日本明慧
|
衆生を済度する中で人心を取り除く
今まで私は真相を伝え、衆生を済度することを順調にやってきました。真相のチラシを配るとき、常人はまるでわざと私を避けているかのようで、私は安全にチラシを配る時間がありました。私がチラシを置くと、人や車が来ました。ですから、自分は正念が強く、恐れる心がないと思っていました。
今年六月のある日の日暮れ、私はある団地にチラシを配りに行きました。あるビルのガレージのドアの隙間にチラシを入れてから、西の方に塀の2つの柱の間に隙間があったので、私はそこから出られると思い、そちらへ向かいました。外に出た途端、男女一人ずつの人が私を追いかけて来ました。「人を見たから追いかけてきたのに、あっと言う間にどこかへ行った」と男性の声が聞こえました。私は近くの丈の高い雑草の中に隠れており、「危なかった。師父の保護のおかげで捕まらなかった」と思いました。帰宅後、私はこれ以上の考えはありませんでした。
八月のある日、晩御飯を食べてから、私は真相のメールを送る専用の携帯と「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」と刻印された大きな印鑑を持ち、真相メールを送りながら、定期市に行きました。そして、ちょうど私が鉄の柱に印鑑を押している途中に、三十メートル先の民家から人が出てきて私の方を見ました。私が立ち止まると、東の方から私にライトが照らされました。私は「まずい、人に見られてしまった」と思いましたが、結局、中年夫婦が小型バイクに乗って、そのまま通り過ぎただけでした。私は「なぜこれほど良くない念があるのか。正念はどこに行ったのか」と考えましたが、そのことを重視しませんでした。
そして九月のある日、晩御飯を食べてから、私はまた真相メールの携帯と印鑑を持って外出しました。しかし、私は十数分でチラシを十枚しか配ることができませんでした。どうしてもいつものように、チラシを十四枚配る機会が見つかりませんでした。この時、私は衝撃を感じ、内に向けて探さなければならないと思い出しました。この後、私は心を静めて内に向けて探し、驚きました。まず、私は潜在意識の中に自分を迫害されるのではないかと思う心があることを認め、この心のために真相を伝えることが堂々とできなかったことに気づきました。一方、隠れている恐れる心もありました。これは、自分が傷つくこと、利益が損なわれること、面倒に遭うことなどを恐れる心です。このような心のために、前述のでき事が起きたと分かり、自分がもっと向上すべきだと分かりました。
これらの隠れていた心が見つかってから、私はこの心を取り除こうと決心しました。私はできるだけ多く学法し、法理の上で自らを高めると同時に、頻繁に発正念をして、この観念と恐れる物質を解体し、自分の空間を浄化しました。そして問題が起きた時、「正念を保つ」と強く自分に注意しました。法を正す時期の大法弟子は、宇宙第一の呼び名であり、衆生を救い済度することは、宇宙の中で最も神聖で、最も正しいことであるので、大法弟子こそ主役であり、堂々と真相を伝えるべきです。
正念は注意して思い出すのではなく、いつでも自然に思い出すことができなければなりません。実は、修煉というのは人の観念を除き、神の念に昇華する過程です。この神の念は、着実な修煉を基礎として、少しずつ大法に同化し、円満成就へと歩み続けることで形成することができます。ここまで考えると、私は本当に「この三つのことをよく行うことができれば、全てはその中にあり、全てが含まれています」(『大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説』)という法理を理解しました。衆生を済度するのが大法弟子の責任です。ですから、円満成就して師父について家に帰ることができるよう、今後、起こることを大法と対照し、心性の向上においてもっと努力して、三つのことをよりよく行います。
|
関連文章
- 「内に向けて探す」ことについての体得(一)
- 人の観念を捨て、病魔の関を乗り越える
- 問題を解決しようとする心を抱えて、内に向けて探してはならない
- 学法し、心を修める中で精進する(二)
- 身近にいる内に向けて探す事ができない同修を助ける
- 誓約を果たし、衆生を救い救度する
- 法を正す時期の修煉において、個人修煉を重視することはとても重要
- 「恐れる心」に関して再考する
- 日常生活の中で内に向かって探して、心性を高める
- 同修に責任をもって指摘しよう