文/黒竜江省の大法弟子 新宇
【明慧日本2012年7月28日】私の伯母は田舎に住んでいます。伯父が文化大革命で迫害を受けて亡くなったため、伯母は1人で毎日耕作をして、3人の子供を育て、苦労がたたって病気になりました。伯母は交通の不便な田舎に住んでおり、暇もないので、普段は街に出てきませんが、秋の取り入れが終わった後に、私の家に泊まることもあります。
1997年の秋、秋の取り入れが終わった後、伯母は杖をついて私の家に来ました。「足はどうしたの? 事故に遭った? どうしてがに股になって、杖までついているの?」と私はとてもびっくりして、伯母に聞きながら心が痛くなり涙が出ました。
「事故なんかじゃないよ。先日からここに来たいと思っていたけど、秋の取り入れが忙しくて来られなかったのよ。最近ようやく暇になったとたんに足が痛くなって、1週間も経たないうちにがに股になってしまった。仕方ないから、こっちの病院に行くつもりよ」と返事しました。
その時、私はもう法輪大法を学んでいましたので、伯母に勧めました。「今私が学んでいる法輪大法はとても素晴らしいよ。そのくらいの病気だったら、学んだらすぐ治るわ。リューマチで夏も木綿のズボンをはいていた私も完全に治ったんだから」
その後、私は大法の素晴らしさを詳しく説明しました。伯母は根基のいい人で、まじめに聞いてくれました。そして突然「師父はどなたでしょう」と聞きました。すぐに私は伯母に説法の録音を聞かせました。伯母は字が読めませんが、まじめに聞いて、時々頷いて「そう、そう、そう」と賛成していました。「この説法している方の声はどこかで聞いたことがある」と言いながら、4、5時間ずっと聞いていました。
伯母の足が不自由なので、次の日の朝、煉功点には連れて行きませんでした。しかし帰ったとき、伯母が壁に掛けてある師父の動作をまねて1時間座禅をしたと知って、私はとても嬉しかったです。「伯母さんの悟性はすばらしいです! 学んだこともないのに、座禅をよく知っているね」と言うと「師父の写真の動作をまねしているだけだよ。師父にお礼を言います」と返事しました。
1週間後、病院にも行かず薬も飲まずに、伯母のがに股は治りました。伯母の家から駅までは9キロ離れており、私の家に来たときは息子にバイクで送ってもらいましたが、帰るときは歩いて帰りました。しかも、伯母は「歩くというより、舞うと言ったほうがいいよ」と言いました。電車から降りたとたん、体が舞い上がったのです。
伯母が帰った後、周りの人は伯母ががに股まで治る玄妙な功を学んだと知って驚きました。20数人の村人がすぐ学びたいと言いました。しかし伯母は教養が低くてうまく説明できなかったので、息子さんを私の家によこして、師父の済南での説法を録音してビデオを撮り、プレイヤーを買って煉功点を作りました。
伯母は若い頃、妊娠した時にお腹の中に硬くて冷たい饅頭のような腫瘍ができました。その腫瘍のため、彼女はずっと苦しんでいました。しかし大法を学んだ後、法輪が腫瘍のところをずっと回っており、しばらく煉功した後、腫瘍は自然になくなりました。
同じ煉功点の人で、目が不自由な人もしばらく煉功したら見えるようになりました。そのことを証明するために、彼女は自分で手作りした上着を煉功点に持ってきて、みんなに見せました。
また、半身不随の人も煉功して師父に体を浄化していただき、杖をつかなくても歩けるようになりました。大法の素晴らしさと師父の偉大さを実証するため、彼は田舎を走り回りました。これらの奇跡を見た田舎の20数人が、また煉功点に来て学び始めました。
1997年7.20、中国共産党は大法や師父に嫉妬して、大法に対して残酷な迫害を始めました。そのため、煉功点は解散させられましたが、大法の素晴らしさや奇跡は、皆が心の中でずっと覚えています。
今年80歳になった伯母は、15年来薬を全く飲んでいないのにとても元気です。彼女が住んでいる田舎では、伯母と同い年の人はほとんど病気にかかったり、亡くなったりしましたが、伯母はずっと元気に暮らしています。その事実こそ、大法の素晴らしさを実証しました。数年前、ほかの人を救うために、伯母は実家に帰って家族全員を三退させました。その中の2人は、大法を学ぶようになりました。