貪欲の心を無くす
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文/中国大法弟子

 【明慧日本2012826日】修煉の中、いつも自分はもう名利心をほとんどなくしたと思い込んでいました。実は隠れている心もたくさんあります。最近、師父の『二十年説法』を繰り返し学法して、自分の欲が深い心を発見しました。

 師父は説法の中で、宇宙の構造と次元について教えてくださり、私たちの心を広げて、大法弟子の次元がとても高いと教えてくださいました。いつの間に私は歓喜心が生じて、自分も次元から来た生命なのだとうぬぼれてしまいました。時々自分はいったいどれ程の高次元生命なのでしょうかと考えていました。師父は自分より低い次元のところは一目瞭然に見られるとおっしゃいましたが、自分より上にはまだまだがたくさんあります。この宇宙の外にはまだまだ大宇宙があります。私は大宇宙についてあれこれと妄想をたくましくし、好奇心、貪欲、邪念などが現れ、考えを無駄に費やしてしまいました。

 今回『二十年説法』中、師父は再度宇宙について啓示されました。この宇宙は本当に大きくて、我々の宇宙これだけ大きいと言ってもただの一つの埃に過ぎません。この宇宙は私にとって無限です、私の想像を拡大しても届かないほどです。私の欲望も永遠に届きません。今までの貪欲恥ずかしく思いました。これだけの貪欲があって、ずっと気づきませんでした。なぜでしょうかこれは私利私欲の中から生まれたものであり、ひとつの観念になりました。幼いころから悪党文化に教育されて、名利のために奮闘しつつ、小学生の頃から大学のことをずっと望んでいました。しかし文化大革命が発生し、その願いは絶たれました。悪党文化の中に、「元帥(軍隊の最高階級)になりたくない軍曹はよい軍曹ではない」「チャンピオンにろうとしないアスリートはよいアスリートではない」という言い方があり、知らず知らずのうちに人の闘争心や嫉妬心と貪欲を膨らませています。実は人間のすべてには宿命があり、神様が按排しています。生命には次元の差があり、常人の各業界も高低の区別があります。人々は特定のポジションがあり、国には一人王者がいて、軍隊には一人の指揮官、チャンピオンも一人しかいません。しかし無理に闘争すると、人の貪欲を助長し、知らず知らずのうちに人の観念を悪い方向に変えてしまします。汚職事件がこれ多くなったのも、やはり貪欲によるものです。人の道徳が落ちたのも、貪欲によるものです。一方伝統文化の中の克己復礼(訳者注:こっき-ふくれい、私情や私欲に打ち勝って、社会の規範や礼儀にかなった行いをすること)宿命論、天人合一、天意に従って自然に任せなどすべて人の貪欲を抑える考え方です。修煉の中で、私は常人の欲望れほど大きくないですが、修煉の次元に対する執着があって、ろく修煉もできていないくせに次元に行くこと願っていました。

 師父の説法により私は分かりました。三界を除き、他の次元は全部素晴らしいもです。神人のように満たされない欲望がありません。修煉の中で、人間の考えを抱えて神のことを思っても仕方がありません。神自分の元の真の家に帰ろうとし、次元の高低には執着しません。私は次元のことを思いすぎ、貪欲になりました。これは人心であり、天国に持って行けません。師父のおっしゃることを肝に銘じて、自分のやるべきことだけをやって、自分の使命を果たして初めて師父について真の家に帰れます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/8/8/261289.html)
 
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