内に向けて探し、外を見ない
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湖北省大法弟子 蓮花

 明慧日本2012526日】当地の同修は旧勢力によって経済的に迫害され、生計を立てることすら保障できなくなりました。このような同修は衆生を済度することや他の大法のプロジェクトに参加する余裕がなく、あちらこちらに仕事を求め三つのことが全くできません。次々と若者がプロジェクトから脱落して、私は焦って彼らをとどめようとしましたが、相手から「僕がまず飯食えるようになきゃ」と言われました。

 我々修煉者はどこの地区、どこの国でも神々の按排があるはずです。自分の管轄範囲内で衆生を済度する責任があると私は思います。もちろん、迫害されて流浪生活になった場合は別の話です。

 通常の場合自分の所在地をしっかり守って、衆生を済度することをしなければなりません。私は独身ですが、一時期、他のところへ行こうとしました。ある日、バスを待っていると、同級生に声をかけられました。「私をまだ覚えてますか?」それから他の知り合いとも出会いました。次第に私はこの地に責任があり、ここから出てはいけないと悟りました。

 経済的な迫害について、まず自分は何かの心を放下していないのではないかと思わなければなりません。おそらく自分の執着心はまさに金銭を追及しているかもしれません。ある若い女性の同修がいます。最初彼女は数年間仕事ができず、仕方がなくインターネットカフェで清掃員として働きました。折角の仕事を、社長のことが気に入らないために、短期間で辞めました。最後にある同修の紹介を通じ、老人の世話をする半日勤務の高収入の仕事に就きました。

 これで、生活の問題もなくなり、師父のご慈悲の按排だと私は感謝しました。しかし、彼女はまだお金を稼ぐ心が強くて、何回も私のところに来て、商売で儲かるにはどうしたら良いかと聞いてきました。さらに、私の株を一部買って配当金を貰いたいと言いました。また常人のカラテもしたくて、一夜で成金になれればなど、いろいろ妄想していました。他人が車を買うと、彼女の心理状態もバランスが取れなくなります。優しく諭しても効果がなく、強い調子で彼女を説得しようとすると必ず反論されます。時にはどこそこに美味しいものがあると興味津々に話して、その後同修におごってもらったりします。仏様は人を済度するために、人間界で物乞いをしたりします。師父は我々のために、無数の苦を舐めました。しかし大法弟子は早く修めて返本帰真するどころかダラダラと安逸心そのままにして、どうやって修煉できますか? 常人の中での執着心がすべて一つの綱のようで、船を出そうとするなら、それを断ち切らなければ出航できません。

 修煉者はすべてに対して自然に任せ、自分の物であるならばなくならないし自分の物でなければ求めても得られません。私はかつて迫害されて、監禁されました。常人の妹は私のお金を使いたくて、私のカードを持って銀行に行きました。普通ならば、暗証番号を知っておりカードもあるのでお金を下ろせます。しかし、銀行の職員は「このカードはあなたの物ではない。本人が来てください」と言いました。妹は、「本人は入院した」と嘘をついたが、結局だめでした。私はそれを聞いて、本当に師父が守ってくださったと感じました。

 また「学法しても真に向上できない」この問題も結構広範囲にわたって見られます。なぜかというと、いつも法に照らすことができていないからです。何かをする時に人心が強く、普段の話も常人の口調で話します。ある同修は、警察のことを話した時に「俺はあいつを殴りたい」と言いました。これでは何かあったら常人に喧嘩を売ってしまいます。学法をしているのに、向上できないのは絶対に、邪悪の妨害があるに違いありません。強い正念を発して、邪悪の要素を解体しましょう。常人はいつも人のことばかりを言い、自分の内に向て探さないのです。

 もし我々も何かトラブルに出遭った自分ではなく人に対して客観的な原因を探すのなら、修煉者の状態ではありません。

 次元が限られており個人的な悟りであり、不足のところはご指摘ください。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/5/23/257874.html)     更新日:2012年5月27日
 
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