文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年3月10日】ある日の夜、私はインターネットで同修と交流し、最初の幾つかの文字を打っただけで、左の腹部に急に激痛が走りました。本題の話が書き終わり、私は最後にもう一つ「私は今ひどい腹痛に襲われ、耐えられません」と加えました。メールを送った後、私は座って発正念しましたが、心の中に仕事のことがずっと気になって、頭を静かに出来ず、発正念の効果もありませんでした。しばらくしてから、同修から「発正念して取り除いてください」との返信がありました。そして、私はやっと仕事のことを置いておいて、発正念をやり直しました。しかし、発正念をすればするほど、腹部はますます痛くなり、元は左の腹部だけですが、腹部の全てが痛くなったと同時に、吐き気や嘔吐も現れ、気絶しそうになりました。最後に座っていられなくて、腰が曲がって強く腹部が押され、それを通して痛みを和らげるようにしていました。その一方で、どんな原因でこの問題を起こしたのか、私は頭の中でずっと考えていました。いきなりこのことを意識しました。先に、同修に手紙を書いた時、同修から慰めてくれてほしいという潜在意識がありました。常人のように体が不快な時、家族の人や友達からの慰めがもらえたら、効果があるかどうかを問わずに、心の中で何とか安心できます。この執着心を意識してから、私はすぐ、他人からの慰めを求める心を取り除き、私は神様であり、こんなことは要りませんと発正念をしました。そしてすばらしいことが起こりました。この念を発した後、腹部の痛みはすぐに消えて、完全に治りました。まるで何事も起きなかったかのようでした。
突然私は、師父が『大ニューヨーク地区法会での説法』でおっしゃったことについて新しい理解がありました。「長きにわたって、一部の学習者はどうしても根本的な執着を取り除いていません! 最後まで溜まって、乗り越えられなくなり、難が大きくなりました。問題が現れたら、心性から探し、根本から自分を高め、真にこのことを放下し、他の方面から正々堂々と歩んでくるのではなく、そのことに対して、なぜこれをまだ乗り越えられないのでしょうか、今日少し良く行なったから少し良くなるはずで、明日更に少し良く行なうから、更に少し良くなるはずだと考えています。このことをいつも放下することができず、「私は良く行なっている」と見た目では放下しているように見えます。あなたが良く行なっているのはそのことのためです! あなたは本当に大法弟子として行なうべきことのために行なっているのではありません!」
数年前のことを思い出しました。その時、私はこの都市に来たばかりなので、人も環境もあまり分かりませんでした。ある日、私は靴の修理に行き、待っている途中に、靴を修理していたおじさんに真相を伝えました。私が話している途中、二人の若い男性がやってきました。中の一人は怖い顔をしていて、私の恐怖心が出て、話していたことを止めました。その二人は座っておじさんに話掛けました。私は心の中で冷静になれず、人に会ったことは縁があるので、彼らに真相を話すべきだと思いましたが、その怖い顔を見て、私は悪人に会ったと心配して、ドキドキしていました。その後、私は自分の観念を突破し、一人が故郷のアクセントで話しているのをを聞いて、その人に話かけ、大法の真相を伝え、自分がひどく迫害された経験を言いました。話す過程の中で、隣の人はずっと黙って何も言わずに厳粛な顔をして私を見ていました。これを見た私は再び怖くなり、彼に通報されるかもしれないと思いました。これは正しくない考えだとはっきり分かりましたが、いくら取り除いても除去できませんでした。しかし、急に考えが変わって「私は彼らを救っています。人は自分を救う人に通報せず、危害を加えることもしないからです」これを思った私はすぐにほっとして、心も安定しました。ほぼ同時にその顔の怖い人は突然優しい声で「恐れないで。この都市では、誰もあなたを害することは出来ません。自分の仕事だけを良くすれば、あなたが何を信じるかを誰も妨害しませんから」と慰めてくれました。彼の話を聞いた私は、その当時の気持ちを言葉では表せませんでした。後になって、私たちは友達になり、よく会うようになって、私の環境が変わるまで、彼らと連絡をずっと取っていました。
ずっと前から、真相資料を配っている時、私はいつもこんな考えを持っていました。「私は人を救い済度するから、誰も私を迫害してはいけない、妨害してはいけないのです」毎度、私が真相資料を配るすべての過程の中で、ずっとこのような「正念」を発しました。「私を迫害や妨害しようとする全ての邪悪を取り除こう」発正念の時、人を見たら、直接一文字「滅」を、その人に発して包んでいて、その人をコントロールして、大法弟子を迫害しよう邪悪の要因を取り除こうとしていました。私はこの考え方が正しくないと意識していませんでした。ある日、私はまた同じ考えを持ち、急に前の経験を思い出し、実はこのような考え方には隙があると意識しました。それは潜在意識の中で、人々を私の対立面に押してしまい、人は私が真相の資料を配ることを見て、きっと警察に通報するからと私は思っていました。人々を悪い人だと思い、だから邪悪を取り除きました。本当は慈悲なる心を持っていませんでした。このことが分かってから、私は自分の観念を変え、「私は人を救い済度します。世の人々の分かっている部分は皆、切望して感激しますので、誰も私を通報することはしません。私に対して悪い心を持つ人もいません。その時、私は一つの巨大な空間が開けられたことを感じ、目の前に見せてくれました。心の中で、前のようにいつも緊張していた感じはなくなり、代わりに感じたことは気楽さ、落ち着きと平和でした。
ある早い時期のことを思い出しました。その時、私は保釈され審査を待ち、監視されていた頃で、両親と一緒に農村の実家に住んでいました。両親は私の経歴を村民に知られたくなく、笑われることを心配していました。特に、関係のよくない人に笑われたら恥だと思っていました。実家の対面には叔母の家があり、我が家と長年不仲で積年の恨みがありました。両親は何度も、私に私のことを彼らに言ってはいけないと警告していました。私はこの観念に一度妨害されましたが、心の中で彼らに真相を伝えるべきだとはっきり分かっていました。私は長い時間を使ってこの観念を突破しました。ある日、両親とも不在でした。私は正門の前に座って日向ぼっこをしていた叔母とおしゃべりして、真相を伝えました。私は少しだけ話しましたが、叔母は私にこう言いました。「法輪功はすばらしいですよ。特に君の叔父は、法輪功が海外でどんな活動をしていることなどを聞いて、とても感動して特に支持していました。彼が言った話を私は真似できません」しかも、叔母の弟は昔、法輪功を修煉していましたが、弾圧が始まった後、怖くて修煉をやめたとのことも話してくれました。叔母の弟は母親に大変親孝行をしていました。たくさんの兄弟の中で、彼は一番いい子でした。当時、これを聞いた私はあまりにも不思議だと感じました。私はこんなに心配して、長い時間で遠慮したことでしたが、真相を伝えてこんな結果が得られるとは考えたこともありませんでした。その後、叔母は何度も他の人に、私の家で一番善良で良い人は私ですと言いました。それは叔母が真相が分かって大法に支持して認めたことだと私は分かっていました。
つい先頃、新しく買ったプリンターは2ページだけを印刷した後、突然黄色のインクが出なくなりました。何度もクリーニングをしましたが、変わらず黄色が出てきませんでした。どういうことでしょうか? インターネットで質問をしましたが、すぐに返事がもらえませんでした。その時はもう午後でしたが、元の計画では夜に神韻のポスターを貼りに行く予定でした。そして、私は座って、プリンターが正常で印刷できることを妨害した全ての要素を取り除こうと発正念をし始めました。正念を発していた時に、とても疲れたと感じ、精神がひどく緊張していました。長く発正念してから、再び印刷してみましたが直りませんでした。私は心の中で慌てて、どうして効果がないのかと思いました。私は落ち着いて自分自身を考えていました。黄色は仏家の色なので、プリンターの黄色が出て来なくなったのは、私に仏性が足りないせいでしょうか? たくさんの人心があるのでしょうか。どうしてでしょうか。そして突然、自らの色欲の執着心をきれいに取り除かなかったためだと意識しました。私は悪い思想が時々出てきて、大部分の時はその考えを排除することが出来ました。しかし、一部の時はその思想に引かれたこともあり、ずいぶん長い時間が経って、ようやく意識して目が覚めました。ですから、私は自らの色欲の心を取り除こうと発正念しました。それを駆除した後、私は落ち着きました。この時、プリンターのテストをし、黄色が正常に出てきました。その日、予定通りに神韻のDVDとポスターを印刷して、外へ貼りに行きました。
近頃、修煉すれば修煉するほど、このことを意識しました。「一つのことにぶつかり、それを解決しようとすれば、いくら考えても解決できずに、考えれば考えるほど疲れて、疲れ切ってしまいました。しかし、もし観念が変われば、目の前の問題から抜け出し、柳暗花明(注:柳暗花明又一村。行き詰まったと思えても、新たな展望が開けるという意味)の状態が現れてきます。
これは修煉中の体験であり、同修とお互いに学んで交流します。不適当な所がありましたら、ぜひご指摘ください。