修煉者は党文化の考え方をやめよう
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧ネット2012年8月16日】今年6月、先日修煉の道に戻った同修Aさんと会いました。Aさんの娘さんはすごく精進していましたが、何年か不法に労働教養を科されたのち、出獄直前に転向させられ、今は精神病院に不当拘留されています。私がAさんの娘さんに会いたい、助けてあげたいという思いをAさんに伝えると、Aさんは「無理です。刑務所の証明がなければ、会えません」と言いました。私は「絶対に会えます。その証明というのは旧勢力の按配で、私たちとまったく関係はありません。私たちは師父の按配以外は認めません。邪悪が何を言っても、私たちに関係がなく、いずれにしても私たちが行けば会えます」と言いました。Aさんも納得しました。

 帰ったら、精神病院に行くことを同修Bさんに伝えました、発正念を頼みたかったのですが、「刑務所の証明がなければ会えないでしょう」と、Aさんと同じことを言いました。仕方なく、もう一度Aさんに話したことをBさんに言いました。この後、できるだけ多くの同修にこのことを知らせ、発正念を頼み、出発しました。

 行く途中、発正念を続けました。普通、警備員は誰に会うのかを質問し、相手が大法弟子なら、入れません。しかし、私たちはまだ警備員と距離があるところで、もう一つの通路に追われました。Aさんは何も質問されていないことを不思議に思い、私とその通路に沿ってAさんの娘さんに会えました。この後、Aさん一人で娘さんと会おうとしましたが、会えませんでした。母娘が会うことすら禁止する中共はあまりに非人道的で、もはや人間の状態ではなくなりました。

 修煉を何年か続けましたが、最近ある問題を発見しました。それは身の回りの同修達は、問題が起きた時の念が正念ではなく、常人社会の観念であることです。

 実は、修煉自体が常人の考え方を取り除くことなのだと思います。何か問題が起きても、必ず正念を発し、正念とはすなわち神通なのです。全ての事に大法修煉者の正念で向き合うことができたら、もう自由に神通を運用することができるのです。かえって、常人の観念とは私達が法を正す師父を手伝い、衆生を救うことや同修を救出することにとって完全に邪魔になるものなのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/8/11/261426.html)
 
関連文章