97歳の老年同修の修煉物語
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文/本人よ口述、同修が代筆

 明慧日本2011年12月28日】私は今年97歳です。1997年の春から法輪大法を修煉しはじめました。その前は、全身が病気だらけで、肺気腫、リューマチ性関節炎で手の関節が大きく腫れ、長期にわたる胃病、特に1958年に飢餓のためできたむくみもあって、当時私の頭は小さいたらいのようにむくみ、身体中がむくんでどこかを押したらそこが凹んでしまい、全身がむくんで光り、絶えず長い息を吐き出し、頭は空っぽで意識がはっきりしませんでした。数十年病気による苦しみを嘗め尽くしました。当時、どこかにいい医者がいると聞けば、いくら遠くても診てもらいに行きました。漢方薬、西洋の薬を飲みつくし、またたくさんの民間の処方を試しましたが、私の病気を治療できる薬はありませんでした。

 私が窮地に陥ったとき、私は大法と縁が結ばれました。息子の嫁が法輪功を半月ちょっとやったら、別人のように変わり、元気になりました。私は息子に「ニューニュー(孫娘の名前)の母をみてごらん。本当に煉功してから元気になったね。顔に赤みがさし、歩くと力強い」と言いました。息子の嫁は「私はいまになってやっと病気がなくなり、全身が軽いとはどういうことかを知りました。以前私がいろんな病気に見舞われていることを誰もが知っていました。私は他の人が得た病気を得たばかりか、他の人が得なかった病気も私は得ていました、法輪功をやったら身体がこれほど早く変わるとは夢にも思ってなかった」と言いました。

 これほどの法輪大法の不思議を目にして、私と息子も修煉を始めました。私たち3人は、師父の教える「法を学びて法を得る 比して学び比して修す 事々対照し なすところ至るは是れ修なり」(『洪吟』「実修」)にしたがって、3人で学法グループを作り、毎日、12時間一緒に学法し、場合によっては23時間学法しました。私は文字が読めなかったため、学法はいつも息子夫婦が読み、私は聞いていました。法を聞いていくなかで、私は多く受益しました。

 私は天目が開いたまま修煉しています。修煉する前に私の天目はすでに開いていて、他の空間のものが一部見えていました。ここではそれについては述べません。修煉してから、はじめて外で集団学法に参加し、家に帰ると、部屋の壁に大きな法輪が回っていました。はじめ私はそれが法輪であることを知らず、孫娘に「みて、壁になにか大きな丸いお花が回っているよ」と言いました。孫娘は「お婆さん、それはお花ではありません。もしかして法輪を見たのではないですか」と答えてくれました。私が書籍の中の法輪と照らしてみたら、まさにそうでした。ほかでもなく、法輪でした。数日後、私が煉功点で座禅していたとき、突然黄色の袈裟を着たひとりの和尚がやってきて、私の前で座禅していました。毎回座禅すると、彼は毎回こうして現われてきました。修煉したばかりだったので、これらが分からず、いつも本当か幻かを確認しようとしていました。一回、手で触ってみたら、それきり和尚は見えなくなり、現われなくなりました。

 修煉を始めてから、師父は私を加護してくださり、一つまた一つの関を乗り越えさせてくださいました。修煉を始めてまだ2カ月しか経ってないのに、私は全身の病気がすべてなくなり、歩くと身体はふわふわ舞い上がり、若者みたいでした。ご飯を食べるととてもおいしく、いくら食べてもお腹いっぱいにならないようで、寝るとよい香りがしました。199810月に、師父は私の以前の病気の根を徹底的に掘り出してくださいました。お話をしていた間、私は突然顔がむくみ始め、しかもとても素早く、すさまじい勢いでむくみはじめ、30分経たない内に、顔が小さいたらい程の大きさになり、全身が光っていて、どこかを押すとどこかが凹んでいました。修煉を通じて、1年以上前に既になくなった苦しみがまた現われてきました。全身がひどい風邪をひいたように、だるくて痛み出し、頭が重く、足が軽く感じられ、目を開けることができませんでした。この時、長年の肺気腫も再発して、私は吐き出す気が多く、吸い込む気が少なく、どの部屋でも私の呼吸する声が聞こえていました。十数日間寝ることもできませんでした。この時、私は座ることさえとても難しかったのです。ただ身体を横にして縮こまり、話す気力もなかったのです。隣り近所の人たちは私がそろそろ駄目だと聞いて、みな見舞いにきました。彼らは私に身体に気をつけるように慰め、お医者に見せるべきだったら、見せに行き、薬を飲むべきだったら飲んで、と言ってくれました。私は彼らに「皆さん、安心してください。私には何の問題もおきません。これは師父が私の過去の病気の根を掘り出していらっしゃるからで、すぐよくなります」、と伝えました。

 ある夜、私は元気を出して、座禅しました。しばらくして、誰かが私に「まだむくんでいますか?」と聞くので、私は「まだ、むくんでいます」と答えました。彼は「大丈夫です、少しずつよくなります」と言ってくれました。翌日の夜、座禅するとき、また私に「まだあえぎますか」と聞きました。私は「まだあえぎます」と答えました。彼は「大丈夫です、少しずつよくなります」、と言ってくれました。2日後の夜に座禅すると、やはりこのような質問がありました、しかし最後に彼は私に、彼は如来佛であると告げました。その時、私は本当に如来佛の意味を知りませんでした。夜が明けた後、子どもたちに話したら、みなとても感動していました。これは師父が私を悟らせておられ、私に強く生きていくように励ましてくださったのだと言いました。私は彼らに「病気がいくら酷くても、私は怖がらりません。ただ師父を信じ、大法を信じます。これこそ弟子に対する師父の加護ですよね」と伝えました。

 翌日の夜、11時すぎに、「病状」は突然更に酷くなりました。下痢が始まったのです。私はズボンをはくこともできませんでした。何回も下痢してから、ベッドに座ると、師父が黄色の袈裟を着て、ベッドの向こう側からベッドに上がってこられました。師父が脚をベッドの上に上げるとき、師父が足で袈裟を上へまくり上げると、師父は裸足であるのが見えました。(師父の法像のなかで座禅する写真も同じく裸足でした)。師父はこの時、ベッドに座り、私に「彼ら2人も煉功しているから、あなたも煉功しなさい」とおっしゃいました。

 この時、私は感動のあまり、どうしたらよいかわらず、涙があふれてどうしても拭いきることができなかったのです。そこに座って煉功するとき、私は自分がこの世で最も幸せな人間であると感じ、一生なかった幸せで、心地よさを感じ取り、その感覚は人間の如何なる言葉でも表せません。1時間後、目が覚めたら、師父はいつの間にかおられなくなっていました。夜が明けて目が覚めると、奇跡が現われました。身体のむくみが消え、あえぎもなくなり、下痢がとまり、病気がなく、軽やかな感覚がまた戻ってきました。本当に「柳暗花明又一村」でした。

 私の「病気」は治りました。これは私たちの近所でとても大きな反響をおこしました。みな法輪功は本当に不思議だ、これはまさに私たち自身が自ら目にしたので、法輪功は普通の法ではないと言いました。これほど酷かった病人が、これほど年とっているのに入院せず、薬を飲まず、一夜のうちにすべて治った、本当に不思議だ、私たちも学びたいと言いました。直接我が家を訪れて法輪功学ぶ人もいて、「このお婆さんが本当に信じているから、先生も本当に面倒をみてくださった」と言いました。

 修煉のなかで、心性が向上に追いつかなかった場合、私たちはに師父の法に照らしてみます。一度、私の身体には以前のように肺気腫の症状が現れ、息を吐き出すのも、吸うのもとても困難で、身体の感覚がなくなりました。私は息子に「これは黒い手と卑しい鬼らが私を迫害しているので、私は彼らを認めない、あなたは早く私を手伝って正念して、邪悪を消滅しなさい」と言いました。15分後、私の身体は普通の状態に戻りました。その後も2回異常な状態が現れましたが、一旦正念するとよくなりました。その時、私は少し喜びました。この邪悪は私の息子が正念するのを怖がり、一旦正念をすると解体され、消えるのです。こうして喜ぶと、邪悪に隙に乗じられました。

 私が孫と一緒にテレビを見ていたときに、孫に「あの数人は外国人なの、それとも中国人なの」と聞いたところ、孫は「自分で見てわからないの?」と上の空の態度で私に答えました。孫のこの言葉を聴き、私は怒りのあまり、ご飯を食べることも寝ることもできず、心のなかで「大胆に私にたてついて、あまりにも親孝行を知らない」と思いました。すると次の関がすぐやってきました。私は全身が浮腫み、酷い風邪をひいたように倒れて、起きられなくなりました。息子に正念を発してもらっても効かず、状況はますます酷くなる一方でした。師父は「われわれ一人一人がみんな内に向かって修め、一人一人がみんな自分の心性から探すようにし、うまくいかなかった場合は、自分に原因を探し、次回はうまくいくように努力し、何をしても人のことをまず考えるようにします」(『転法輪』)、と説かれました。

 師父は私にに向けて探すように教えてくださいましたが、過去において、私は何回か探してみましたが、探す方法を知りませんでした。今回は真面目に探すしかありませんでした。闘争心、恨む心、メンツを重んじる心、褒め言葉を聞きたがる心、よく怒ることなどなど、探してみたらびっくりしました。これらのよくない心を探し出したら、本当に不思議なことに異常な状態がすべて消えました。それから、私は師父の「心に向かって探す」という法をもって、一つもうひとつと難関を乗り越えてきました。

 この二つのことを通じて、私は師父が私を悟らせてくださっていると感じました。私は年とっており、身体もよくないし知識もないのをみて、私が修煉できるように自信を強めさせてくださいました。私はどうやって師父に感謝したらよいかわかりませんでした。毎回これを考えると、幸せの涙が絶えず流れました。80歳以上になった私に師父はこれほど、関心をよせてくださいました。私は必ずしっかり修煉して、師父に申し訳が立ち、大法に申し訳が立つようにします。師父は私にこの法の真実、玄妙、偉大さを見せてくださり、私はこれが夢ではなく、真実であることを知っています。師父と一緒に家に帰り、修煉して円満成就しようと思うなら、法をしっかり学び、「其の筋骨を労せしめ、其の心志を苦しめる」(『転法輪』)しかありません。

 知識がなくても、法をしっかり学ぶべきです。法をしっかり勉強してこそ、師父の要求されたすべてをしっかり行うことができます。私は1学法しないと、食べ物がおいしくなくなるし、ろくに寝ることができなくなります。翌日必ず前日に足りなかった部分を補うようにしています。本当に補うことができなかったら、私は孫と孫娘に法を読んでくれるように頼みます。また隣近所の人が訪れてきたら、お願いし、法を読んでくれる人がいなかったら、私は頭にまだ残っている法を暗記します。正念の時なのに、身辺に人がいないと、師父は毎回私の手、或いは肩を叩いてくださいます。目が覚めると、部屋には誰もいなく、時計を見るとちょうど正念の時間でした。最終的に私は睡魔に打ち勝ち、毎日ほとんど十数回正時に正念しています。

 法を実証するために、我が家を訪れた隣近所の人に対して、私は遠縁であるか近縁であるかを問わず、彼らに邪党の腐敗を伝え、天災、人災が絶えない世の中において三退して平安を守ることができると伝えています。場合によっては、息子夫婦が遅くなって、真相伝えに出かけると、私は彼らに早く出かけるように催促し、すべての時間をしっかり利用し、家のことは帰ってからやってもよく、これこそ邪党と時間を奪い合い、人を救う時だから、時間を無駄にしてはいけないと言います。私は常に考えます、私は纏足だから遠くまで歩けませんが、もし子どもたちが、もう少し多く大法を実証する仕事をしなければ師父に申し訳がなく、大法に申し訳がなく、大法弟子ではなくなると思います。

 はじめて投稿します。他人に代筆をしてもらっています。不適切なところについては、同修の慈悲なるご叱正を願います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/18/249653.html)     更新日:2011年12月29日
 
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