自我を放下し、大法を真に修める(二)
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――神韻チケット販売における修煉

文/カナダの大法弟子

 【明慧日本2012216日】

 二、内に向けて探し、常に心性を修める

 土曜日にチケット販売に行く途中、ある同修が携帯電話で他の同修と話し合いましたが、2人の考えが合わず、この同修は「隠す」と一言言いました。同修を送った後に私はショッピング・センターに行くつもりでしたが、結局道を間違えて完全に反対の方向に行ってしましました。これは自分に必ずか間違いがあると分かりましたが、一体どこが間違ったのでしょうか? 私は内に向けて探し始め、なぜ今日他人のトラブルが見えたのかと探し、突然同修の「隠す」という一言を思い出し、私にも何か隠している事があるのではないかと思いました。私は徐々に心の中に黒っぽいものが見えました。私には本当に「隠しているもの」があったのです。私にこのトラブルが見えたのは、自分の心にあった黒っぽい「隠しているもの」を取り除くためだったのです。

 私は正念を発し、この黒っぽい「隠しているもの」を取り除き、師父の説法を思い出しました。「またはこそこそして、高級住宅地でこちらに一枚、あちらに一枚とチラシを入れ、人の目に触れてはいけないことをやっているようです。確かにチラシを投函されると嫌がる人がいて、このやり方を認めない人がいます。しかし、それは用件に応じて判断すべきで、これほど大きなことで、人間は救われるのを待っているのです。やりすぎていなければ、相手は理解してくれます。本当に素晴らしく行なった学習者がいて、高級住宅地で堂々と相手のところに行って、落ち着いて説明したら、相手は非常に喜んで、あなたを待っているかのようです。実際はこういうことで、すべてが用意され、あなたが正念でそれを実行するのみですが、どうしても正念がないのです」(『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』)

 この一段の法は何度も勉強しましたが、私は毎回自分は「堂々とした」部類に属し、自分は「こそこそ」と「人の目に触れてはいけないことをやっている」とは思いませんでした。今日、自分の心にある黒っぽい「隠しているもの」を見つけましたが、それは「こそこそ」と「人の目に触れてはいけないことをやっている」ことと同じではないかと分かりました。表面は「堂々」としていましたが、心は「こそこそ」だったのです。師父は私のことをおっしゃっていました。私は早速心にある黒い「隠しているもの」を取り除き、昼食の後、私は椅子に座って正念を発し、これを取り除いたあと、まもなく心にある黒っぽいものが見えなくなり、金色の光が現れました。

 土曜日にチケット販売に行く前、第五功法煉功しましたが、ある影のようなものが妨害しているのを感じました。頭の中に雑念が現れ、取り除くことができず、発正念時、特にこの影のようなものを取り除き、薄くしましたが、まだ徹底的に取り除くことができませんでした。私は内に向けて探しましたが、これが一体何なのかを探しても分からないまま、チケット販売に行きました。

 私たちの組は3人で、皆順番に座って正念を発する時間がありました。ある私の番のとき、私は正念を発した後に戻りました。同修は私に、「私たちはあなたが見えませんでした。あなたがあちらに行ったのを見ましたが、どうしてここから出てきたのですか?」と言いました。私は口から出まかせに「それはね、他の空間に行ったから、あなたは見えなかったのですよ」と冗談を言いました。同修は「いいかげんなほらを吹かないで」と言いました。これを聞いた私は衝撃を受けました。そうだったのか、その影のような雑念はほらを吹くのが好きなことではないかと思い、私の心はすぐ楽になりました。

 師父は同修の口を借りて、私に指摘されたのです。それから妨害がなくなりました。夜の発正念のとき、私は再びそれをきれいにしました。そのとき、私ははっきり分かりました。その影のようなものは昔大陸で受けた党文化の教育よる、嘘や大きなことを話す習慣と観念で、知らずしらずのうちに現れていたのです。中共邪霊のものが私の身体に残っており、それをきれいに取り除かなければなりませんでした。

 金曜日に出勤したとき、上司は私に一つの仕事をやってほしい、急いでいると言いました。私から見ると、その仕事は簡単で何の意味もなく、私はやりながらも、この仕事は本当に意味がなく、時間の無駄遣いだと思いましたが、自分にか問題があるのではないかと気がつきました。その仕事が簡単でも意味がないという考えは、自分は偉いといつも思い、複雑でレベルの高い自分を顕示できる仕事が好きなのでした。私はそれが分かり、これは上司が私にこの仕事をさせたのではなく、明らかに師父が私に自分が偉いという心があるのを見られたから、この重要ではない簡単で煩瑣な仕事をさせて、私のこの心を取り除いてくださるためだと分かりました。これが分かった後、私は真面目に仕事をやり始めました。その、暖かいエネルギーが私の体に流れ始め、非常に気持ちよく、しかも長く持続しました。

 このようなことが一つ一つ毎日発生しました。今、私は何かに出遇い、念が動いて気持ちが良くない、目を外に向けず、いつも自分を見て、自分に何か間違っているものがあるのではないかと内に向けて探します。物事の表面が正しいか、間違っているのか、自分と関係があるか否かを見なくなりました。には、隣の2人の話私と完全に無関係でも、聞いて心が揺れたら、すぐ自分の内に向けてなぜ心が揺れたかを探す事ができるようになりました。

 ある日、私は明慧ネットの交流文章を続けて4篇見ました。本当に素晴らしいと感じ、毎篇が私に話しかけているようで、私にも同様な問題があり、大変恥ずかしいと思いました。以前、私は他人に自分の過ちを認めたくありませんでしたが、その日から、私は本当に心から認識できました。私はここで意識的、無意識的に、直接あるいは間接に傷つけたり、困惑をもたらした同修に心からお詫びします。全部私が間違っていたのでした。

 三、発正念

 発正念は師父が私たちに教えられた三つのことの一つです。ここで、最近の発正念の体験を皆さんと分かち合います。

 ある日、学法チームで学法の間に正念を発し、足を組み、掌を立て、発正念の語句を念じると、頭はさっと真っ白になり、なんの雑念もなく、発正念の全過程が非常に静かで厳粛で、暖かい巨大なエネルギーが外へ放出しました。自分が正念を発していることがはっきり分かり、いかなる雑念もなく、完全に無で静止していました。

 ある日、正念を強く発し、だんだん頭がなくなり、金色の光の中に溶けこみ、体もなくなり、30分の正念はただ一面万丈の金色の光を感じました。

 内に向けて探す事が習慣になった後、毎回一つの執着心を見つけると、正念を発してすぐきれいに除きました。ときには、1日に多くの執着心をきれいにしました。見つけたこれらの異なる執着と、きれいにした後の状態をはっきり感じる事ができ、私は暖かいエネルギーが体内を流動して異なる執着を取り除いているのをいつも感じ、ときには1日中暖かくて気持ち良いエネルギーを感じました。

 ある日、ショッピング・センターでチケットを販売しているとき、通る人はとても冷淡で、私は懸命に話しかけようとしましたが皆黙り、私はある奇妙な緊張を感じ、さらに少し怖いと感じました。私はこれが妨害だと分かり、この妨害の源を探し始めると、だんだん一つの黒っぽいものを感じ、さっそく正念を発しました。この黒っぽいものはますます薄くなり、最後にポンと消えました。効果はただちに現れ、再び人に話しかけるとき、苦労しなくても、人々は足を止め、私の話を聞き、そして興味がある人は自分からやって来ました。

 ショッピング・センターでチケットを販売するとき、ときにはわざわざ正念を発する必要がなく、人に神韻を紹介しているところで、エネルギーがさっと通っていきました。ある日、1人のお客さん神韻にとても興味がありましたが、家族と相談したいと外へ行きました。私は彼女に向かって正念を発し、彼女が神韻を鑑賞することを妨害する全て要素を取り除くと、そのさっとエネルギーが彼女の空間場に打ち込まれ、黒っぽいものがその空間場から外へ落ちたと感じました。私がその客に一言言うと、彼女は私を見てぼうっとし、その後戻ってきて、家族との相談はいらないです。今チケットを購入しますと言いました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/1/29/252424.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/2/12/131417.html)     更新日:2012年2月16日
 
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