学法の中で大法弟子の責任について悟る(二)
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文/中国陕西省の大法弟子

 (明慧日本)私はこの法理が分かってから、また涙が溢れ出ました。自分は以前よく法を学ばず、精進していないことをいつもとても恥ずかしく思っていました。師父はそのような大きな体系の生命を私たちに託されました。自分が代表している無量無計の衆生、私たちと同じく巨大な天体体系を代表し、まだ世の中で迷っている生命及び、その生命に希望を託している無量無計の衆生に直面して、私はもう一刻も怠ける勇気はありませんでした。私たちのその一刻の緩みによって、無量無計の生命救われる希望を失ってしまうかもしれません。私はもう考える時間はなく、師父のおっしゃった通りにしっかり学法し、自分をよく修めて衆生を救い、もっと多くの衆生を救うしかありません。

 師父が要求されたことをしっかり行ない、円満成就して自分の行くべき世界に帰り、宇宙大法の最高の擁護者になる、これは師父が私たちに与えてくださった、天地開闢以来の最高の栄誉です。師父のこの重大な使命に背くならば、師父どのように思われるか私たちには明確に分かりません。しかし私たちは心の中で1千回、1万回、1億回死んでも、その重罪を償えないことが分かります。もし、私たちのせいで無量無計の衆生を消滅させられるならば、それはどれほどの罪があるのでしょうか?! よく修めればこの上ない栄誉ですが、逆によく修めなければどのくらいの罪を犯すことになるのでしょう! それでもまだ、私たちはその安逸心を求めて精進しないのでしょうか?!

 私は自分の責任を明確に認識してから、どのような病業も、名、利、情も、怨みも一瞬のうちに、埃の粒子のように変わって、さらには埃の存在にさえ及ばないと感じました。違いますか? 師父からの重大な使命、衆生の期待と比べると、何ほどのこともありません。私の心にはもうそれらの存在はなく、あるのは大法弟子としての責任しかありませんでした。

 このように重大な使命、私たちは果たしてその重責を担えるのでしょうか? 学法を通じて、師父がすでにこの使命を私たちに託されたことを知り、私たちは必ずこの重責を引き受けて立ち上がります。三界が切り開かれてから、私たちは師父に従ってこの世に降りて来ました。歴史の中で、無数の役割をこなし、無数の生死の試練を乗り越えて来ました。師父は私たちをすでに成熟するまでに鍛えられました。言い換えれば、師父はすでに私たちのために道を作り上げ、私たちはもう後ろには引けず、師父の保護の下、ただ毅然としてこの重責を担い、前へ足を運べばいいのです。

 私たちの使命は重く、師父が要求された救うべき衆生の数にはまだ程遠いのですが、時間は非常に緊迫しています。私たちは常に自分が担っている責任を充分認識し、この宇宙の正法の最後の時、大法弟子のすべきことをしっかり行なうべきです。

 これまで述べてきたことは私の次元で悟った理で、師父がおっしゃった宇宙の構造の深い内涵とははるかにかけ離れています。しかし、この僅かばかりの悟りでも、自分の多くの執着心を取り除くことができ、自分が担っている責任の重大さをしみじみと感じることができました。

 明慧ネットでの交流文章で、師父の新経文と7.20以降の説法を学ぶようにと強調する同修がいます。私は系統的に師父のあらゆる法を学ぶ必要があると思います。師父は弟子を連れ、順を追って進まれており、どの時点でどこまで説法されるかは細かい按排があるのだと悟りました。系統的にあらゆる法を学ぶことで、私たちに更に精進させ、修煉してさらに早く、そして向上することができると思います。

 次元が限られており、不足の部分は同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/11/248981.html)     更新日:2011年11月16日
 
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