明慧法会|一人で精進し続けて行く(二)
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中国・福建省の大法弟子 蓮開仮名

 明慧日本201259日】

 帰省する気持ちで、よく明慧ネットを閲覧する

 心の中で、私は明慧ネット利用することを帰省だと思っています。明慧の文章を読むと、まるで同修と交流しているような感じです。私はほぼ毎日、その日の明慧の文章をダウンロードし、目を通します。いい文章を見つけると、私は後で探しやすいようにそのタイトルにマークをつけます。時には、段落ごとメモ取り、再度読めるようにしておきます。また、私は毎日の「大陸総合ニュース」と「大陸各地のフラッシュニュース交流」の二つのコラムにも目を通し、自分知っている都市の同修達の近況や同修による注意喚起など把握しています。最新のパンフレットや真相資料、技術資料などがあれば、私は必ずダウンロードしておきます。こうして、一人で修煉している私は法を正す時期の全体の進展について行けます。毎日、ダウンロードした全ての文章を読もうとすればかなりの時間が必要ですので、私は大体自分に参考になそうな文章を幾つか選んで読みます。特に新しい神韻のオーディオ資料がダウンロードできると知ったとき、私はその日の夜すぐに取り掛かります。ダウンロード完了を待つ間の期待と喜びの気持ちは本当に表現できません。ダウンロード後、私は心底から喜んでVCDを鑑賞し、時には感動の涙も流します。

 また、同修のブログの中から、私は新唐人の番組をダウンロードできる接続先を見つけ、通常のネットへの接続方法で新唐人の番組をダウンロードできるようになりました。新唐人が主催しているコンテストや人物の取材、評論などの番組を見るうちに、私は真の中国の伝統文化の奥深さを知り、伝統文化の鑑賞方法も分かりました。そして、中共邪党の各領域にける邪悪さを見抜き、党文化を排除し、解体することの重要性も再認識しました。

 私は、明慧ネットなどの大法の関連サイトを閲覧することは、ごく当たり前のことで、どんな勢力も阻むことが出来ないと思います。邪悪はネット封鎖をしているものの、人心を封鎖しているだけです。一部の同修はネット利用が出来ても、それを非常に危険なことだと思い、いつも戦々恐々としています。また、多くの時間と精力を使い、ネット利用を大掛かりなプロジェクトとしている同修もいます。実際、私が思うには、彼らは根本から旧勢力を否定しておらず、自分自身で心理的な障害を作り、また、他の同修から新しい情報を待つばかりという依存心もあると思います。

 時々刻々内に向けて探し、どんな時も常に他人のことを先に考慮する

 このサブタイトルをつけたのは、実質自分がいつもこの通りに実行出来ているという意味ではなく、最近半年間の学法と実修を通じて、私は絶対に法が要求した基準に達せる自信と決心があります。私は師父の説法から深く理解できたのは、「内に向けて探すこと」と「他人のことを先に考慮すること」の二つが私心を取り除く大切な法器です。

 オーストラリア法会での説法の中の師父の説法の一説は私の大きな原動力となりました。「ですから、皆さんのところで見れば、問題に遭ったら自分の原因を探し、他人のために多く考え、自分を修め、内に向けて探し、他人の足りないところを少なく見、全ての出来事に対して私の言った通りに行うことができれば、皆さんは実は既に精進の中にいます。」

 私は自分にこう言い聞かせています師父のおっしゃる通りに実行し、人心だと認識出来たら必ず決心してそれを取り除いていきます。仕事の中で出会うトラブルは私の良い修煉のチャンスです。以前のような、毎日トラブルに遭ったら避けたくなるし、人間として生きていくのを苦しく感じる心も人心です。師父は米国西部法会での説法の中でおっしゃいました。「トラブル自体は苦しく修めることの一部です。」私は自分にトラブルを起こしてくれる人に感謝すべきだと思います。私の部下の中に、気持ちがころころ変わり、言い方も非常に生意気な人が一人います。上司としての私も、よく彼女の礼儀のなさときつい言い方に傷つけられます。もちろん、彼女もわざとそうしているわけではないと思います。最初、私は表面では耐えていものの、心の中では平然としていられませんでした。この人はこんなに教養がなく、上司を尊重することすら知らないのかと思っていました。同時に、私はきつい言葉がいかに無意識に他人を深く傷つけてしまうのかを知り、自分は絶対にそのような言い方で人を傷つけたりしないように戒めました。そのような行為は、徳を失う以外、修煉者としての慈悲も欠けてしまうことになると思います。

 その後の学法を通じて、私は表だけの忍ではまだまだ足りないことを認識しました。他人が自分を傷つけてしまった時、自分は本当に師父のお教え通り、その人に感謝出来たかどうか? 内に向けて探したかどうか? 彼女の為に考えたかどうか? 彼女は党文化の毒害を多く受けており、私は一度だけ彼女に真相を伝えましたが、彼女は聞き入れてくれませんでした。このような生命はどうして救われるのでしょうか? 彼女最もかわいそうな人だと思いました。その上、彼女の性格もあまり良くなく、彼女こそ最もつらく生きているのではないでしょうか? などなどを思いました。自分自身を省みると、私はまだ他人に尊敬されたい心もあって、これが非常に根深く隠れている大きな執着心です。早く無くさなければなりません! 本当に“無我”の状態に達して、初めて常人のことに“我”心が動かされないようになると思います。その後のある日、座禅の時、私は絶えず自分に“無我”、“無我”、“常人の一切の事を放下する”という風に言い聞かせ、次第に非常に気持ち良く、素晴らしい入定状態に入りました。しかも、自分がここに座っていることをはっきりと知っている状態です。再び彼女に悪い態度を取られた時、私はこれが自分に与えられた試練だと思い、この一念で、私はすぐに“自我”を放下した後の心身共に愉快で軽く、気持ちの良い感覚を覚え、同時に真の慈悲心も出てきました。この時、もう一度彼女を見ると、彼女も穏やかな感じになっていました。内に向けて探すことがこんなに素晴らしいのかと思いました!

 法の要求通り、何回かトラブルにうまく対処した後、私は更に大法の法力によって、自分の頑固な“私”が完全に溶け、自分もきっと法の要求された純潔のレベルに達せる事を堅く信じるようになりました。私は師父のお教え通りに行える弟子は真に修める弟子で、精進している弟子だとわかりました。また、関を乗り越える、これまでのようにダラダラしてはならず、自分が傷つけられるのを恐れる心を持って問題解決に取り掛かってはならないとも思いました。修煉は何よりも厳粛なことで、人間から神になるというのは、人間としての全てがなくなり、神の一面の全てが蘇ることだと思います。私は大法の中で、自分が本当に無私無我の境地に達せる事を信じ、自分に私心があると気づけば、きれいに取り除いていくつもりです。私は大法の偉大さに深く感嘆し、これほど偉大な法である故、根本から人間を変えることができ、人間を神に済度することができると思い、大法を完全に信じるがゆえ、自分にも自信を持つようになり、大法の偉大さを知り、初めて自分も偉大になることを認識できるようになりました。

 以上はここ一年の自分の修煉体験です自分にはまだまだ不足部分がありますが、これから歩むべき道が見えてきました。これからも自分がよりよく修めていくことを信じています。

 また、学法同修との交流を通じて、私は師父が何故法を正すのかについて少し分かるようになり、徐々に旧勢力が歴史上にしてきた按配と旧勢力の人間社会での様々な現れも見えてきて、そして大法弟子の主体は大陸にあって、われわれ大法弟子が背負っている使命の重さも認識できるようになりました。以前、私は海外にいる大法弟子を羨ましく思い、一時自分も海外に行けたらと幻想までを見、海外でしたら自分がもっと全力尽くして大陸の大法弟子たちを救う使命を全うできると思いました。しかし今の自分は全くそう思いません。自分はここにいるべきで、この邪悪のお腹の中で、自分の存在自体が邪悪を溶かすものであり、自分の正念が邪悪を解体しているのです。私は正にここで衆生を救い済度し、自分の使命はこの宇宙の中心舞台の上で完成させるべきだと思います。大法弟子の正念が宇宙を照らし、法を正す時期の大法弟子は天上から人間社会までの全ての威徳を円満に収めるでしょう。私たちは精進をって師父の慈悲な済度に恩返しするしかありません。

 師父に感謝し、同修の皆さんに感謝します!

 (完)

 (明慧ネット第七回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/11/14/232347.html)     更新日:2012年5月10日
 
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