蘇軾の『書劉庭式事』を読んだ感想
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 明慧日本201228日】宋の時代の蘇軾(そしょく)1083年に『書劉庭式事』という散文を書き、友人・劉庭式について記した。当初劉氏まだ名を馳せる前盲目の女性を妻に娶る約束をした。名を馳せ、官吏になってから盲目の女性の者は、自分の身分が及ばないと恐れて、別の女性を娶るように勧めた。しかし劉氏は以前の約束を守り、盲目の女性を娶った。その後盲目の妻先に他界したが、劉氏は晩年になっても再婚をしなかったという。

 蘇軾この話を聞きつけ、劉氏を訪れた。蘇軾は「悲しみは愛より生じ、愛は色より生じるもの。あなたは盲目の女性を妻にし、彼女と生涯を共にしたのは「義」のためでしょう。しかしそれでは愛はどこから生じ、悲しみはどこから生まれるのでしょうか?」と聞くと、劉氏は「もし私は色によって愛が生じ、愛によって悲しみが生じるようになるのならば、色はいずれ衰えるときが来るし、愛と悲しみも必ず忘却されることでしょう。町で色目を送る娼妓ですら、妻に娶っても良いのでしょうか?」と答えた。それを聞いた蘇軾は感慨深そうに「あなたは富貴な人よ」と話した。その後蘇軾は他の人に対して「劉氏富貴とならずとも、必ず道を得ることでしょう」と話した。数年後やはり、劉氏は廬山に入り、修行を通して体から紫色を放ち、廬山を登るのは飛ぶが如き、穀物を絶って数年が経つ、と言われるようになった。

 この文章を読んだ私は思わずため息をつきました。千年前から見れば、現代の人間はもはや雲泥の差です。いにしえの人は恩義や徳を重んじ、たとえ情にしても道に符合しなければなりませんでした。色、欲、邪念は万人に悪として見なされてきました。夫婦のみならず、帝王と大臣の間、親子の間、友人の間にしても道義が唱えられていました。しかし今の人間はどうでしょうか。是非の判断すら失っていることは書くまでもありません

 法輪大法創始者・李洪志師父はアジア太平洋地区学習者会議での説法の中で「現在の人間は情をとても重く見ていますが、情はもっとも頼りのないものです。やさしくしてくれれば、喜びますが、そうでなければ、情はなくなります。これは頼れるものなのでしょうか? 情で人間の結婚生活を維持することができるのでしょうか? 人間よ、道義のほかに、夫婦の間に恩のことがあります。女性から言えば、自分の一生を相手に預けたことになり、男性はこの女性の一生を預かったので、責任を持つべきだと思わなければなりません。夫婦の恩というものは現在の人間には分からないのです。そういういい方もしないのです。もちろん、今はそういう社会状態ではないので、私もこのように皆さんに要求していません。大法弟子としてより良く行うべきであり、できるだけこれらのことがないようにしてください。」とおっしゃいました

 法輪大法は人を善に向かわせ、修煉しない人でも、李洪志師父の説いた法理の正しさを感じ取ることができます

 古人は欲が少ないがゆえ、道に近づくことができました。どんなに小さなことからも楽しみを感じ取り、自然の中で幸せを感じ取ることができました。現代の人は物質的に裕福になりましたが、欲をむさぼり、刺激を求めるがゆえ、いくら多く手に入れても満足することができません。物欲の追求が膨らむにつれ、人間の道徳も急に下落し、不倫、同性愛など、社会的な淫乱のため純白な女性すら見つけることが難しくなっています。

 なんと悲しいことでしょう 千年の差がこれほど大きいとは。大きい災いの直前の乱世とはまさにことことです。古人教えを思い出して、自分の言動を正しく導き、乱世の誘惑に打ち勝てば、必ず良い報いが訪れるでしょう

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/1/14/251798.html)     更新日:2012年2月9日
 
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