トラブルの中で大法に導かれ、内に向けて探し精進する(三)
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文/中国遼寧省の大法弟子

 明慧日本)A同修は勇敢に真相を伝えることができます。現地で大法を迫害した人を探して大法を実証し、何も怖がらず、邪党文化の要素を持っていません。しかし一方で私は、自分は悟性がよく、師父は至るところで私を保護してくださり、身体に病業の反応がないと、なにか言い出すと常に少し自分を顕示していました。また、慈悲心がなく、他人の不足が見えたら、すぐ指摘します。そこからは私の闘争心が見えます。師父は『洪吟』「実修」のなかで、「法を学びて法を得る 比して学び比して修す 事々対照し なすところ到るは是れ修なり」、と説かれました。師父の説法ははっきりしていましたが、私はその通りにできませんでした。彼女たちと比べると私は万里ほども遅れており、本当に恥ずかしく思いました。

 師父は新しい経文『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』のなかで、「不愉快なこと、機嫌を損なうことに遭ったとき、個人の利益、自我が刺激されたとき、内に向けて見ることができ、自らを修め、自分の漏れを探し、トラブルの中であなたが間違っていなくても、『分かった。きっとどこかに間違いがあった。本当に間違いがなくても、以前の借りを返しているのかもしれない。正しく行ない、返すべきことを返す』とこのようにします」と説かれました。法理は私の内心の深いところを照らしてくださり、はおそらく、以前、他人に借りがあり、あまりにも多くて、いまこれほど多くの人とトラブルが起きたのだ、と悟りました。学法を通じて、私は同修との間のしこりを解し、再び家族とあの男の人を恨まず、今生で返すべきものはすべて返そう、と思うようになりました。

恐怖心を修める

 これから恐怖心について話します。恐怖心は私の思想の中で根強いものです。私は幼いころからあれこれ怖がっていました。昼間でもひとりで家にいることができませんでした。結婚後、夫と舅は常にギャンブルに出かけました。ある日の夜中、我が家は明かりをつけていて、寝る部屋までとても明るくしていました。派出所の人は我が家でギャンブルをしていると思い、窓を叩きました。私はびっくりして、心臓がどきどきし、そのまま心臓病になりました。法を得た後、2回不法に拘留されて、恐怖心は更に強くなりました。何をするにしてもず頭にくるのが恐怖心です。人を救いに出かけるときは家族られることを恐れ、法を実証するときは警官に発見されることを恐れ、僅かな異変があっても、慌てて大法の書籍を隠しました。

 何かを怖がるとかがってきます。一時期、夜9時ごろになると電話が鳴りました。しかし電話に出ると誰も話しませんでした。私の第一念は、警官だ、多分私を監視している、私が家にいるかいないかを試していると思いました。そして、夜になると電話が鳴るのを恐れ、常に電話線を抜いていました。このことはとても長い間続きました。ある日、私は師父の『2006年カナダ説法』を読む時、「普段、相手に真相を伝えるために訪ねに行っても理由がなく、理由がなければ、会ってくれないし、妨害によってちょうど接触の機会を持つようになったのではありませんか? ちょうど真相を伝えにいけるのではないでしょうか? 大法弟子は自分の修煉のほか、最大の責任が衆生を救い済度することです。このことをしなくて良いでしょうか? しっかり行わなくて良いでしょうか? ですから、現れたすべての問題を自分が行おうとする正しいこと、法の勉強や真相を伝えることに対する妨害と思わないでください。そうではありません。問題が現れれば、それは真相を伝える機会なのです」、という内容を読みました。

 師父のこの部分の説法は私の自信を強めてくださいました。私は恐怖心を捨てて、村の幹部を探し、来意を説明しました。村幹部はきっぱりと否定しましたが、私は続けて大法のすばらしさを伝え、共産悪党の腐敗、そして歴代の運動後の名誉回復について説明し、もし法輪功がある日名誉回復されたら、あなたたちはどうなるのでしょうか? 早く脱退してください、と伝えました。村幹部は頷き、それ以降無言電話は無くなりました。

(続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/10/21/248107.html)     更新日付:2011年10月29日
 
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