日本の修煉者:私と先天性眼疾患だった娘の物語
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 【明慧日本2012年6月13日】私は、娘の目の病気がきっかけで修煉を始めました。当時5カ月だった娘は先天性の目の病気で、眼球は内に入ったまま動かず、しかも表情も無表情で笑うことも泣くことすらあまりなく、大学病院の医者からは「手術しても眼球の位置は元に戻ることはありません。しかも立体視はまず諦めて下さい。そして視力がどれだけ見えるようになるかは、わかりません」と宣告されました。それからと言うもの、「この子の目は一体どうなるのだろうか?」と言う不安と、さらに先天性ということでお腹にいる時に何かあったのではないかと自分を責める毎日が一カ月ぐらい続きました。それを感じた上の息子が「ママ、笑ってよ」と一言私に言ってきました。その言葉に、ハッと我に返り「そうだ。こうしてばかりではいられない。二人の子供たちの親としての責任がある」と思いました。

 その後、夫が会社で、「法輪功」という気功には不思議な効果があると聞いたのがきっかけで、2007年4月1日、桜の花で満開の白川公園煉功から本格的に始めました。

 法輪功を始めてすぐ、内側に入って動かなかった娘の眼球が少しずつ外側に動くようになり、無表情だったのが力強く思いっきり泣くようになりました。さらに、アトピーでステロイドを使うのが当たり前だった肌もみるみる綺麗になり、短期間で物凄い効果が現れ、本当に驚きました。娘が小さな糸くずのようなものを拾うようになったのです。その後、1歳半検診では、娘の目の異常を最初に発見した医者が担当で、「もう大丈夫だよ」と言い、通院していないことに本当に驚いた様子でした。そして、母子手帳には健康の方にしっかりと印が付けられていました。

 私は学法をすることにより、大法に対する理解が深まり、『法輪功』を修煉しようと固く心に決めました。

 「真・善・忍」で心を修めて行く過程で、何かトラブルがあったら内に向けて探し、相手のことも理解できるようになり、険悪だった父との仲も良くなりました。これはお金では決して買うことのできない、本当に素晴らしいものを得たという喜びと嬉しさで一杯でした。

 法輪功を始めてからは、自分を責め続けていた過去の日々が嘘の様です。希望に満ち溢れた明るい毎日を過ごせるようになり、煉功と学法を重ねていくに連れて、修煉に対する認識が高まり、娘と私をも救っていただいた師父への感謝の気持ちから、正法活動にも参加するようになりました。

 2008年の「人権聖火リレー」と並行して行われていた「世界百万人署名」に参加する中で、世界で最も残虐な中国共産党が何の罪もない法輪功修煉者に対する理不尽な迫害を初めて肌で感じました。そして、長崎、福岡の中国領事館前で、中共の法輪功修煉者に対する理不尽な迫害停止を求める抗議活動にも毎回参加するようになりました。そうして、娘も私たちと一緒に迫害停止を求めるプラカードを持つようになるまで成長しました。5年前、医者にさじを投げられ、しかも目の病気は脳にも繋がっていて、寝たきりで歩くことも出来なかったかもしれない娘が、今では毎日元気に幼稚園にも通っています。本当に奇跡です!

 法の勉強を重ねていくことで、完全に娘の病気に対する執着を放下しました。この頃から更に、正法修煉の認識を深め、真相を伝えながら衆生を救う大法弟子の使命と、師が法を正すことを手伝う大法弟子であることを本当に光栄に思い、以前より積極的に正法活動にも参加しました。

 熊本城は観光名所で、日本人観光客だけではなく、世界各国からの観光客が多く訪れます。今、私は熊本城の二の丸公園の煉功場の担当として、法輪功の真相資料を配り、真相説明を行い、法輪功の素晴らしさを伝えています。「担当者になりませんか?」と話があったときは、様々な執着心から荷が重過ぎるという理由で断りましたが、学法を通じて、私という執着心を取り除いて、担当になったことは、私にとって修煉の大きな一歩を踏み出すきっかけとなりました。

 2010年の神韻福岡公演では、高速道路の運転は恐怖心があってできませんでしたが、「人を救う人が、そういうことでいいのか?」と協調人から指摘を受けて、「そうだ、私は人を救う責任、使命がある。こうしてはいられない」と思い、すぐに恐怖心を放下して運転し、福岡市役所、福岡のテレビ局やラジオ局、新聞社等に真相を伝えに行きました。地元の唐津市にも自分で高速道路を飛ばして行って、恩師や知人、 友人、親戚の人たちに神韻の素晴らしさを伝えました。この間は一人でも多くの人が救われることを願いながら、テクニックではなく、慈悲の心で、神韻の素晴らしさを多くの衆生に伝えました。「修は己にあり、功は師にあり」なので、一念が届けば、縁のある人がその席に着くようになる、その人が救われるかどうかは師父が按配して下さると思いました。その時は他界した父の死も重なりましたが、師父に按配していただき、見守っていただきながら、精一杯心を尽くすこと ができました。

 2003年から続く熊本での「法輪功」の講座では、案内チラシやポスター掲示を理由に各公民館館長や熊本市、熊本県にも真相と法輪功の素晴らしさを伝え、何千人もの衆生が法輪功とその真相を知るようになりました。2010年5月、一人で公民館館長に真相を伝えに行きました。人前で話すことが苦手だった私は、いかに真相を相手に伝えればよいかと思い、毎回レコーダーに自分の真相説明を録音し、反省点を生かしながら、うまく伝えられるよう努力しました。毎日時間がある限り真相伝えに行き、熊本市や県の教育委員会にも真相を伝えて、19箇所の公民館全てに「法輪功」のチラシやポスターを設置することができました。全て師父の按配です。

 2011年には熊本市のボランティアの文化祭に参加し、功法を実演し、私たちのブースに訪れた70人の人々に真相を伝えました。そして、テレビの生放送に出演するチャンスが訪れて、法輪功の黄色のTシャツを着て堂々とマスコミの前で法輪功の素晴らしさを伝えることができました。ついにこの時期が訪れたことに感動し、師父に感謝いたしました。

 今年の神韻公演では、熊本から神韻広島公演へ直行バスを出し、私はバスの係りを担当しましたが、当日は大雪のため高速道路が通行止めで、一般道路に降りても間に合わない状況で、急遽新幹線に変更して、神韻広島公演の開演時間10分前に到着しました。同修と協調協力して、全員が無事に、神韻広島公演を鑑賞することができました。本当に奇跡でした。その時の記念写真には大きな法輪が写っていました。

 こうして、いつも師父に見守っていただきながら、5年の修煉を続けています。師父のご恩に深く感謝いたします。師父、ありがとうございます。

 修煉は厳粛です。私はまだまだ修煉に対しての認識も甘く、時には、師父に按配していただいた難をなかなか乗り越えられず落ち込んだり、自分を責めたりすることもあります。しかし、転んだら立ち上がり、次回うまく行くよう努力すればいいと自分を励まし、これからも師父が法を正すことを手伝う大法弟子として、その名に恥じないようもっともっと心性の向上に励んで行きたいと思います。

 師父がこの素晴らしい法を伝えだされたことに深く感謝し、師父のご生誕と伝法20周年を心よりお祝い申し上げます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/6/11/257970.html)     更新日:2012年6月14日
 
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