文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年5月26日】今日、他の同修からAさんのことを聞きました。不法に懲役5年を言い渡され、3年間忍んできた地方の同修Aさんは、家に帰りたくて刑務所で断食による抗議をした結果、体が痩せこけて、刑務所側は恐れて彼女を釈放しました。しかし家族や親族は彼女を家に受け入れず、最後は、同修Bさんが彼女を家に迎えました。Aさんは大小便をよく漏らして家の中を汚し、時に怒り出したりもしますが、Bさんは何の文句も言わず、優しくAさんの面倒をみていました。しばらく経って、Aさんは正常な状態にまで回復しました。Bさんの家で休養した時期に家を汚したり怒ったりした事を聞くと、Aさんは何の記憶もありませんでした。
この事を聞いて、私はいろいろ考えました。Bさんが慈悲心を持って優しく世話をして、学法と発正念をするように促していなければ、Aさんは刑務所から出たとしても、その後の生活と修煉状態がどうなったか、体力と精神状態が回復できたか、本当にわかりません。衆生に対しても同修に対しても慈悲心を持つべきであると、修煉者は誰もが分かっています。Bさんはその通りに実行しましたが、私は慈悲の要求に全然達していません。今日同修から聞いたこの事は、私にとって「棒喝」のようでした。
優しい心を持って同修と接することが、私はずっとできていません。同修はこうするべきだ、ああするべきだとよく思って、同修のよくできていないところを見て不満に思ったり、同修の不足を見て非難の言葉を投げたりします。結局、これは同修を悪いほうに押すのに等しく、邪悪ですらできないような逆効果をもたらしてしまいます。
労動教養所で3年半の迫害を受けていた当地の同修Cさんは、先日出所しました。私はCさんを訪ねて、Cさんの会話の中に常人の低次元のものがとても多くあると感じて、「内に探して、自分自身を修めたらどうだ?」と言い出しました。すぐCさんは怒りました。それから、何を言ったら良いか私は分からなくなって、黙って執着心が帯びたCさんの話を最後まで聞きました。最後に、私は小さな声で「こんなに長い時間遅らせて、多く学法をしてください」と言いました。後日Cさんに会うと、話が合わなくて、彼とあまり会話をしたくない感じがしました。Cさんにどうしてこんな気持ちを抱えるようになったのか、私はずっと原因が分からなかったのですが、慈悲心を持っていないのが原因だと、今分かりました。私は相手の立場になって相手に寛容であるのではなく、自己中心的になって自分の立場しか見ていなかったのです。同修の不足を見て寛容かつ慈悲な気持ちで対応できないことは、同修の間に間隔を作ってしまった主な原因です。一方、同修の良く修めた部分を私たちは見ることができず、同修の不足だけが表に残って、我々の目に入ったのです。
また、私はいつも同修の不足を見て、同修に対する慈悲心を欠くために、獄中の同修の救出活動に積極的に参加していませんが、これが根本的な原因だと、今私は悟りました。
同修に対して慈悲心を持つことができなければ、師父が我々に要求されている、一体になって協力することからも、離れているのではありませんか。
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/2/8/131340.html) 更新日:2012年5月27日