集団学法を堅持し続けた体験(一)
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文/中国の大法弟子

 明慧日本2012年4月23日】私は1996年に大法の修煉を始めた古い大法弟子です。師父と大法への感謝の気持ちと、師父の導きの下で、大法を修煉する道を歩んできました。

 『転法輪』は、師父が私たちに繰り返し勉強してほしいと望まれている本です。私は、師父がおっしゃる通りに行なっています。『転法輪』をどのくらい勉強したか自分でも分からないほどですが、暗記だけでも7回になりました。前の言葉を暗記しながら、後ろの言葉が自然と浮かんできます。師父は『精進要旨「法を学ぶ」』の中で、「実は、修煉の中で、取りもなおさず少しずつ知らぬ間に修めて向上してきているのです。覚えておくべきことは、求めずともおのずから得る、ということです」と説かれました。修煉する前、私はとても気が強く、闘争心、嫉妬心、顕示心、歓喜心、恨む心などのよくない心があり、師父はこれらの良くない心により生じた悪い物質を取り除いてくださいました。常人のものが少なくなり、神のものが次第に増え、以前放下できなかった名利心、情に対する欲求も希薄になりました。自分の体験では、あまり不自然に何かの心を取り除こうとはしなかったのですが、ただ法に基づいて、法を多く学ぶことによって、心が自然に淡白になり、知らず知らずのうちに高まってきました。師父は私の心性を高めてくださり、各種の病気も取り除いてくださいました。

 また集団学法も師父が要求されたもう一つの修煉形式です。ここ数年、私もできるかぎり師父がおっしゃるとおりに、集団学法に多く参加するようにしました。迫害が激しい時期には、家族の理解を得られず、家で勉強できないときは、家族に心配をかけないように、静かな公園で集団学法を行い、そのような形式を長い間、堅持してきました。その後、家庭環境が次第に良くなり、私たちにも学法グループができました。都合がよければ、誰かが皆に部屋を提供してくれます。また、私はもう一つの学法グループにも参加していますが、このグループの同修は全員、師父にお会いしたことがあり、とてもありがたい環境です。どのグループの同修も、できるだけ師父が要求された三つのことをよく行なうようにしています。特にみんなで一緒にやると、情報交換ができ、お互いに補い合い、エネルギーを強めることもでき、正念が強くなり、効果も良いのです。

 集団学法以外にも、一緒に学法できない同修を手伝っていました。その中に、こういう同修がいました。1999年7.20以降、ずっと外に出て法を実証したことがなく、体もずっと病業状態で、ますます深刻になりました。私は自分の学法はもちろんのこと、同修の学法も同じく重要だと思い、彼女と一緒に10数年間、学法を続けてきました。もちろん、この10数年間という年月は平坦ではありませんでした。彼女の家族はみな常人で、大法をよく理解していません。外部からの圧力は常に彼女の家に影響し、彼女自身も精進と不精進の間を往復していました。

 時には彼女は恐れて、「家族も反対するので、家へ来ないでほしい」と言ってきました。この時、私は真心から、彼女に「正念を持つように」とお願いしました。時には、彼女は「なぜずっと来ないのか」と文句を言ってきました。しかし、私は彼女を責めませんでした。病業の関係で、彼女の視力はだんだん低下し、聞くのも難しくなりました。私としては、自分が手に入れられる経文と真相資料を彼女にも見てほしいと思いました。私の行為に対して、周りの同修にあまり理解できない人もいて、私に止めるようにといろいろ言ってきましたが、私は弁解もせずに頑張りました。

 その後、『共産党についての九つの論評』が出版されて、「三退」が始まりました。この同修はわざわざ北京や西安へ行って、自分の親戚に真相を伝えて三退させました。表に出て、真相を知らない人に伝えてはいませんでしたが、少なくとも彼女の親戚が救い済度されました。この事を思うと、この数年間の苦労は無駄ではなかったと思いました。2010年、この同修は病業の迫害に耐え切れず、去っていきました。自分がこの事を阻止できなかったことを思い出すたびに心が痛みます。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/4/14/255595.html)     更新日:2012年4月24日
 
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