世間の混乱に直面して、何も執着せず何も求めない
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文/一言

 【明慧日本2012330中国国内のある同修からこういう話を聞きました。最近、王立軍と薄煕来の事件がホットな話題となっていて、会社の同僚もみなこの話をしていました。帰宅した同修は大紀元のウェブサイトを開き、連続して何篇か関連するニュースを読みました。翌日の朝、煉功する際に、その同修は頭の中に続けざまに関連ニュースの内容が映り、いろいろ連想させ、また根拠もない想像までさせて、頑張って排除しても、心を静めることがとても難しかったそうです

 その同修は、頑張ってやっと煉功を終えましたが、とても苦し感じ、自分が邪魔されたと分かりました。心を静めて、内に向けて探してみたら、大きな問題があることに気づきました。血の債務をいっぱい背負っている、薄と王に罰が当たったことにとても喜びましたが、それは歓喜心でした。中共内部で腹を探り合って暗闘しているのを見ると、とても刺激を感じました、それは闘争心でした。あの総理がちょっと正義感を見せているのを見て、胡錦濤と温家宝勢力が江沢民勢力を徹底的に消滅することを望みまし、それは常人が大法に対して何かやってほしいと思う望む心と依頼心だった等など。ここまで思いついて、同修は驚きました。自分の心がどうして修煉の方向からずれたか、これらの心はすべて人心ではないか、もし自分の持っている人心のせいで、旧勢力が胡と温を悪くさせ、いまの中共の動きを妨害したら、それは法を正す進展を邪魔したことになり、すると、自分はまたどのようなことをしたことになるのか、と思うようになりました

 中新二号とコリアサット5の通信衛星を通して、新唐人テレビ電波を中国大陸送れるようになってから、中国国内の一部の地区では、受信機のサイズに関わらず、比較的安定した信号を受信して、新唐人のプログラムを見ることができるようになりました。これは本来良いことですが、一部の同修はそれによって、ある正しくない状態が現れています。それは、新唐人テレビ局が放送する時事ニュースにとても執着し、常人の観念を持って常人社会の天象の変化を追及し、これらの情報を、真相をはっきり伝え、世の人々を救い済度する素材としなかったことで。ひいては、一部の同修は物好きになって、毎日の集団学法発正念の間の時間にさえ、好奇心を持って自慢げに、中共メンバの異動とその行方を話していました。まったく修煉者の慈悲の角度からではなく、理性的にこれらの時事ニュースをいかに収集して、世の人々を救い済度する真相素材とするかの交流ではありませんでした。

 私は同修の言った話を聞き、これは同修の間で互いに注意し合い、みなすぐに気をつけないといけないことではないか、と思うようになりました。

 天象の変化の下動く人がいなければ、それは天象と言えません。しかし、もし大法弟子のある心があまり強すぎると、かえって旧勢力が物事を悪い方向へ向かわせることを促してしまいます。例えば、あの総理(朱鎔基総理は本来法輪功に対する迫害を反対していましたが、旧勢力は学習者の持っている人心を口実に、彼を反対側へ押し向かわせ)のこと、2005年の中共四中全会(江沢民が失脚し、本来はずっと大法を迫害していた江沢民勢力が致命的に消滅されるべきでしたが、多くの学習者がとても強い人心を持っていたため、旧勢力により、政治局に新しく追加されたメンバはほとんど江沢民派の人だった)、国連人権委員会、北京オリンピック等などのことも同じです。十数年来、大局に際して、多くの学習者がとても多い、かつ重い人心を持っていたため、かえって反対の働きをし、願うとおりに行かなかった教訓はすでに十分あります

 法輪功学習者は迫害の張本人である「江、羅、劉、周」を法律により裁くことを要求しています。この4人の、江はすでに悪い役を演じ終え、植物人間になっていて、管を身につけて延命している状況です。薄煕来、周永康は江の残存勢力であり、悪の限りを尽くしたので、とっくに失脚すべきでした。しかし、かれらの失脚は、天象の変化に必要なことで、法を正すことに必要なことなのです。なぜなら悪を尽くした江派が失脚してからこそ、はじめて胡と温が法輪功に対する迫害の罪を引き続きかぶる必要がなくなり、引き続き法輪功に対する中共の迫害に巻き込まれて、中共の迫害機器の一部として機能しなくなり、やっと真相を世間に開放して、人々の信頼を得られるようになるからで。そして広大なる中国人民は、大法弟子がこの十数年間遭遇した迫害(生きたまま臓器を摘出される、茶番劇の『天安門焼身自殺』、法輪功に罪を着せるために集めたいわゆる1400件、中南海陳情事件、13年以来法輪功学習者が遭遇した家庭崩壊と死亡等など)を知る機会を持つようにり、また法輪功学習者がこれほど痛ましかった迫害の中、平和かつ善良に民衆に真相を伝え、更に多くの人が未来を有するように助けていることも分かるようなります。これらは中国の社会安定に対して、人々の心を安定させることに対して、中国の未来に対して有益であり、すばらしいことで。もし周永康らが引き続き権力を持ち続けるなら、彼らは清算を恐れるということだけでも、必ず手段を尽くして、引き続き迫害を維持するはずです。そうなると中共内部で、法輪功を迫害したくない人も含めて、すべての人が、否応なく引き続き迫害に巻き込まれ、中共と一緒に罪を被ることになります。つまり、引き続き迫害に巻き込まれて罪を犯し、責任を取らないといけなくなりますそれでは、迫害に加担したくない人とすでに加担した人は、喜んで迫害に加担したのでしょうか。そうであるはずがなく、そうする必要もありません。しかし、彼らは自分意志通りに行う道徳、勇気があるのでしょうか? これは常人が考慮すべき、歴史的な問題で。これは常人社会の角度から、物事をいかに正しい方向へ、良い方向へ転化させるかを述べています。述べたのは道理と事実で。しかし、同時に、私たち大法弟子は修煉者であるため、人間の感情、人間の気持ち、人間の執着と追及をもって、これらの悪事を尽くした者が失脚することを考えてはいけません。さもなければ、働く作用はプラスではなくなり、マイナスになります。修煉の中、歴史的な教訓をまた再現させてはいけません

 それでは私たちはどんな態度でこれらのことを対処すべきか、と質問した同修がいました。私たちは心をこめて、三つのことをしっかり行えばよいのです。かつ自分を常人と見なさず、師父法を正すことの需要いう角度から、大法を修煉する弟子の心で世間の人、物を見ることを学び、心中穏やかで、超脱して、慈悲で、執着しない状態に至ればよいと思います。世間の紛争やら、あれやこれやに対して、あまり心を込めすぎてはいけません。それらをよく利用すればよいのであって、絶対自分を大紀元の常人読者と見なしていけません。なぜなら、私たちは衆生を救い済度しており、ある角度から言えば、私たちは世間の物事の行きを決めているからで。超脱して世間を見、執着をなくしてから、やっとやるべきことをなし遂げることができ、自分の心もやっと超脱でき、そしてやっと本当に慈悲をもって衆生に対することができ、これこそ衆生を救い済度する者の角度であり、師を助けて法を正す角度で。大法弟子はこれらの道理をはっきりと分かって、何にも執着せず、仕事をやっても求める心はないようになるべきだと思います

 師父は「人類社会は、修煉には素晴らしい場所なのです。それというのも、この中の一切のものがみな、人間の執着になりうるからです。ここから抜け出し、人類社会に対する一切の執着を取り除いてこそ、初めて偉大であって、初めて圓満成就できるのです」(『精進要旨ニ』「非政治」)と説かれました。私たち、真める弟子はみな師父の教戒を覚えるべきで

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/3/25/254667.html)     更新日:2012年3月31日
 
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