文/黒竜江省の大法弟子 得志
【明慧日本2012年6月30日】私は中学校の教師です。毎年の「教師の日」に、全校の教師は健康診断を受けます。去年の健康診断の際、多くの教師はあれこれと病気が見つかりましたが、私だけは毎回の検査を受けなくてもよいことになっています。全校の教師の中で、私は最高齢ですが最も健康です。ある日、何人かの教師が健康診断の結果を話題にしていた際に、健康を保つ秘訣を聞かれた私は、次のように答えました。
私が健康なのは、法輪大法を修煉しているお陰です。以前の私を知る人なら誰しもご存知ですが、私は突発性心臓病、脳神経痛、喉の炎症、胃炎、頸椎症、腰脚の痛みなど、教師の職業病の多くを持っていました。あなた達と同じように、私も責任感が強いので、全力を尽くして仕事に没頭していました。しかし、負けず嫌いの性格で努力しているうちに、心身共に疲れきってしまい、いくら努力しても力が及ばず、身体がついていかなくなりました。気にくわない人や面白くないことに遭うと、心臓病の発作が現れ、呼吸困難になり、酷い場合は倒れて何も出来なくなりました。生徒が勉強せず問題を起こしたりすると、私は苛々して怒りっぽくなり、胃の痛みは日常茶飯事になりました。また、仕事のストレスが大きくなると、神経質な私は夜に眠れなくなり、頭痛もコントロール出来ないほど酷くなり、涙がとめどなく流れました。
しかし、私は幸運でした。99年の元旦、私はある退職した教師から『転法輪』を借りました。借りるのは容易ではなかったので、私はその日の夕方5時から深夜の1時まで、8時間で本を一通り読み終えました。それから、私は大法修煉の道を歩み始めました。毎日、私は心を静めて本を読み、煉功して心性を修め、道徳水準を高め、「真・善・忍」に則って自分を厳しく律しました。まもなく体が浄化され、心性も昇華しました。病気という概念を持たないので体が軽くなり、薬を飲まず、針の1本も打たず、以前患っていた病気の全てが奇跡のように消えました。大法は本当に不思議です。
大法修煉を始めてから、体が健康になっただけでなく心も穏やかになり、以前のような闘争心がなくなり、仕事を着実にこなしながらも名利を求めず、誠意と善意を持って人に優しく接し、常に他人のことを配慮して争わず、学校の他の教師や生徒を身内のように思い、問題が起きたら自分の間違いを探し、誠実な態度で穏やかに話しました。教師や生徒との関係が良くなり、大法弟子としての私の言動は、周囲の人達を心服させました。
体は健康に、仕事は順調に、家庭は睦まじくなった
大法を修煉してからの私の心身両面の大きな変化を目にして、周囲の人達は大法を認め、家族、同僚、生徒やその両親、そして社会各界の人達も大法に好意をもち、以前、大法弟子を迫害し、共産党の影響を多く受けていた人達も「修煉している人はやはり違います。素晴らしいです」と言いました。
私は社会の中で修煉しているので、私に接している人達は、口で大法を認めるだけでなく、私の変化を見て、知らず知らずのうちに感化され、良い行いをするようになりました。私の修煉体験、変化、言動の一つ一つは大法が人に良いことをもたらす証ではありませんか?
実際、大法は私を変えただけでなく、私の周囲の多くの人をも変えました。いくつか例をあげてみましょう。
一、 修煉後、拾った金をごまかさずに法を実証する
ある日の放課後、学校には3年生の生徒しかいませんでしたが、私は仕事を終え、帰りに教室棟の階段で80元を拾いました。当時、その場には私1人しかおらず、早くこれを落とし主に返さなければと思いましたが、生徒の殆どは既に帰宅しており、私は校門の辺りで放課後の勤務をしていた孫先生に事情を説明した後、そのお金を彼に預けました。彼は「恐らく3年生の生徒が落としたのでしょう」と言いました。週末明けの月曜日、全校の定例会議が開かれた際、私がお金を拾ったことが報告され、その場で落とし主がお金を確かめて受け取りました。お金が手元に戻った生徒は喜んで、感謝の言葉を述べました。「先生は本当にいい人です。他人なら返してくれなかったでしょう。法輪功はすばらしいです」
教師たちも口を揃えて言いました。「お金には持ち主の名前が書いてないので、誰が使ってもおかしくないこの時代に、誰がそれを拾って返すでしょう」言い換えれば、煉功者しかできません。その後間もなく、ある生徒がグラウンドで携帯をなくし、2年生のある男子生徒が拾いました。彼は携帯の中のカードを取り出して、自分のものにしようとしましたが、暫く迷った後、やはり落とし主に返すことにしました。この生徒の行為を褒賞するために、担任の教師は携帯を落とした生徒に謝礼のプレゼントを用意させて、拾った生徒を表彰しました。これは学校によい気風を育てました。
二、修煉者は他人に優しく接し、優しく接される
学校は農村部にあるので、付近の村の生徒たちは一緒に寮に住んでいます。彼らは何か困ったことがあれば、いつも私に尋ね、私は生徒たちを自分の子供のように思い、いつも優しく接しています。学校では安全を考慮して、各クラスにお湯を用意しておらず、多くの生徒はよく私の事務室にお湯を汲みに来ます。特に寒い日は、子供達が可哀想に思います。私の所にあるお湯のポットの水がなくなれば、優しい学生は水を汲んできてくれます。私が彼らに感謝すると、彼らはいつも「先生、あなたは本当に優しいです。『法輪大法はすばらしい!』先生が私たちに、こうするように教えてくれました」
学校の内外で、このように人に優しく接する生徒をよく見かけます。2年生のある女生徒は私にこのような事を教えてくれました。「ある日、私は通学の途中で、お婆さんが滑って倒れているのを見かけましたが、誰もそれを気に留めないので、私はお婆さんを支えて家まで送りました」私は彼女の行為を褒めてあげました。彼女は「先生はもっと優しいです」と言ってくれました。「真・善・忍」は人を変え、大法は本当に人を変えることが出来ます。
三、「法輪大法はすばらしい」と念じ、教室の電気がついた
ある日、授業中に録音機を使おうとした時、突然原因不明の停電になりました。仕方なく、録音機の使用をやめようと思いました。この時、普段はあまり勉強が好きでない男子生徒が、挑発的な口調で私に聞いてきました。「先生、法輪功はどう煉りますか? 法輪功が教室の電気をつけられますか?」この突然の質問に、私はすぐに答えず、彼を静かに見ながら心の中で思いました。「大法に善意を持てば福報を得ます。『真・善・忍」を覚えて、必ず良い生徒になってください」と。この生徒は私が怒らず、彼を叱責しないのを見て、再び聞いてきました。「先生、『法輪大法は素晴らしい』を唱えれば、電気がつきますか?」
私は微笑みながら、彼に反問しました。「心からの誠意を持っていますか?」この時、彼は突然振り向いて全員に大声で叫びました。「法輪大法はすばらしい!」クラスの全員も彼に続いて一緒に「法輪大法はすばらしい!」と叫びました。その声が天まで響くように大きく聞こえたとき、突然、教室の全ての電灯が一斉につきました。一瞬にして、教室は静まりかえり、皆は目を大きく見張りました。私も驚いて、心の中で思いました。「本当に不思議です! 誠意があれば、大法は必ず奇跡を見せてくれます」暫くして、クラス全員が呟きました。「本当に不思議です!」
この日の放課後、政治を担当する先生が私の所に来て、「あなたは普段、本当に力を尽くしていますね」と言いました。私はその意味が分からず彼女を見ていると、彼女は「つい先ほどの授業で、今はどの法が一番大きいのかという問題を出したら、生徒達の答えは何だったと思いますか?」と言うのです。私が「何ですか?」と聞き返すと、「『法輪大法が一番大きいです』と彼らは口を揃えて答え、しかも私が分からないかもしれないと思って、そのあと『法輪大法はすばらしい!』と言ってくれました」
以上のような事例は言い尽くせないほど多くあり、生活の中で、また仕事の中でどんな小さな事でも法を実証することができます。私は時々刻々自分を厳しく律し、「真・善・忍」の基準に従って行動し、一つの考え、一つの念も法に照らして言動を正しくし、真の大法弟子のように振舞います。本当に真心を持って無私無我に実践の中で修めれば、「法輪大法はすばらしい」と口にしなくても、自然に周りの人々は真相を知った後に、大法と大法弟子を認め、大法弟子の慈悲を感じ、大法の威厳と師父の慈悲を感じるのです。
法輪大法はすばらしい! 人々が真相を知り、皆が目覚め、平安であるよう願います。
(明慧ネット「法輪大法が広く伝えられて二十周年」応募作品)