(明慧日本)電話をかけようとするときにも邪魔が入ったりします。北米大陸と中国の時間差はちょうど逆になっていて、それに加えて自分は仕事をしなければならないので、毎日朝早くから電話をしていました。ある日の早朝、夜がまだ明けていないので、私は家族の睡眠を妨げないよう電気をつけませんでした。階段を下りる時、一番下まで滑って転げ落ちてしまいました。左足がおかしいと感じましたが、それほど気に留めずに電話をかけ続けました。終わったときに初めて、自分の足が大きく腫れ上がっている事に気付き、すぐに妨害だとわかりましたが、自分は更に真相を伝える努力をしなければなりません。なので、いつもと同じように学法と発正念そして真相を伝え、一週間後には完治しました。本当に師父のご加護に感謝しています。
この期間中は向上がとても早く、皆と一緒に電話をしたいと毎日思っていました。まるで法を得たばかりの時、家からとても遠い煉功場所へ毎日車で通っていた時のようでした。当時中国へ電話することの体験文章である『三言二語:中国本土に向けて電話で真相を伝える』、『三つの真相を伝える電話から思ったこと』が続けて明慧ホームページで発表されました。前者は主に心性の高まりと「三つの事」の重要性、後者は主にどのように脱退者数を増やしたか、衆生へ真相を伝える時どのように質を重視したのかが書かれていました。
中国に向けて電話をかけ始めてから自分の修煉情況が変わりました。それらをまとめて以下に書き留めます。
一、真相を伝える時、要点をつかめるようになりました。中国本土に電話をかけることで得た大きな収穫は、短時間で相手の情況をつかめるようになったことです(例えば、共産党と国家をはっきりと判別できていない、無神論など)。そして彼らに向けて真相を伝えるとき、相手の疑問を解くことができるようになりました。要点をつかめずに回りくどい言い回しを避けるためには、相手の問題や態度に動かされず、常人の思考に陥らない事です。最初は相手の問題に動かされやすく、答える側になりがちでした。大法弟子が真相を伝えるときには主体的でなければならないことを忘れやすく、結果、討論しやすくなり効果もよくありません。
二、中国に電話をかける中で、執着心を放下する良い環境を作り上げたことです。たくさんの人心を持っていては人を救えません。たくさんの学習者もこのような体験をしています。執着心を暴き出せば自分の心理状態が穏やかになり、大法や常人の仕事をするのにも大きな助けになります。自分の問題処理能力や効率がより上昇したように他人に感じさせます。なぜならば、たくさんの問題は人心が原因なのです(学習者との矛盾や協力しない状態なども)。たくさんの執着心を無くせば、矛盾に陥ることもなくなり、たくさんの問題を避けることも出来ます。師父が我々に要求した「三つの事」をしっかりとやる過程で、自分の心性が高められるのは、それによってもたらされた必然的な変化なのです。師父がおっしゃった「あなたは大法弟子ですが、あなたの社会での仕事は修煉ではありません。しかし、あなたの修煉は社会での仕事に反映されます。(『2005年サンフランシスコ法会での説法』)の法理を真に理解できました。
三、私は、修煉の状態が好ましくない時に国内に電話をすると、常人のことに興味を惹かれやすくなります。例えば、長時間かけて流行の電子製品をいじったり、常人たちが気にしているニュースに興味を持ったり(スーパースターのサッカーやバスケットボールの試合など)、人気のドラマを見たりしてしまいます。『大法弟子とは何か?』の中で師父はこのようにおっしゃられました。「これだけではありません。現代社会は七情六欲ではなく、七十情、六十欲以上あり、そうではありませんか? 様々な欲望があります。パソコンや携帯、iPadに執着し、情を持ったりしていますが、これは歴史上になかったことです。そうではありませんか?」と。このような怠惰の状態は間違っていることは分かっていますが、中々抜け出せないのです。しかし中国への電話を始めてから、学法や煉功、そして常人社会での仕事を確保するため、常人のことに目を向けるほどの時間や気持ちがありません。そして、中国本土への電話は全世界の大法弟子がそれぞれ比べ合いながら「三つのこと」をする正念の場です。このような環境の中で、他の学習者が精進しているのを見れば、自然と自分も追いつこうと思い、心の中ではどのように自分の修煉の状態を向上させ、効率よく真相を伝えるかしか考えていないのです。怠惰を求める心理は真相を伝える過程で自然になくなりました。師父の慈悲なるご加護に真に感謝しています。
これまでの修煉の道のりを思い返すと、自分の修煉の状態は大きく変わりましたが、師父の要求している目標までの距離はまだ遠いと痛感しました。特に「三つのこと」の、個人の修煉や真相を伝えるところではまだしっかりできていないと感じました。法を正す時期は最期となり、学習者として怠惰の状態が出てきたことが、師父の慈悲なる済度に対してとても申し訳なく思います。今回の教訓を受けて、ただ自分を修めて精進し、しっかりと「三つのこと」をやることで、法を正す時期に大法弟子に託された神聖なる責任を背負い、有史以前の大願を果たすことができるのです。
(完)