長春第一期法輪功講習会の思い出(二)
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   文/長春の大法弟子

 (明慧日本)師父説法されてから、煉功を教えてくださいました。第一期講習会のとき、1人に一冊づつ小冊子法輪功が配られました。それは12ページで、雑誌サイズより一回り小さく、大部分は単純な線で描かれた煉功の動作の図解でした。師父煉功を教えられるとき、1人ひとりの手足の動きを直接直してくださり、動作を教えながら、皆の身体を調整し浄化して下さいました。

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 当時、私は何も分かりませんでした。師父「わたしは功を出しながら講義をしているので、あなたたちは病気があるなら、その箇所を頭に浮かべてください。」とおっしゃいました。功を出しながら講義をするということはどういうことなのか、全く分かりませんでしたが、第二式の功法「頭前抱輪」を学ぶとき、師父は何の動作もしていないのに、伝法場に泣く人、笑う人、踊っている人、咳が止まらない人など、いろいろな行動をとる人がいました。その場面は……。私はずっと泣いていて、お腹いっぱいの苦みが外に排出されているように感じ、自分の人生の中で初めてこのように悲しく泣いていました。師父が傍にいてやさしく話しかけてくださり、「泣いてください。抑えないで、泣けるのなら泣いてください」とおっしゃいました。私は心のなかで、「何をやっているのか、このように泣いて恥ずかしくないのかと思っていましたが、後になって分かりました。師父が学習者の身体の中の良くないものを外に出し、身体を浄化してくださいました。人々はそれぞれ状況が異なるので、現れ方も違っていました。泣き終わったとき、私は本当に気分明るくなり、講義を何回か受けると、身体も完全に軽くなりました。階段を上るとき、まるで誰かに押されているように、どんなに遠く歩いても疲れませんでした。とにかく歩きたいので、遠くてもバスに乗りませんでした。

 当時まだ修煉の概念がなく、皆さんはだいたい病気治療の目的で功を学びに来ていました。講義の途中休憩の時間でも、たくさんの学習者が師父に頼むと、師父は全部治してあげていました。そのとき私は師父の様子を見て心が痛くなり、の学習者に対しちょっと不満の気持ちがありました。師父は1時間半講義をされ、水も飲まず、たった10分間の休憩時間も休まれません。師父はどんなに疲れたことでしょう。師父は大変なので、皆さんはこのことを考えてほしいと思いました。第一期講習会は夕方6時から8時までです。師父は仕事が終わってから講義をするので、娘の世話をする人がいませんでした。娘の美歌ちゃんは会場の中で1人で遊んでいて、奥さんが仕事が終わってから、娘を連れて帰られました。

 私たち一緒に説法を聴きに行った1人の共産党員は講義を聴いた後これが迷信だと決め付けていました。師父がその場で彼女の癌を取り出し彼女は自分の身体が良くなったことをはっきり分かっていましたが、それでも信じようとしませんでした。

 当時いろいろな気功門派がたくさんあり、師父が功を伝えたとき、一部のいわゆる気功師も聴きに来ていました。またの気功を練習する人もいて、心性を重んじていないので、様々な良くないものを持って来て、会場を混乱させようとしていました。あちらこちらに座り大声で話したりしてハエのようにうるさく、実際彼らは撹乱するために来ていました。初日、私はこの邪魔を受け本当に煩わしいと思い、次の日から会場の前に行って彼らを避けました。師父は何もおっしゃらず、法だけを話しておられました。

 受講中のある出来事を私ははっきり覚えています。ある学習者が10歳ぐらいの女の子を連れてきていて、授業中、彼女はワーワー泣いて騒ぎ出し授業が続けられなくなりました。1人の“気功師”が女の子の前に来て、彼女を抑えようとしました。人々の前で自分の腕前を披露しようというつもりのようでしたが、全く効きませんでした。その後ほかの23人の“気功師”も試しましたがいずれも駄目で、女の子は一向に泣き止みませんでした。しかし師父が講壇から降りて、女の子の前に来て、手で女の子の頭を軽く3回叩いただけで、彼女はすぐ泣き止みました。会場驚きの声に包まれ、しばらくすると雷のような拍手に変わりました。

 その後、の邪魔も起きましたが、師父が指で教卓を何回か叩いただけで、会場はすぐに静かになりました。

 本当に師父が長春補導員法会での説法の中でおっしゃったように、実は、長春の古くからの学習者は皆知っていることですが、当時法を伝え功を伝え始めた時は、本当に大変でしたが、困難な時期を乗り越えてからやっとこの法を広く伝え、多くの人々に認識してもらうことができたのです。ですから、当初はこれを行う時に、本当に大変でした。しかし、私たちは乗り越えてきました。しかも法はまず長春で広められました。当時、今日のように高く奥深いことを説いておらず、気功から本当の法を伝えるまでの過渡期のものしか説きませんでした。後になって、徐々にこの法を真に説き明かし、多くの人に認識してもらいました。このことは非常に系統的に行われました。」でした。

 第一期講習会が終わった後、私に2つのとても不思議な出来事がおきました。一つ何もない平地で転んでしまったことです。しかし転んでも、皮膚に傷もなければ腫れもなく、痛みもありませんでした。ただ転んでしまうのです。朝公園へ煉功に行って、橋の上で私は“パ”と転ました。ちょうど若い夫婦連れが前にいて、手伝って起こしてくれました。翌日煉功った、私は帰宅途中、同じ橋の上でまた“パ”と転ました。ちょうど前にいた2人が、私を起こしてくれました。2人は私を見ると驚いてまたあなたと言いました。2人はの日と同じ夫婦でした。

(続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/9/223147.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/5/24/117354.html)     更新日:2011年11月10日
 
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