【明慧日本2012年5月27日】私の家は海抜1200メートルの山の中にあります。私は1997年から法輪大法の修煉を始め、私が住んでいる所は人が少なく、外で人に会うことは極めて珍しいのです。だから私は一人で法輪功を修煉していますが、寂しく思ったことはありません。私には師父の保護があり、弟子は師父と会ったことはありませんが、師父が私の身近にいらっしゃると常に感じています。師父は不思議な現象で、私が堅く修煉するように悟らせてくださっています。
塀で囲まれた敷地の中に2つの家庭、合わせて9人が住んでいます。2つの家庭は多くの家畜、ニワトリ、アヒル、豚などを養っています。人も家畜も水を必要としますが、この高山には水を溜める所が無く、水不足が深刻でした。それで、私たちはそれぞれお金を出して、市内へ行ってセメントを買って来て、小さなダムを作りました。この数年来、私たちはこのダムの水で生活をしてきました。
ダムに雨水を溜め、満タンまで溜まると私たち2つの家庭の1カ月分の用水になります。普通の天気では水不足はありませんが、旱(ひでり)の場合は苦労します。2004年は百年に一度の酷い旱で、連続3カ月も雨が降らず、気温も40度以上の日が続いていました。大変な日々でした。隣近所の人はとても不安な顔をして「どうすればいいですか。食べ物が無ければ市内に行って買ってくればいいですが、水は十数キロ離れた所から、運んでこなければなりません。どうすればいいのですか」と話しました。私は慌てませんでした。災難は罪がある人を罰するもので、良い人には及ばないことが分かっているからです。私は彼らに、「私たちが良い人間であれば、天は無実の人々を罰するわけにはいきません」と伝えました。
私の心は動ぜず、毎日の学法と煉功、法を実証することを続けました。不思議だったのは、私たちが普通通りに水を使っても、ダムの水は減らず、ずっとその水位を維持していました。何事もなくその旱を乗り越えてから、隣近所は非常に不思議だといつも話していました。
その旱の年、気温が40度を超える日々の中で、人々は極めて不安な表情になってきました。旱で木、草などは枯れて、火をつけるとすぐにでも燃えるほどでした。畑は既に乾燥して脆(もろ)くなり、野菜などは栽培することができませんでした。人々の生活は非常に苦しいものでした。
ある日、私は市内の市場で、畑で栽培するエンサイを見かけました。私は数キログラム買って帰りました。私が妻に「これは、畑で栽培しようと思って買って来た」と話したら、彼女は「冗談でしょう。卵を土の上に置けば半熟になるくらいです。その野菜を畑で栽培すれば、半日も経たないうちに枯れてしまいます」と笑いながら話しました。私は大法弟子で、心に師父と法がおり、出来ない事は無いと思いました。私は一部分を食用に残して、大部分を畑に植えました。みんなが使うダムの水を使うわけにはいかず、水を注がずそのまま植えました。私は大法無辺の威力を信じ、奇跡は起こると思いました。翌朝起きてから、エンサイを見に行ったら、まだ枯れておらず、数日経っても枯れるどころか、どんどん枝を伸ばしていきました。太陽にどのように晒されても、エンサイは元気に育ち、家族達が食べきれない程でした。
もう一つ不思議なことがあります。私の家の裏壁から二メートル離れたところに四人で手を伸ばしても抱けない、10メートル以上もある高い梧桐(アオギリ)の木が一本あります。2005年の夏、台風並みの嵐で、この大きな木の2メートルの高さの部分が折れてしまいました。折れた方向から見れば、ちょうど家の真ん中に倒れるはずでしたが、90度回転して後ろの壁めがけて倒れました。もっと不思議だったことは、壁側の直径20センチもある枝たちは鋸で切ったように、そろって折れていました。それらの折れた枝たちは人が片付けたように、全部家の前に揃って置かれていました。このような不思議なことは修煉の中で多くありました。
(明慧ネット「法輪大法が伝え出されて20周年記念」応募作品)