トラブルの中で大法に導かれ、内に向けて探し精進する(四)
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文/中国遼寧省の大法弟子

 (明慧日本)夫は常に私に心性を向上させる機会を与えてくれました。私は2回、中共(中国共産党)に迫害されたため、夫は私がまた迫害されることを恐れて、私が自宅で学法し、発正念をすることは支持してくれましたが、私が外に出かけることを恐れていました。私は大法弟子の責任の重大さが分かっていたので、夫に知られないところで、大法の仕事をしていました。私が夫に知られることを恐れていたため、本当に夫に見られてしまいました。ある日、私は水道管を埋める溝を掘っている人に真相を伝えていましたが、まだ説明が終わらないうちに夫に発見されました。皆の前で、夫は私に少しの面子も残してくれず、大いに罵り、ひいては私を殴ろうとしました。私は笑顔でそこを去りました。

 家に帰るとき、歩きながら、「今日はたぶん邪魔をされた。人を救えなかったばかりか、夫に業を作らせてしまった……」と思いました。実際これはほかでもなく、夫の恐れる心に向けられたのです。私は夫の恐れる心をなくすべきでした。帰宅してから、頭のなかに突然、「汝に恐れ有らば 它はじきに抓む」(『洪吟二』「何を恐れる」)という言葉が浮かんできました。私は突然、これは師父が私を悟らせているのではないか、と意識できました。私は分かってきました。夫の怒りが静まったのち、私は夫に真相を伝えました。13年前、私は毎年夏になり、畑仕事が終わると点滴をしなければなりませんでした。大法を得る前、私は泥水に手を触れることさえできなかったのです。大法が私を救ったのではないでしょうか?

 「人が水に溺れて死にそうになったとき、あなたは見て見ぬふりをしてよいのですか? あなたは毎日ここが痛い、あそこが痛い、と言っていますが、これはみなあなたが私が人を救いに出かけることを阻止していることと関係があるのではないですか。「真・善・忍」は宇宙大法であり、あなたさえ大法が作り上げたのですよ」と伝えました。私はまた例を挙げて、「ある同修の夫は修煉していませんが、彼は妻が真相を伝えることを支持し、かつ人を救うことを手伝って、資料運びなどをしたりした結果、腎臓結石がいつのまにかなくなったのですよ」と伝えました。私の話は夫の心を動かし、それ以降、彼は再び私に構わなくなりました。

私心を取り除く

 主な人心の根は掘り出しましたが、まだ気づき難い心が残っていました。それこそほかでもなく私心でした。普段私は、自分の身体が邪魔をされたら、内に向けて探し、内に向けて探すことを自分の問題を解決する方法と見なしていました。身体が楽になればよいと思い、本当の向上に至らず、私心から抜け出しておらず、常に旧勢力の按排の中で自分を修めていました。毎日学法していましたが、法を本当に学ぶことができず、集中できず、思惟は清浄でなく、正念が足りず、時々強烈な執着心に邪魔されていました。

 師父は私のこの状態を目にして非常に焦られました。私を早く向上させるために、師父は集団学法を利用して、私を悟らせてくださいました。当時学んだのは『スイス法会での説法』でした。師父は「生死の関を乗り越えられなければ圓満成就できません。決して死ぬときの痛みを経験してから、はじめて生死を放下したと言えるというようなことではなく、それはただの形式に過ぎません。私は形式を重く見ておらず、あなたの心を見ており、心から本当にできるかどうかを見ています」と語られました。

 私は一瞬、自分の生死に対する認識はただ肉身に対する試練、或いは直面しなければならない邪悪のことだと認識し、肝心なときしっかり行えば生死を放下したことになる、と認識していましたが、今になってやっと、生死を放下するとは普段から少しずつ放下するなかで自ずと達する、と認識できました。以前は内に向けて探すことを問題解決の技、修煉を向上させる方法であると認識し、修煉のなかで、常に私心を持っていて、終始私心を放下できなかったのです。これも執着ではないでしょうか、邪悪が隙に乗じないはずがあるでしょうか、私は向上できなかったばかりか、かえって自分が大法に同化することを妨げました。

 師父は説法のなかで、私たちに「無私無我」になるように要求されました。もし本当に師父の要求通りに行うことができれば、旧勢力に隙に乗じられてしまうでしょうか。それは敢えてあなたの隙に乗じられるでしょうか。私の修煉は他の生命のためであり、私が向上したかどうかは法が決めます。師父は私にこの一点について悟らせてくださいました。この私心を取り除くと、私は謙虚になりました。まだ完全に謙虚になったわけではないのですが、師父は私に従うべき基準を教えてくださいました。

 師父は意気地のない、この弟子のためにあまりにも多くの心血を注いでくださいました。師父はすべての方法を尽くして、私を向上させてくださいました。毎回トラブルに遭遇したとき、常に法理で私に悟らせてくださいます。私は言葉で師父に対する感謝の心を表すことができません。ただ多く学法してこそ、はじめて自分を修めることができ、ただ多く学法してこそ、はじめて大法を実証することができ、ただ多く学法してこそ、はじめて前進する道に置かれた障害物を取り除くことができます。

 他にもとても多くの体験がありますが、数日間、昼夜をかけて書いても弟子と衆生に対する師父の慈悲なる加護と、耐えられたすべてを書ききることができません。師父は本当にあまりにも偉大です。

(完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/10/21/248107.html)     更新日:2011年10月30日
 
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