以下に、真実の物語2篇を同修たちに向けて書かせていただきます。
あるお父さんは子供をつれて川辺を歩いているとき、子供がうっかり流れの速い川に落ちました。このときお父さんは何も考えず、川へ飛び込みました。子供は最後に救われましたが、お父さんはそもそも泳げず、川の流れも速かったため、結局命をなくしました。
ライオンの群れが移動するとき、母親ライオンは自分の子供がいないことに気づき、断崖絶壁に必死になってしがみつき、助けを求めて悲鳴を上げる子供を見かけました。このとき、他のライオンたちもやってきて、崖を這い降りようとしましたが、切り立つ急斜面に恐れをなして引き返しました。しかし、母親ライオンはあきらめず、勇敢に今にも崩れそうな断崖をゆっくり降りていき、子供に近づきます。母親は子供の下方に回り込み、あごで支え上げ、険しい道をたどりながら数分後、無事に安全なところにつきました。
1つ目の物語は、人類の父性愛の最高境界を表しています。その瞬間、彼の心には子供しかおらず、自分が泳げるかどうか、自分が死ぬか否かは考えませんでした。その人は偉大な父親です。
2つ目の物語は動物世界の母性愛を表していて、母親ライオンは自分の子供が危険な目にあったとき、断崖に落ちる危険を冒して、自分の子供を救うことを選択しました。母親ライオンの心の中で、子供の命は自分より重要でした。
正法時期の大法弟子として、師を手伝って衆生を救う使命を抱いている大法徒として、邪悪の巣窟に監禁されている同修を救助すること、迷っている衆生を救うことの中で、生死の試練、危険な場面に直面した時、私たちはその瞬間、その常人の父性愛、その母親ライオンの境界に達することができるでしょうか。常人と動物も無私無我の境界をあらわしているのに、私たち未来宇宙の大覚者たちはどのように自分に要求し、どのような行いをとるべきでしょうか。
師父の『精進要旨』「境界」を、ともに勉強しましょう。「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています」