私は浮かび上がった(二)
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 【明慧日本2012627日】

 三、危険から守られた

 それから、主人と一緒に毎日続けて学法煉功し、利益に無頓着になり大法に従って仕事忙しいですが体疲れを感じません。ある日私と主人一緒にバイクタクシーに乗って工事現場の職場に帰るとき、三叉路で車にはねられました。相手の車のフロントガラス割れて、ドアも凹みました。私の脚タイヤの下敷きになりました。

 野次馬がたくさん来て、救急車を呼ぼう、この脚はきっともう駄目だと話していました。当時私は怖がらず、私は大法修煉者なので大丈夫と、堅く信念を持っていました。そこで、ゆっくりと脚を引きずって、立ち上がりました。バイクの運転手と主人も転倒しましたが、皆無事に立ち上がりました。奇怪なこと、主人手にガラスのコーヒー缶を握っていましたが、その缶も割れていませんでした。車の運転手が慌てて私を病院に運ぼうとしました。野次馬の数が次第に多くなり、私は病院に行かないと断って、バイクタクシー代を払って工事現場に行きました。その後、シャワを浴びてか、腰にかすり傷しかないと分かりました。今回のことは、師父の法身に守られなければ病院どれだけ苦を舐めたのか、想像できません。

 もう一つのことですが、私と主人一緒に車に乗って外出しました。いつの間にか、車の前輪発電機の部品が断裂して、発電できずブレーキが効かなくなりました。ドライバーも大法弟子なので、ゆっくりと運転して、修理屋を探しました。修理屋我々の話を聞いて、びっくりしました。大法修煉者じゃなければ、想像もつかないことです。

 四、大法を実証する

 19997.20から、中国共産党が全国大法を弾圧し始めました。最初、私たちもどうすればよい分かりませんでした。それから、ほかの地区の同修が自発的に北京へ陳情に行ったことを聞いて、私たちも大法の冤罪を晴ら、師父の潔白を晴らすために北京へ行こうと考えました。辛うじて北京へ到着して、幸運に旅館に泊まることができました(当時は、各旅館も不法に客を監視しているそうです)

 翌日、私と同修は横断幕を準備して、大法を実証する心を持って、天安門に行きました。すでにたくさんの同修が来ていました。皆が無私無我で、はるばる来て大法の無実を唱えに来ていました。私はよい場所を選んで、横断幕を張りました。一瞬間、私の体が無限に拡大して、常人の雑念もなくなり、天地の中で唯我独尊の気概でした。

 「法輪大法が正しい」「師父に潔白を返せ」のスローガンを他の同修と一緒に叫びました。それから、警察のパトカーがサイレンを鳴らしながら殺到しました。同修と一緒に殴られて、連行されました。当時の留置場は各省の単位で監禁していました。すべての部屋が、大法弟子でいっぱいになりました。若い人いれば老人、子供もいました。皆が論語、『洪吟』を暗唱して、体験談交流もしました。10数日後、私は地元に送られました。

 それから学法を通じて、警察に捕まること自体目的ではな真相を伝えことこそ法を正す時期の大法弟子の責任と悟りました。私たちは理知に真相を伝え、毎日煉功、発正念をしてから外にでています。真相資料を配ったり、対面で説明したり、三退勧めています。

 風雨経歴のなか16年も過ぎました。たくさんの体験がありますが、言葉では師父の慈悲の済度こたえられません。これから、師と法を信じて、三つのことをしっかり行ない、しっかり修めて、衆生を済度する使命を果たすしかありません。

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/6/15/256758.html)     更新日:2012年6月28日
 
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