(明慧日本)最近色魔に関する同修の文章を見ました。いまだに色の関から抜け出せない周りの同修を見て、私は色欲の問題に対する自分の体験を書く必要があると思いました。
私は1965年、7人兄弟の貧乏な大家族に生まれました。両親は家族を養うため、私たちに目をかける暇がありませんでした。そのため私は小さいころから、他人の関心を求めていました。大学受験に失敗してから、仕事をしようと思いましたが見つかりませんでした。当時、工場で働くにはお金を使うとか工場の責任者にコネがなければなりませんでした。後になって親戚が人に頼んで私をある工場に入れてくれました。私は各方面で頑張り、高校まで通っていたため、工場長から特に評価され、工場長は工場の会計係として私を養成しようとしました。工場長から多くの面で気を配ってもらい、私はだんだん彼に愛情をもち、家庭を持つその人の愛人になりました。罪の深淵に落ち、後に堕胎までしてひとつの生命を殺しました。心身が巨大な苦痛に苛まれているとき、私の本性の一面がよみがえり、このように生きてはならないと思いました。後に工場は倒産し、私たちも別れました。私は再びこのような天理に背くようなことをしてはならない、正しい道に戻ろうと思いました。その後私は結婚して、子供を生みました。親孝行をして、よい妻、よい母親になろうと心がけました。
1997年10月、私は大法の修煉をはじめ、着実に修めて精進しました。師父は色魔の問題は一人一人が出遭う大きな関だとおっしゃいました。私はこの方面で大きな間違いを起こしたことがあるので、生活の中で試練がありました。修煉を始めてからまもなく、私は個人経営の店でアルバイトをしました。私は彼に法輪功を紹介し、法を広めようとしました。ある日、おしゃべりをする中で彼は色欲を起こし、私に淫らな言葉を言いました。私は「固く法輪大法を修煉する人は師父が守ってくださり、あなたの思ったとおりにはいきません」と話しました。すると彼は欲情があっても今その能力がないと正直に話しました。私は必要ではないトラブルを起こさないように、その仕事をやめました。後に道端で彼と会ったとき、彼に真相を伝えて三退させました。
ある日の夕方、私が自転車で家に戻るとき、路上には人がいませんでした。しばらくたって、向こうから自転車に乗ってくる男がいました。男は私とすれ違ってからすぐ折り返し、不埒な話をしながら私についてきました。私は発正念をしながら、その男に「戻りなさい」と大きい声で話しました。その人は突然自転車を止めてUターンをして逃げるように加速していきました。またある時、工事現場で働く外地の青年に真相を伝えお守りをあげました。次の日、彼は私に手を振りました。私は何か用があるのかと思い近づくと、淫乱な話を私にしてきました。私はちょっと咎めて振り向いて帰りました。このような遭遇と屈辱で私は非常に苦しかったのですが、これは自分が犯した罪であり、償わなければならないことも分かっていました。修煉をしっかり行なうことによって法に対する認識も深まり、今はそのような好意を持ってない人にも発正念をして三退させています。
欲望も修煉者たちが取り除くべきことです。幸いに夫も修煉者で、ともに法理に基づいて切磋琢磨しています。私たち修煉者の体は最終的に高エネルギー物質に変わり、一つ一つの微粒子も仏の形象になるもので、私たちが互いにそれを汚すわけにはいきません。この法理を分かってから、私たちは互いに助け合っています。彼が難を超えるとき、私は発正念をして助け、今の状態は彼自身ではないので早めに排斥するようにと教えたら、師父も私たちのために片付けてくださいました。私たちはすでにこの執着を取り除きました。
最後に同修たちに、淫らな写真や情報が載っている雑誌や新聞を徹底的に片付けるよう提案します。これらもこの関を乗り越える時の障碍になります。私たちを妨害するこれらのものに居場所を与えてはなりません。今日この文章を書いたのも、この方面で問題がある同修は落ち込まず決心を固めて着実に修めれば、必ずこの関を乗り越えられることを分かってほしいためです。旧勢力に引っ張られて、自分を台無しにしてはなりません。
最後に『転法輪』で師父が最後におっしゃった以下の法で励ましあいましょう。「本当に修煉を決意した人にとっては、もし耐えることができ、さまざまな利益を前にして執着心を捨て去ることができ、そういうものに淡泊になれたら、こういうことを真に実行できれば、難しいことは何もありません。難しいと言う人は、こういうものを捨てられないからにほかなりません。功法を修煉すること自体はそれほど難しくなく、次元を向上させること自体には、それほど難しいところはありません。人間の心を捨てられないから、難しいと言うのです」