私たちが信じるほど、大法はすばらしさを現してくれる
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 明慧日本)私は1996年から法輪大法の修煉を始めました。15年の修煉の中で私はいつも師父の慈悲なる保護を感じ、師父の弟子になることができてこの上ない幸せを感じています。

   目の前に金色の文字が現れ

 2000年、私は不法に逮捕され、暗くて狭い独房に監禁されました。頭には暗記した大法が少なく、私は「一冊の『転法輪』があればいいのにと思うと、目の前にすぐ無数の金色の文字が現れました。字が小さいから『転法輪』の内容かどうか分からないと思っていると、文字はすぐ大きくなり、『転法輪』の「論語」から、スライドのように次のページへと進みました。師父が私のために現してくださったと分かりました。

 2001年、私は労働教養所に移送されました。邪悪の巣窟で大法弟子たちは屈辱と迫害を嘗め尽くしました。警官はいつも大法弟子のかばんをチェックし、大法書籍を発見すれば没収し、至るところに監視カメラを設置し大法弟子を24時間監視しました。同修たちは師父の説法を見ることを切望していました。私は偶然の機会に、ある同修が小さい『転法輪』を持っている聞きました。しかし監視が厳しく、暗いところで読むには文字の大きさも小さくて、同修はほとんど読めないと聞きました。私は師父が言われた、「われわれの中の天目が開いた人なら見えますが、この本は色鮮やかで、金色(こんじき)の光を放ち、どの字もわたしの法身の姿かたちです」(『転法輪』)を思い出して、私は同修にきっとはっきり見えますと話して、『転法輪』を借りてきました。

 夜、横になってから、警官と監視カメラの監視を避けようと布団を頭までかぶりました。私は『転法輪』を開いた瞬間驚いて呆然となりました。暗い布団の中で、『転法輪』は金色に輝いていました。私はむさぼるように読み始めました。私は自分ばかりが読んでいてはならない、同修たちにも見せるべきだと思い、本を書き写そうと思いました。

 私は心から師父に助けを求めました。あらゆる生命は大法弟子を迫害する資格がなく、大法弟子が法を学ぶことは至極当然のことで、誰かが妨害したら罪を犯すことになります。私は同修のところから、ペンを借りて白い紙や、白い布に書き写しました。書き写してからチェックし、その後同修たちに見せました。いろんなルートで師父の最新経文はいつも見ることができ、書き写すため一夜を明かしました。ペンと紙はいつもなくなる前に補給され、書き写した経文をいつも順調に同修の手に渡すことができました。2年間で私は『転法輪』を3回、『導航』、『北米での巡回説法』、『轉法輪(巻二)』、『精進要旨』、『洪吟』、『二〇〇三年旧正月十五日の説法』、および当時師父が発表された新経文を2回以上書き写しました。

 師父の慈悲なる保護の下で、私たちは残酷な邪悪の環境の中で、警官ら発見されることなく学法をすることができました。私と一部の同修は師父と大法の指導の下で、その苦しい歳月を乗り越えることができました。

   正念が出ると、傷ついた両足が回復した

 私が労働教養所に監禁されている期間中、邪悪は私に修煉を放棄する旨の保証書を書かせるため、私に拷問を加えました。ある日、気絶して目が覚めたら両手、両足がよく動かせないことに気付きました。特にすねから下は感覚がありませんでした。彼らは筋を壊したので、自分で動く事はできないと話し、まもなく私は家に返されました。

 家族と友人たちは苦しそうな表情と同情の眼差しで私を見ていました。私は大法を修煉し始めてからのすばらしさを伝え、彼らを救おうと思いました。労働教養を受け、このように迫害されたのは、師父の按排ではなく、私に漏れがあって、旧勢力に隙に乗じられたからです。私はこのすべてを認めるわけにはいきません。私は学法と発正念、煉功を通じて、1週間も経たないうちに、私の両足は回復し、正常人と同じように走ることまでできるようになりました。家族や友人、私のことを知っている警官も大法に対する敬服の眼差しを向けてきました。

   パソコンを使い、奇跡を起こした

 ある日、資料作りの拠点が破壊され、資料拠点の同修が逮捕され、形勢は緊迫しました。同修はプリンタ、パソコン、その他すべての消耗機材を私の家に運んできました。当時私はパソコンを立ち上げることも、電源を切る方法すら知らず、プリンタを使うことは尚更出来ませんでした。これらの機材を見て私は怖がる心と圧力を感じました。私は合掌して師父の法像の前で、「師父、心性がよい同修に任せてください。弟子は心性も足りず、技術も分かりません」と言うと、そばにいた子供、「危険を他人に押し付けてはなりません。自分でやってください」と言いました。このとき師父の法像から師父の慈悲なる声が聞こえてきました。「これは師父の按排です」

 パソコンとプリンタを見たとき私はどこから始めたらいいのか呆然となりました。私はパソコンとプリンタの取扱説明書を探しましたが、見つかりませんでした。私は子供にパソコンの立ち上げから、マウスの使用方法などを一通り教えてもらいましたが、すぐ忘れてしまい、マウスも思ったとおりに動かず、2時間ほどかかっても電源を切ることすらできませんでした。子供は「こんな状態では、1週間たっても基本的なことすら学べませんよ」と、うんざりして自分の部屋に入りました。

 私は師を手伝って法を正し、衆生を救っている大法弟子です。パソコンなどの機械は大法のため、大法弟子が衆生を救うために存在するものです。ここまで考えて、私は再びパソコンを立ち上げました。このときマウスは よく動き、まるで私にどのアイコンをクリックしたらいいか示しているようでした。子供が自分の部屋から出てきて、私がうまくマウスを使い、プリンタのドライバもインストールしたことを見て、非情に驚き、「お母さんは不思議です。一般人と確かに違いますね」と話しました。

 このようにしてパソコンを何も知らない私が、すぐ1人で大法の書籍、各種の小冊子お守りなどを作り始めました。後になって、私にパソコンやプリンタ教えてくれる同修も現れ、常人ではとても不可能なことを、私は身を持って体験しました。

  VCDに自動的に師父の説法録画が映され

 ある日、私は近所の人を自宅に誘い、神韻公演を見せました。彼らは神韻の俳優さん高度なテクニックに感服し、純粋な中華文化を絶賛しました。私はすぐ真相を伝え、彼らに三退してもらいました。これらの人が皆、法輪大法の修煉者であることを話すと、彼らは自分も学びたいと話しました。

 彼の家にはVCDプレーヤーがなく、彼は親戚から借りてきました。私は師父の説法と煉功動作のCDを持って、彼の家に行きました。しかし、彼の家には昔の白黒テレビしかなく、VCDプレーヤーコードを挿す穴がありませんでした。私は彼ががっかりしている様子を見て、師父に「VCDから師父の説法が映るようにしてください」と、お願いしました。するとテレビに、回転する法輪から、師父説法する映像が映り、師父の慈悲なる声が聞こえてきました。彼は驚きのあまり、「うそでしょう! プレーヤーはまだテレビに繋がっていませんよね」と、話しながら、もう一回コードを確認しましたが、やはり挿されてませんでした。このようにして近所の人は師父の大連での説法を見、法輪功の五の功法も学びました。どうしても私は学び続けて、この功法を広め、人々を三退させますと近所の人は感激して私に話しました。

 私が大法修煉した十数年間に、私は身を持って大法のすばらしさを体験しました。師父は私たちの身の周りにおられ、大法を信じる度に、大法は私たちにそのすばらしさを現してくれます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/10/27/248275.html)     更新日:2011年11月1日
 
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