私は旧勢力が按排したいかなる災難をも認めるわけにはいかず、自分の思想にある災難のことを排除しなければなりません。
その二、一つ一つの災難が現れたとき、私には自慢する良くない念が現れました。自分が話した災難は確実に現れ、今度こそ衆生は真相をまじめに聞いてくれることでしょう! と。実はこの考え方も旧勢力が按排した道を歩んだことになり、旧勢力は衆生を道連れにしようとしていますが、大法は衆生を救おうとしています。
地震、土石流、洪水、かんばつなどの災害によって多くの人命が失われるのを見て、私は自分を責める気持ちになり、彼らを可愛想に思いました。彼らは救われることを、大法弟子に対して限りない希望を託したにもかかわらず、始終、私のような悟った粒子に包まれることなく亡くなられたのです。
この大窮は大法弟子のものであり、衆生が旧勢力に踏みにじられることを許しません! 私たちの正念をもって衆生を救いたいのです!
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