すべてを師父にお預けする
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012年5月7日】昨日、私はある同修と交流しました。その同修は文化程度が低く、話す言葉は、飾り気がなく綺麗な言葉を使っていませんでした。しかし彼女は修煉に対する理解を語るときに、二つの言葉を使っていました。その一つは「すべてを師父にお預けする」もう一つは「自分を正に帰する」という言葉でした。彼女修煉に関して語るときは、高い次元の法理を話していませんでしたが、しかしこの二つの言葉は私の印象に深く残りました。

 この同修は厳しい迫害の中、家庭関する関門を突破する時も、子供と接する問題においても、確かにその二つ言葉を実証しました。毎回の関門は彼女にとって問題なく乗り超えることができました。

 それは理解しやすいように具体例を挙げて説明します。

 この同修不法に収容所に収容されていころ、娘さんの大学入試があり、有名な大学に合格しました。邪悪な中共は目的達成のため、この同修に対して脅迫していました。彼ら言うことを受け入れなければ、娘さんの大学へ行って大学に行かせないようにしてやる言いましたが、この同修はこので心が動じませんでした。そして彼らに対して、このことはあなたたち決める権利がなく、私の師父が決めるのですと話しました。中共は大学に行ってこの同修の娘さんを退学させるよう求めたのですが、大学側は適当に応対して彼らを帰しました。そしてその娘さんを呼び、安心して勉学に励むようと励ましてくれました。

 その娘さんは大学卒業後、人々が羨むような大企業に就職しましたが、1年経っても正社員にしてくれませんでした。この同修は常人のように裏口の手段を使わず、自分の人心を多く取り除き、娘を心配する執着が取り除かれ、すべては師父に預けると思ようになった時、娘さんは正社員になれたのです。

 それはこの同修比較して、自分はどこに不足があるのでしょうか 私は学生の修煉者なので、内心では自分賢くそこそこ修煉ができていると思っていました。しかしその賢さによって自分を誤らせたこともありました。またその賢さによって自分のすべてを師父にお預けすることができませんでした。少しばかり事を成功させれば、自分に能力があると思いました。自分はこの同修より顕示心が強く、本当に賢はなかったのです。

 自分のすべてを師父にお預けするのが、本当の賢であり、なぜならば師父が按排してくださったさたことは、最もよい事であり、最も正しい事なのです。すべてを師父に預けるということは、自分の好きな事、経験、自我を放下することであり、そうすれば大法に同化することになりませんか? それは大法真に信じていることになりませんか? 信じなければ自分のすべてを師父にお預けするのでしょうか?

 すべてを師父お預けするという言葉素朴な言葉なのですが、しかしながら自分を隠すことなく、大法に対してこの上な確固として信じていることを表しています。これも私の足りないところであり、努力する目標でもあります。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/23/250862.html)     更新日:2012年5月8日
 
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