文/中国の大法弟子
【明慧ネット2012年7月5日】一部の執着心は、知らないうちにゆっくりと生じ、執着が大きくなった時になってはじめて、ようやく状況の厳しさに気付きます。一部の心は様々な口実により隠されており、ひいては大法の仕事をもって隠されています。色欲の心は私にとって長い間、非常に深く隠れていた執着心でした。
今日まで16年間修煉してきました。修煉の初期にはこの方面で過ちを犯してしまいましたが、その後の14年間はきちんと自分の体を守り、男女関係の問題は発生しておらず、例え異性に出会っても、「情は生じても、礼儀が許す範囲内」という原則を守っていたと考えていました。常人と結婚することは、考えることすらできないことでした。私が接触した男性の同修はみな家庭を持ち、男女関係の問題について非常に厳格でした。自分はこの方面でよく修めていると感じていました。しかし、ある出来事を通じて、実際は色欲の心が自分の空間場の中のとても深い所に隠れており、いったん機会が訪れれば暴露され、しかも異常に激しく自己制御ができないほどであることに気付き、もう少しで十数年の修煉が台無しになるところでした。
色欲の心は旧勢力が、この方面で着実に修めてない弟子に与える最も破壊的な試練です。特に長い間独身の同修は、はばかることなく欲望が拡大され、色魔と情魔に隙に乗じられやすいのです。とても容易く「常人の状態に合わせる」という口実で、法の中からこの心を捨てない口実を見つけてしまいます。
実際、いかなる心も天上に持っていくことができません。私は人の紹介で、長い間独身の男性同修に出会いました。私たちの間の男女の情は素早く拡大され、とても短い期間で恋人になり、離れ難い程度にまで至り、もう少しで正常な関係を破るところでした。一カ月足らずで、ひいては結婚したくなり、色欲と情魔に駆り立てられ、私たち二人は理性を失ってしまいました。同修達は精進して三つのことをやっているのに、私たちは色欲の深淵に陥り、自力で抜け出せなくなりました。
師父からは再三の慈悲なる啓示を受け、家族の同修とは法理に基づく交流を行いました。また周りの同修達も、この方面では間違いを起こしてはいけないと指摘してくれました。私は時には冷静になり、時には愚かになり、色欲に制御されて内心が動揺して、どうすればよいか分からなくなり、3回もこの執着心を断ち切ろうとしましたが、実際は行動に移すことができませんでした。その後、やっと決心して、危険の瀬戸際で踏みとどまることができました。
心をえぐり、骨身にこたえながら、色欲を取り除く過程を通じて、情と色を放下することはきっと大きな解脱であり、後天的に形成された変異した異性に対する観念と、人類の道徳が滑落した後の腐敗した観念が私を左右していたと気付きました。この過程の中、私はこの男性の同修に対して慈悲が足りず、ただひたすらに彼を責め、一方で適宜に自らを正さず、内に向けて自分の不足を探しませんでした。もし付き合った当初から、時々刻々内に向けて探していたら、その後の大きな関はなかったはずです。この男性の同修も、必ず法の中で自己を正し、絶えず精進するだろうと信じています。
この体験を書き出したのは、似た状況に置かれている同修に参考にしてもらいたいからです。時々刻々、内に向けて探してこそ、やっと間違った道を歩むことが少なくなると伝えたいのです。