師父は私に一冊の『転法輪』を下さった
■ 印刷版
 

文/北京の大法弟子

 【明慧日本201254日】1998年の年末に私は法輪大法の修煉を始めました。1999迫害が始まるまで、私の個人修煉の時間がとても浅く、大法の法理に対する理解も浅かったのですが、真・善・忍は私の心の中にすでに深く根を下ろしました。その後の修煉で、真に修煉する弟子のそばには師父ずっといらっしゃることを、私は実際に体験できました。

 私の身に起きた本当のことを皆さんにお話します。

 夫の弟は結婚後、自分の家が買えないために、ずっと75歳の母親(私の姑)と同居していました。長年の間に、弟の嫁と姑の間にトラブルが発生して、ついに互いに話さなくなるところまで事態が発展しました。年を取った姑は病気になっても、そばで面倒を見てくれる人がおらず、とても可哀想なので、夫から「お母さんを我が家に迎えよう」と相談されました。あれは1999年の夏で、私は「自分は修煉者です。家はとても小さいですが親孝行をするのは大切だ」と考えて、姑を我が家に迎えました。それから、あっというまに12年の歳月が流れて、今年87歳になった高齢の姑は、ずっと私達と仲良く暮らしています。

 2003年のある日曜日、弟の嫁が我が家を訪ねた時、会話の中で私は修煉後の自分の心身両面の大きな変化、師父の偉大さ、修煉の素晴らしさに言及しました。彼女は黙々と聞いて、私の話をとても信頼している様子でした。その時、彼女清らかで汚れがなくなったのを私は感じました。これこそ大法の力です! 私の言葉を聞いて、私が如何に姑に親孝行をしたのかがわかり、彼女は心から「お姉さん、あなたはよく修めているわね。あの本、まだありますか? 私も大法を学びたい!」と話しました。

 これを聞いて私はもちろん嬉しかったのですが、しかし迫害以来、大法の書籍とても手に入りにくくなり、私も『転法輪』を1冊しか持っておらず、しかも読む回数が多ため、本はすでにボロボロになり、製本機で補強したこともあります。このような1冊の『転法輪』ですが、迫害の初期に私は「師父、私には今ただ一冊の『転法輪』しかありませんが、必ず師父について修煉を成し遂げます!」と誓ったことがあります。

 今日、弟の嫁に私の唯一の『転法輪』を借りたいと言われ、私の気持ちはどれほど辛かったでしょうか! 「一冊しか本を持っておらず、師父の説法のビデオと録音テープならあります。まずビデオかテープを聞いてみない?」と私がうと、弟の嫁は断固として「お姉さん、私はビデオもテープも要りません。この本だけが欲しいです」と言いました。私の頭は素早く回転して、自分は利己的になりすぎていないか? 弟の嫁が大法を学びたいのは良い事ではないか? 私はどうして無私無我になってこの本を彼女に譲ることをしたくないのか? 修煉の目的は無私無我の境地に達するためではないのか? どうして肝心な時に自我を放下できないのか? ここまで考え付いて、私は気持ちよく「いよ、この本をあげ。くれぐれもこの本を大切にして、しっかり修煉してくださいね」と言いました

 その夜、弟の嫁が帰ってから、『転法輪』を「失った」ことを思うと私はやはり辛くて涙を流しました。私は心の中で「師父、『転法輪』のない日を始めて私は経験したのです。では、他の説法を探して読んでみましょうか」と呟きました。本棚を開いて私は一冊の本を取り出しました。少し厚みがあるので、多分これは『転法輪法解』だろうと思いました。その本を手にとって1ページ目をめく私はとてもとても驚きました! なんと、それは真新しい『転法輪』でした! しかも他の大法書籍と同じく、白い表紙で包まれていました。これはこれは、本当に摩訶不思議ですね。5年来、本棚に置いてある大法書籍を私は何回も何回も読んでいましたが、この本は見たこともないし、2冊目の『転法輪』を持った記憶もありません。

 一瞬、体と体を構成するすべての粒子と共に強く揺り動かされる実感がありました。私は自分の目を疑って、何回も確認して、やっとそれは確かに真新しい『転法輪』だと確信しました。感謝の涙が湧いてきました。私の大法を学びたい切実な願望を見て、師父は私に1冊の真新しい『転法輪』をくださったのです! 師父は確かにいつもそばにいらして、私を加護して下さっているのです! 

 私はこの出来事を多くの同修に教えました。この不思議な奇跡はずっと私と同修達を、もっと精進するようにと励ましてくれています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/21/249624.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/2/23/131653.html)     更新日:2012年5月5日
 
関連文章