内に向けて真摯に探す青年大法弟子
■ 印刷版
 

中国大法弟子

 明慧日本2012614日】大法弟子の中、前世紀の70年代、80年代90年代生まれの青少年多くいます。中共邪党の一人っ子政策により、彼らの多くは大都市で一人っ子として生まれ、幼い頃から過保護育ち、他と比べて、幾つかの方面で執着が形成されやすいのです。私は自身の修煉過程から、以下の幾つかの方面での問題が顕著だと感じています。

 一、“無神論”の影響を強く受けている

 私は幼い頃から勉強に励み、知識を多く掌握すればするほど賢く、有能になると思い、知らず知らずのうちに邪党の“無神論”の毒素を吸収していました。大法修煉を始めてから、私法理理解表面に留まり、不思議な出来事を経験しました、内心では功能や神通、そして他空間の高次元生命などに関して、自分の目で見ないと信じないという常人の状態に留まっていました。特に法を正す時期の修煉に入ってから、私は師父がおっしゃった、大法弟子に能力があるとのことを表面では信じているものの、自分で経験したことがないので、ずっと自分に何の能力も無いと思い、修煉もずっと常人の観念、常人の状態に留まっていました。挫折してから分かったのですが、長い間、私は人心を持って正法修煉に対処し、迫害を人間による人間への迫害だと思い、実際、世間の悪人を動かし、大法弟子に迫害を加えている元凶は他空間の旧勢力であることを軽視しました。もし、自分がずっと何の能力も無い常人だという認識を持つなら、邪悪による迫害から抜け出すことないと思います。

 真相を伝える際、“修煉”に言及すると、すぐに邪党に押し込まれた“無神論”や“封建、迷信、愚昧”などの言葉が頭に浮かび、それらの言葉に気を取られ、真相伝え効果も薄くなります。

 “無神論”の最も大きな危害は、私たち大法弟子の師と法を信じる正念を弱め、表面では師父の説法を信じるが、実質師父の教え通り実行しないようにさせられてしまうことです。魔難に遭っても師に助けを求めることを思い出せずなぜなら見えないゆえ信じないのです。こうして、私たちは益々偽の現実に陥り、真の自分の本性に戻れず、宇宙の真の現実も見えなくなります。師父『転法輪』論語の中でおっしゃいました。「この領域を切り開くには、常人の観念を根底から変えなければなりません。さもなければ、宇宙の真相は人類にとって永遠に神話のままであり、常人は己の愚かな所見に限定された枠の中で永遠に這いまわるしかありません。」

 二、修煉の厳粛性を十分に認識できず、根本から名利執着する

 青少年大法弟子は“無神論”の毒害により、修煉に対して直感的に良いと思っても、邪党により伝統文化が破壊された環境下で、修煉に対して系統的概念がなく、修煉の厳粛性を十分に認識できません。最近、雲房は呂洞賓を十回試すという民間伝説を読みました。その中で、呂洞賓は師から正式に法を伝授される前に、常人社会の親心、利益、色情、生死などの試練を十回受け、しっかりと毎回の関を乗り越えて初めて師父に認められ、修煉の秘訣を伝授されました。この中から読み取れるように、常人が修煉の道を歩み出すと、必ず常人の一切の執着を放下しなければならず、その要求も非常に厳しく、要求に達せなければ修煉の機縁を失ってしまいます。大法の修煉は徐々に一切の執着を放下することを認められていますが、最終の試練は厳粛で、しっかりと要求を満たさなければなりません。

 私は元々自分が名利などに疎い人だと思っていました。しかし後に気づいたのですが、常人は常人社会の現実的な利益に執着しますが、私の場合、大法修煉の結果に執着していました。修煉すれば三界から離脱し、輪廻の苦痛を受けず、永遠の幸せを得られると期待しています。円満成就の願望を持つのは間違いではないですが、個人の解脱だけでなく、真に円満した覚者は宇宙の護衛者であり、宇宙の一切の正の要素に責任を持つべきです。常人の利己心を持ったまま、衆生のために犠牲を払ったり責任を負ったりすることはできず、円満の境地にも達せません。また、常人の利己心があれば、魔難に遭遇した際に動揺し、自分の名利が損失を被ったと感じたら、「難の中に迷って青天を恨む」状態に陥ることもありえます。

 三、高等教育を受けたため自分を偉く思い、自我執着し他人を見下す

 私は幼い頃から成績が優秀で、良い大学を卒業し、良い仕事に恵まれ、周囲の賛辞の中で自我が膨張し、自分は凄く偉いと思うようになりました。自我執着するあまり、私は他人の正確な意見を聞き入れず、自分より強い人を妬み、自分より劣る人を見下していました。この状況下で、私は自分を省みず、内に向けて探さず、真相伝え際も自分の意見を他人に押し付け同修との間も隔たりを作ってしまいました。自分は良く修めていると思っているものの、実質井の中の蛙のように、私に見えるのは永遠に井戸の底からの限られた小さなでしかありませんでした。

 四、幼い過保護に育てられ、極端に冷たく、他人のことを配慮しない

 真相伝え際、私は自分に慈悲心がなく、何かの任務を果たしているような感じでした。その表れとして、私は他人だけでなく、自分の親族を救う気持ちも薄く、無関心でした。幼い頃の優越感で、私は自分が最も大事で、他人などを配慮しませんでした。『紅楼夢』の中で、惜春という人物がいて、彼女は表情も心も冷たいとの評判を受けており、出家しても実質、極端な利己心を持って世間から離れ、自分自身だけの解脱を追求しました。実際、このよう冷たく、利己的な心理状態の中で解脱することはできず、他人を救うことはなおさら程遠いです。 

 五、文芸作品の影響で、変異した観念や思想業力が形成されている

 私は幼い頃から伝奇ストーリーや義侠小説を読むのが好きでした。しかし、この類の作品の中には常人の名、利、色、情や闘争が充満しており、長く読むと思想業力が形成され、しばし頭の中で色々な小説のストーリーを構想し、思想が静かにならず、時には非常に汚い考えも現れました。大法修煉を始めて以来、一度、師父にこの類の思想業力を沢山消去して頂きましたが、自分が修煉を緩めると、すぐさま思想業力が生じ、再び色々と考えるようになります。学法発正念の際集中できず、真相伝え際に清らかな思想を持てないのもこの思想業力の影響によるものです。

 六、幼いから順風満帆なため、ちょっとした挫折で意志消沈する

 幼いから順風満帆なため、私は修煉の中でちょっとした魔難に遭うとすぐに意志消沈、常人に真相を伝える際も相手の反対意見にぶつかると心が穏やかでなくなります。何故なら、今までこのように重い話を人から言われた経験がなかったからです。物事をうまく処理出来なかったときもずっと気になり、挫折したらそのまま落ち込んでしまい、消極的な気持ちで、前進する勇気と時間をも失ってしまいます。

 以上は今までの修煉の中で自分が見つけた問題点です。問題に対する認識はまだ浅いですが、しかし、以前の自分と違い、私は自分を高嶺の花だと思わず、自身の問題を見つけられるようになりました。今後の修煉において、私は謙虚な生命として内に向けて探し、自分の執着を隠さず、着実に自分を修めて行こうと思います。私認識した問題点等が、他の青少年大法弟子の参考になることを望みます。皆と共に精進し、師が法を正すことを手伝う修煉の道を良く歩み、自分たちの真の家に戻りたいと思います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/5/17/257651.html)     更新日:2012年6月15日
 
関連文章