集団学法は本当にすばらしい
■ 印刷版
 

 明慧日本)私は毎週1しか集団学法に参加できませんが、仕事帰りに直接行くため集団学法の時に疲れを感じていました。私は学法の時集中できず非常に眠くて、本まで落としかけたことが数回ありました。と一緒に読むとき声色すら変わり、状況は非常に悪かったのです。その間邪悪の妨害も受けましたが、師父と同修たちの助けの下で正念で邪悪を否定し無事に乗り越える事ができました。

 同修Aさんは自分の家は静かだから、一緒に毎日『転法輪』の一講を学ばないかと提案してきました。そのため、私たちは朝から良い修煉状態を保つため朝一で学法しようと考えました。。私は同修Aさんに「師父は縁がある同修を私たちと一緒に学法するよう按排してくださいます」と話しました。数日後、日ごろあまり行き来のない同修Bさんが私を訪ねてきて「自分ひとりで学法すると考えがほかの事に気をとられて、睡魔の妨害も大きい」と悩みを話し、私に集団学法の環境がないかと聞きにきたのでした。これは全師父の按排だと思い、私たちは3人で学法グループをつくりました。

 同修Bさんは、最初法を読むのが速くて、読み間違うところが多かったのです。私たち指摘してあげると、ちょっとゆっくりよむようになりました。そのとき私の状態もよくなく、学法するときまた眠くなりました。この状況を突破しようと、私は立って読みました。同修の体験文章では「集団学法するとき、天上の神々は私たちと一緒に法を読まれている。しかも私たちの学法する時の姿勢も非常に重要で、神は私たちの一挙一動を記録されている」と話しました。私は何かに寄りかかり足を伸ばして読むなどの姿勢などを改め、結跏趺坐をして、足が痛いときは半跏趺坐で法を読みました。この集団学法の環境の中で、私は眠くなったり、法を読むとき発音がはっきりしないところもなくなり、同修Bさんも流暢に、読み間違えることなく読むことができました。

 学法が終わってから、時間があれば集団煉功も行います。ある日、私は静功をするとき、初めて師父が『転法輪』の中でおっしゃった「坐り続けていると、足が無くなったような気がしてきて足がどこに行ったのか分かりません」という状態を体験しました。

 迫害に反対する十数年間の中で、本当に感慨無量でした。正法の最後の最後、私たちは三つのことを行うことを緩めてはならず、もっと正しく歩み、師父に手伝って先史で誓った大願を果たしましょう。個人の体験で、不足の部分は同修たちの慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/7/248835.html)     更新日:2011年11月11日
 
関連文章