文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年3月27日】身体への魔難を2年あまり経験して、修煉の道でぐらつきましたが、慈悲なる師父は旧勢力の按排から私を救い出してくださいました。この体験を通してみなさんと交流したいと思います。固く師父と法を信じ、真に修煉すれば、修煉の道を正しく歩み、旧勢力の按排を徹底的に否定することができ、師父の済度に背かないことになります。
一、魔難
私は1997年末に幸いにも法輪大法の修煉を始めました。個人修煉の段階で大法が病気をなくし、体を健康にしてくれる不思議な力を体験し、人間としていかに生きるべきかを学び、新しい人生を迎えました。しかし、私は真に理性的に大法を認識することができなかったため、邪悪が1999年の「7.20」から大法の迫害をはじめ、集団での修煉の環境を失ったことで、幼い時から両親が中共邪党の迫害を受け、辛い経験をしたことで大きな恐れる心が生まれ、だんだん修煉が緩んでしまい、常人の色々な誘惑に惑わされ、どんどん深く落ちていきました。その間に師父が何回も夢の中でお告げを下さったにも関わらず悟りませんでした。2007年3月、体に異変を感じ、病院で検査した結果、乳がんと診断され、すでに中期に入っており、リンパと胸の筋肉に転移していました。手術後、医者は引き続き化学療法と放射線などの治療をして、効果がよければ10年か8年ぐらい生きられると慰めました。当時私は46歳でした。
その時私はやっと何を失ったかを意識しました! 大法を得ましたが大事にせず、このままでは大法とすれ違ってしまい、この千万年の機縁を失ってしまうと、後悔の気持ちでいっぱいになりました。師父の写真の前で跪いて懺悔し、もう一度機会を与えてくださいと師父にお願いしました。夫は修煉していない常人なので、病院で更に治療を受けるように強く主張しました。師父は大法弟子を1人も落としたくないので、私にまだ修煉したい決意があるのをご覧になり、環境を変えてくださいました。血液検査の結果、私は化学治療も放射線治療もできないと診断されました。私は根気よく分かりやすい法理で夫を導きましたので、以前私の身に起きた奇跡を通して大法の素晴らしさを経験したことがある夫は、最後に病院での治療を諦め、私の修煉を支持してくれました。
私は再び精進するようになりました。毎日仕事と家事以外に、法を勉強したり、暗記したり、正念を発したり、明慧ネットの同修の交流文を読んだり、家庭資料点を作り、小冊子や『共産党についての九つの論評』を印刷したり、DVDを作って配りに行ったり、同修と一緒に真相を伝えに行って「三退」を勧め、縁ある人を救い済度しました。毎日3時間しか寝ませんでしたが、元気いっぱいでした。
2010年、よく熱が出て胸が痛くなり、それから背中が痛くなりました。夫は、これは乳がんが転移した症状で、痛みは引き続き腰まで移り、大小便を失禁し、治す事はできず死んでしまうと言いました。私の同僚も確かこのような状態で亡くなりました。私は夫に「大丈夫よ、常人の理は私に効きません。私には師父がいらっしゃるので、修煉者には病気がありません。すべては虚像です」と言いました。
しばらくして腰が動かなくなり、座ったら立てなくなり、立っていたら座れなくなり、ベッドで横になったら寝返りができず、起きることもできなくなりました。食欲もなく、体重はすぐに70キロから50キロに落ちました。10月には激しい頭痛がおこり、右目を失明し1日中寝られず、全身が痛んで歩く事もできませんでした。胸の骨と背骨が変形して猫背になり、胸の骨のところが乳房ぐらい大きく腫れ、両側の肋骨も変形して、身長が172センチから165センチになりました。咳や痰も多く、咳の痛みで呼吸困難になることも数回ありました。2011年1月、連続して2回鼻血が出て、毎回1時間以上続き、家族はとてもびっくりしました。彼らは絶えず「法輪大法は素晴らしい」「真善忍は素晴らしい」と念じました。私は「怖がらないで、師父がいますから。法もあるので、乗り越えられない山はありません」と家族に言いました。それから私は更に衰弱して、顔も頭も腫れて、目も唇も血色がなくなり、掌も真っ白になって、よく眩暈をし、嘔吐しました。
同修たちが毎日2人ずつ来て私と一緒に法を勉強して交流し、正念を発しました。同修たちの無私の支えは家族と親族に大法の美しさを示しました。
頭はますます痛くなり、我慢も限界に来たので、痛み止めの薬を飲み始めましたが、だんだん激しくなって、薬も効かなくなりました。2011年3月、頭は激痛のため、包丁で頭を切っているかのようで、気が狂わんばかりになりました。師父に助けを求めても軽くなる傾向はなく、私の意志は崩れ、病院へ行きました。私は夫に「私の人生は大法に出会って、とても光栄に思っています。もし師父が守って下さらなかったら、すでにこの世にいません。私自身が修煉の機縁を大切にできず、自分に魔難を招いてしまいました。魔難から抜け出せないのは、法理がはっきり分かっておらず、正念も足りないからです。今日病院へ行くのは、常人の病院が何かを変えてくれると思っているのではなく、苦痛に耐えられないからです。頭の痛みを止めてくれるだけで十分です」と言いました。
この時すでに車椅子に座っていました。病院で様々な検査を経て、癌は脳へ転移し、骨へ移転し、肺へ移転していました。悪性貧血と診断され、激しい頭痛は脳内にたまった水の圧迫により起きていました。医者は夫に「退院しましょう。奥さんは科学治療も放射線治療もできません。点滴くらいなら一般の病院でもできますから、入院する必要はありません。奥さんはいつこの世を去ってもおかしくありません」と言いました。
師父は『ロサンゼルス市法会での説法』で「この場合、二通りの選択しかありません。一つは病院に行って、関を乗り越えることを止めます。もう一つは、心を徹底的に放下し、れっきとした大法弟子らしくなり、怨みも執着もなく、残るか去っていくのかを師父の按排に任せます。このようにすることができれば、つまり神なのです」と説かれました。この関を乗り越えられなくて、とても残念でした。魔難の中でよくこの法を暗記したので、自分は生死を放下できると思いましたが、真の試練が来たときこそ本当の試練です。
この時、同修たちも家に来られなくなりました。同修たちが助けてくれた事を警察が把握したのです。2011年9月、私は体の痛みで何もできず、胸に鉄板があるように感じ、肺も働かないように感じました。この難が長く続いたため、正念もますます足りなくなって、胸に水が溜まっていると思い、溜まった水を取り除いてほしいと病院へ行きました。病院へ行ったら、腫瘍科の主任は3月に撮った私のMRIを見て驚き、夫に「このような場合3カ月を超える人はいない。奥さんがまだ生きているのは不思議だ」と言いました。
医者は、私の外国にいる息子を呼んで最後の面会をさせ、1カ月は生きられないと言って、退院させました。私の状況は更に悪化して、毎朝目が腫れて少し隙間が開くだけでした。毎日熱と咳が出て、脚も腫れ、お腹も腫れ、排尿はズボンにしてしまい、体重は45キロしかありませんでした。1日中朦朧として、目も開かず、話もできませんでした。
(続く)