文/日本の大法弟子
【明慧日本2012年6月11日】慈悲で偉大なる師父こんにちは! 同修のみなさんこんにちは!
法輪大法が広く伝わってから20周年。私は修煉の年月は浅いのですが、「世界法輪大法デー」の記念日に、師父の済度への感謝と私なりのわずかな昇華をご報告させていただきたいと思います。
大法に出会い、いろいろな体験をする
私は2006年秋に大法に出会いました。勧められるままに、毎日2時間の煉功と1時間の学法を行うことにしました。日中仕事のため朝8時から夜6時は外出しているため、3時間の修煉の時間を使うことに工夫をしました。仕事に出る前に1時間の動功を行い、出勤の電車のルートを変えて、遠回りですが座れるので片道30分の学法。仕事から帰ってきて静功を一時間としました。土日も別の仕事に追われていましたが、3時間の学法、煉功は維持しました。すると、不思議なことがいろいろと現れたのです。
まず、座禅ですが、私は体がとても硬く、やっと双盤(結跏趺坐)ができるぐらいなので、いきなり1時間の座禅はかなり大変だと覚悟していました。ところが、座禅を始めたら赤い光の柱が上から頭に下りてきたのです。すばらしいもので、気持ちの良さから涙が出てきました。それが20分ぐらいは続きました。その余韻で1時間の煉功ができたのです。次の日も同じ状況があり、3日間続き、これにより1時間の座禅の習慣ができました。
一週間ほど経ったとき、食欲がなくなり、胃が重苦しい感じでしたが、胃や腸が浄化されていると思いました。それまで、腸が弱く、風邪もひきやすいので、薬や健康食品を必要としていたのですが、本に書かれている無病状態になったと自然に分かり、薬や健康食品は処分できました。その後、かなりの量の鮮血の出血が2度ありましたが、驚くこともありませんでした。
修煉する前はお酒を飲んでいたのですが、『転法輪』の「ぼくは営業マンで、飲まないと事がうまく運ばない」というところを読んだとき、私は仕事でなくて趣味で飲んでいるのだから、やめようかなという一念が出たとたん、お酒が飲めなくなりました。仕事上で、無理に勧められてビールを少し口にしたら、頭の中がぐるぐるまわり心臓はドキドキし、指先はちりちりとしたのです。本当に飲めない体になったのだと実感しました。
次に、1カ月ぐらい経って、専一の問題にぶつかりました。私は子供のころから親と一緒に仏教の修行をしていました。しかし、大法に出会う数カ月前に、その仏教の宗派では正果は得られないことが解りました。ダメだとわかっても捨てたわけではありませんでした。本に書かれているとおり、このままいい加減に修めてはいけません。1カ月の間に起きたことは全て本当のことで、『転法輪』は今までの仏教では得られなかった謎を解き明かすものでした。ここでやり直すしかないと決意し、本の中の師父の写真に向かって、「数十年間学んだ仏教は全て捨てます。頭の中にある仏教の記憶は全て消してもらって結構です。これからは、師父が法の中で使われた法しか使いません」と誓ったのです。そして、仏教の本は売れるものは売り、残りは捨てました。勉強のために作った仏教ノートも親の形見の数珠も全て捨てました。
年が明けて、もう一つの専一の問題がありました。両親が他界したあと、私に仏教の指導をしていた元居士の人です。私はその人に「これからは法輪大法で正果を得るために修煉していくので、仏教はもうやりません」と宣言したのです。その人は殴りかかってきそうでしたが、私がきっぱりと言い切り、怒鳴られても動じない姿に、「その平静な態度が気に入らない」とだけ言って出ていきました。本の中の師父の写真に「乗り越えられました。ありがとうございます」と報告しました。
「修煉者として、今後の人生の道は変わるはずです」(『転法輪』)のとおり、それから変わりました。大学を卒業してから、他界した両親が託したこともあって、その元居士の人のそばに住んでいました。しかし、大法の修煉を始めて10カ月経ったときに、その人が大法を罵ったり、身の危険も感じたりしたので、そこから出たのです。私の名義になっていた高級外車二台も全てを捨てるつもりでした。これらの処理を終えたあと、いっしょに修煉を始めていた今の主人と結婚することになり、私の今後の人生は修煉のためとなったのです。主人の両親も煉功を毎日行い、私達が大法の活動に参加することを理解し、協力してくれています。本当に師父の按排には感謝の言葉を尽くせません。
大法の素晴らしさを伝える
私は、わずかな期間で体が浄化されて、無病状態になり、精神も安定したことなど、友人や知り合った人たちに大法の素晴らしさを伝えました。師父の経文に、相手の執着に合わせて真相を伝えると書いてあったので、子育てで怒りっぽいという人には怒らず安定すると紹介しました。明るく楽しそうに大法の体験を話すとみんな興味を持つようです。そして、チラシや本を渡したり、煉功場に誘ったりしました。
月に一度行く美容院も大法を伝えるいい環境でした。必ず、話しかけてきますので、健康の話から、「私、肩が凝らないんです」「風邪をひきません」という体験を話し、法輪功を紹介します。何人かにチラシを渡し終えたところで、行く美容院を変えていたこともありました。
ある時、旅行先で一緒のグループになった家族がいました。挨拶程度はするのですが、なかなか話が弾まないのです。車の中ではほとんど疲れて寝ているし、このまますれ違ってしまうのかな、なんと残念なことだろうと思いました。でも、これは無慈悲なことだと思い、心の中で「師父、きっかけがほしいです」という一念が出たところ、前の座席に座っていた母親が急に振り向き、いろいろ話しかけてきたのです。健康の話から、気功の話になり、相手が「どんな気功をしているのですか」と尋ねてきたところでチラシを渡しました。是非、やってみたいと言い、彼らに紹介して別れることができました。師父ありがとうございますと、胸を撫で下ろしました。
学法
私は『転法輪』を何度が読んだところで、経文を読むことにしました。日本語だと本になっておらず、ネット上にあります。修煉を始めたころはパソコン上で読むとしっくりきませんでした。精進要旨が本になっていたらいいなと思っていました。すると、煉功場で修煉者がにこにこしながら、台湾で印刷された小さな精進要旨を手に持って私に向かって歩いてくるのです。「これ読みますか」私は目がまるくなり、「なんで知っているの」と言いながら、受け取りました。何度も読み返しました。そして、日本語に翻訳されている全ての師父の経文を読むことにし、パソコンからダウンロードし、自分で印刷して小冊子にし、古いものから順に最新経文まで読んでいます。今は6周目になりました。『転法輪』と同じように、一回ごとに理解が違います。1回目に経文を読むときは外で読まないようにしました。なぜかと言うと、すばらしさと感動、慈悲を感じて涙が出てくるからです。電車の中で難しそうな本を、涙を流しながら読んでいたら変ですから。
修煉を始めてから2時間の煉功と学法を維持していると、心身ともに状態が良いのです。修煉状態が良好の時は、自分の前の道がまっすぐ、ぱあっと開けたような感じです。邪魔な小石もないような感覚です。しかし、この世の染物がめの中にいるのですから、日々の生活の中で、安定していた心の中にわずかな波が立つ感覚があるのです。何か少し変な感じという。2時間煉功しているが、集中していなかったり、学法の中で雑念が起きてくるのです。この時は心性の向上が必要で、それにはやはり心を静めて学法するよう自分に言い聞かせています。
(続く)