観念を変え、色欲を取り除く
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文/中国の大法弟子

 明慧日本201238日】)色欲は修煉者にとって大きな関門です。この関門を乗り越えるには法理上ではっきり悟り、観念を変え、自分に対して厳しく要求し、意志を強めなければなりません。自分の発した念が正しいか否かを確認でき、真に修め、着実に修められれば、修煉において向上することができます。この方面において、戸惑ったり苦を舐めたり、堕ちたり長期にわたって魔難から抜け出すことができず、向上できない同修がいるのをみて、同修の向上に助けになることを願い、私のこの方面での体験と悟りを交流します。不適切なところについては慈悲なる叱正を願います。

 一、私の婚姻

 私は28歳のとき結婚しました。妻は気性が激しく、人情と道理が通らない、金銭が大好きな人でした。私たちはいつも殴りあっていました。一度、私は怒りのあまり、彼女をとても酷く殴りました。事後、私はとても後悔しました。ある年、新年を祝う時のことですが、妻は私と一緒に私の両親の家に挨拶に行かないばかりか、私にも行かせませんでした。年が明けて、私は妻に言わずに、密かに両親の家に行き、新年の挨拶をしてきましたが、それを知った妻は結婚記念写真を床に投げ捨て、また私の洋服を破りました。当時、衝突事件はあまりにも多かったのです。私はいつも彼女に怒られて胸が痛くなり、自分の不幸な婚姻について、非常に苦悩していました。

 大法を修煉してから、状況は大きく変わり、それほど怒らなくなりました。大法が迫害されてから、私は不当に監禁され、仕事を失いました。妻は怒り出し、私と息子を残し、お金だけ持って去りました。私と息子は両親の家で困難な生活を送りました。その後、ある親戚から、彼女(妻)がひとりのコックとしばらく生活したのち、別れたと聞きました。3年後、彼女は帰ってきて、自宅(我が家)を売りました。翌年になって、彼女は私と協議離婚しようとしましたが、私はそれに同意しませんでした。彼女は裁判所の人を家に連れてきて、その場で開廷し、離婚を宣言しました。無理やり離婚した後、彼女は裁判で支払うように決められた子供の扶養費を払いませんでした。

 はとても気軽にこれらのことを話せますが、当時は本当にとても苦しいことでした。これには自分の修煉の不足によるものもありましたし、更に邪悪による邪魔もありました。一言でいうと、これは修煉の過程でした。私は今、慈悲を持って、この迷いの中にいる生命に面と向かうことができます。彼女の一世、一時をみず、彼女に美しい未来があることを願っています。当時、巨大な難に直面しましたが、私は倒れることなく、迷うことなく、確固たる意志で大法を修め続け、その状態から抜け出して、向上することができました。これは最も得難いことでした。現在は観念を変えて、人間の理はすべて反対の理であることを理解できました。私が悪い縁を返し、業を滅し、心性を向上させることができたことは、本当に良いことでした。

 二、色欲は私ではないことをはっきり見分ける

 学法を通じて、人間は六道の中で輪廻し、主元神が植物や石に転生した時は、異性に対する欲望いため、人の本当の生命は元神であり、元神には色欲がなく、色欲は人身を持った後に後天的に形成されたもので、それは人間の状態を維持するための一種の生存状態であり、この方面のことについては魔が管理している、ということが分かりました。修煉者の身体は陰陽の均衡状態に達することができるので、色欲は常人ほど強烈でなく、しかも、絶えず煉功するに伴い、身体は高エネルギー物質に絶えず転化され、神の身体に変わります。神には色欲の心がありません。神は、これを非常に汚いことだと思い、「高い次元から見れば、常人は社会の中で、まるで泥んこ遊びをしているようなもので、汚さも知らずに地面で泥まみれに遊んでいるのです」(『転法輪』)これが神の認識と感覚です。人間だけがこれを良いことだと思い、楽しく享受して、それに憧れ追い求めています。私たちは観念を変え、それをはっきり見分けて取り除き、それに制御されて喋ったり、行なったりしないようにしなければなりません。

 色欲も物質であり生命であり、常にエネルギーを補充しようとします。そうしないと、それは衰えていき、時間が長くなると死んでしまいます。それはどんな方法でエネルギーを補充するのでしょうか? 人に過去のことを思い出させたり、想像させたり、本と新聞を読ませたり、テレビを見させたり、歌を聞かせたりします。そして、喋らせたり、行動させたり、思わせたりするなかで、エネルギーを補充するのです。それは人間の各器官を制御して、人に偽りの楽しみを得させ、身体の快感を享受しているような幻覚をもたらし、精神的に満足させ、人を完全に世の中に迷わせます。 

 人は目覚めようとせず、制御されて数多くの業を作り、比類なく苦しくなります。私がこれほど大きな難に遭遇したのも、常人の時にこの方面で大きな業を作ったからです。私たちは必ず冷静にならなければなりません。人間世界で苦を舐めることは良いことで、楽を享受することは悪いことです。修煉者は強いエネルギーを持っているため、少しの不注意から、自覚していなくてもエネルギーを補充してしまい、それはあなたに害をもたらします。更に、魔が色欲を強くさせますので、修煉者は必ず自己をしっかり制御し、雑念を払い、欲情をなくし、長期にわたって確固たる意志で真に修め、着実に修めてから、やっと色欲を取り除き、大法の要求する基準に達することができます。

 三、私個人の悟りによる、修煉者に対する大法の要求基準

 「あなたはそのことで家庭を壊してはいけませんので、今の段階ではそれに淡泊でいて、正常で睦まじい夫婦生活を保っていればよいのです。将来、一定の次元に達したら、その次元での状態がありますが、今はこういう状態ですので、あなたにこういうふうにするよう要求します。ただし、いま社会に見られるようなあんな状態になってはいけません。それはとんでもないことです!」(『転法輪』)

 大法は高次元ではどう語っているでしょうか。「将来、高い次元で修煉する時になれば、わたしが教えなくても、どうすればよいかあなた自身が分かります。その時は、違う状態が現われてきますが、和やかな生活を保っていれば結構です」(『転法輪』)法に基づいて法を認識し、上記の2段落の法を比較してみると、2段落目の和やかな生活には夫婦という2文字がついていません。即ち、高次元まで修煉すると、夫婦生活がなくても、睦まじい状態に至ることが可能で、高次元では徹底的にを断たなければなりません。

 一部の人は悟りましたが、現実において、なぜ実現できないのでしょうか? それはあなたが下記の法の通りにできてないからです。「先日、わたしは『佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる』ということをお話ししましたが、それはつまり、われわれの身体から発散されたエネルギーが、あらゆる間違った状態を正すことができるということです。したがって、この場の働きの下で、あなたがそういうことを考えないかぎり、知らずしらずのうちにあなたの配偶者も制約を受けるようになります。あなたがそんな念を起こさなければ、あなたはそんな念を起こすわけもないのですが、相手もそのことを思いつきません」(『転法輪』)

 即ち、普段から自分のすべての考えを把握することができず、色欲の邪念を動かし、真に修め着実に修めることが出来なかったからです。これらのことについて、同修はすでに多く交流したので、私は語りません。また、各種の人心や、観念を変えることができず、多くの心配の心を放下していなかったため、もたらしたこともあります。

 四、正しくない人心や、観念を変える

 私たちは常人社会で修煉しているため、配偶者がいます。同修からは常にこういう話を聞いています。「私が欲を断とうとすると、主人は私に喧嘩を売ってきます」「欲を戒めると家族が理解してくれないし、これは法を破壊することです」「主人は長期にわたり、他所にいて、この家庭のために仕事をし、苦労していますやっとのことで帰宅した、主人に要求されたら、私はどうしても妻としての責任を果たさないといけません」「人生は苦しくて短く、家族は修煉しておらず、このくらいの楽しみしかありません。私が大法を修煉しているため、家族をびくびくさせていますが、私が欲を絶とうとすれば、それは彼に対してあまりにも申し訳のないことです等々。これらは全て人心や観念です。自分に枠を作ることになり、まるで先に自分のために穴を掘り、後でその穴に飛びこむことに等しいのです。数年間、十数年間もその穴から飛び出すことができず、次元を向上させて欲を断つことはなおさらです。なぜなら、あなたは法理上ではっきり悟らず、観念を変えていないからです。

 修煉はまさに人間の考え方を修めることです。すべては「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)なのです。あなたが法理上正しく悟っていれば、関を乗り越えることができます。しかし、あなたの正しくない考えは、師父があなたを助けることを阻んでいます。

 あなたは配偶者に「私が修煉することを助けるべきです。これはあなたが世間にやってきた本願です。あなたは自分の色欲をしっかり制御して、静かにそこにいなさい私を邪魔しないでください」と考えるべきです。即ち、自分を純粋にさせると同時に、彼の元神と交流し、また師父に加持を依頼し、発正念をして彼の色欲を取り除けば、状況は変わるはずです。私たちはまた「欲を断つと、私たち夫婦は更に仲よくなり、主人は私が三つのこと行うことを更に支持するようになる」と考えるべきです。これは大法の威力であり、修煉において必然的なことです。

 師父は私たちと家族の色欲という物質を一気に取り除くことができます。これは師父にとって、非常に小さなことです。しかしそれでは、私たちの修煉ではなくなります。ですから確固たる信念を持って、着実に修煉しないといけません。ある同修は『西遊記』のなかで、皇后が妖怪に無理やり連れられて行かれ、結婚させられる羽目になった、神が彼女に宝物を一つ渡すと、妖怪は皇后に近づくことができなくなったことからこの同修も師父に同じ宝物を下さるようにお願いし、結果として欲を断つことができました。実際、多くの同修はとてもよくできています。しかし、一人で修煉する場合、色欲を取り除くことはとても厳しいのです。

 五、一人で修煉しながら、色欲を取り除いた体験

 私は以前色欲がとても強く、それが原因で体はあまり健康ではなかったのです。33歳の時、妻は私から離れて行きました。当時、私は時が経つにつれて、体がとても苦しく感じました。私は、これは色欲がエネルギーを補充しようとしていることが、私の体に現れた反応だと知り、修煉する意志を固め心性を守りました。後になって、色欲は弱くなり、少しずつ消えていきました。欲を絶って、すでに13年になります。私が欲を断つことができるとは、本当に想像もできないことでした。これはすべて佛法無辺の具体的な現れです。

 修煉者は天の理に従って行います。常人にとって、天とは天帝のことであり、天が人間のことを管理すると言います。私たちは過去の天は旧勢力であ、具体的な現われとしてそれは円盤ですがはなくなっており、現在の天は大法の師父であることを知っています。婚姻はそれを管理する神が実在します。私が思うには、修煉していない時によく行わなかったとしても、は修煉を始めており、大法の要求に従って、自分に対して厳しく要求し、未来の人類に模範を示すべきです。

 一部の同修はこの方面においてよくできておらず、迫害されて病気になったり、監禁されたり、肉体をなくしたりしたのをみて、私は修煉の厳粛さをしみじみ感じ、修煉を緩めてはいけないと思いました。修煉は身、口、意を重んじます。一人で修煉する場合は主に意を修煉します。以前、妻と仲が悪く、円満な婚姻に非常に憧れ、時々温和で徳のある同僚のことを思い出していました。時には夢の中にその同僚が現われてきました。後になって、人の運命は自分が想像して按排できることではなく、修煉者は妄想してはならず、感傷的になってはならない、と悟りました。修煉者が人心を動かして、ものを考えることは、実は人に害を与え、自分にも害をもたらすことであると分かっています。なぜなら、法理上「昔、僧侶は念を起こすと業を造るというので、これらのことを非常に重く見ていました」(『転法輪』)からです。

 修煉には近道がありません。長い間、私は絶えず様々な試練を経験してきました。人心が起こったときは、別れた妻が夢中に現われたり、あるいは私に女性を紹介してくれる人がいたり、また自ら私に近づこうとする女性がいたり、また女性の同修との間に邪魔や試練が生じました。これらはすべて私の空間場がきれいでなく、修煉を緩めたため招いたものです。法を多く勉強し、厳しく自分を要求すれば、しっかり乗り越えることができます。

 「歴史においても、あるいは高次元空間においても、人が修煉できるかどうかを判断するのに、人の欲望、特に色欲のことが重視されてきました。ですから、それらには本当に淡泊でなければなりません」(『転法輪』)

 法を正す最後の段階において、同修が色欲を取り除き、全体的に昇華し、全体的に向上できることを望みます。

 以上は個人の理解であり、正しくないところについては、慈悲なるご叱正をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/2/29/253627.html)     更新日:2012年3月9日
 
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