【明慧ネット2012年8月26日】2001年、私は全ての正時に発正念を始めました。労働教養所で迫害を受けて家に戻った時、師父の『北米での巡回説法』を詳しく読みました。その中で大法弟子がマルタで発正念する事について、師父はおっしゃいました。「皆さんがあの邪悪な首魁に近いところで、それに向かって正念を発すれば、邪悪による保護は間に合わなくなり、それは気絶してしまいます。」(『北米での巡回説法』)私は全ての正時に発正念をすれば、邪悪は時間的に隙に乗じる機会がないと考えました。その時から、私は正時ごとの発正念を始めました。外出、真相資料の制作、煉功を除いて、正時ごとに発正念を続けました。食事をするときも発正念が優先です。実は一番難しいのは深夜です。大部分の時間はベッドに背を向けて寝て、秋も冬も服を脱がず、正時の間の45分はただ居眠りをしました。
数年間、正時の発正念を継続したことで、各方面の進歩は大きいと思います。きつくはありましたが、楽しくもありました。例えば、もし夜の全ての正時に発正念をした場合、次の日は精神状態が非常に良く、発正念と学法は全く眠くなく、度量も広くなり、環境もよくなりました。空間場が綺麗なため、圧力はあまりなく、恐怖心も少なかったです。もし夜の正時発正念が多く漏れたり、きちんと続けなかった場合は気持ちが落ち着かず、原因を探してみると、最近の行いに問題があると分かりました。一言一行が大法弟子の要求に合っているかを省みながら、知らず知らずに進歩しました。他空間からの邪悪があっても、悟ることができなくでも、それに打ち勝ちます。これも大法弟子に対する意志力の試練です。取り除かれるものは必ず邪悪です。正時発正念は他空間の邪悪の要素を取り除いていますので、このことも師父が法を正すことを助けることです。発正念をきちんとするのも、三つのことの中の一つです。
発正念をよく行えれば、突然のことにも正念でしっかり対応できるし、協力もよくできるし、師父からいただいた神通をよく運用できます。
2003年3月、あるビルの廊下で真相資料を配っていた時、真相を知らない人が私のことを警察に通報しましたので、その時、私の正念も強くなかったため、邪悪は隙を見つけました。自分の足は電気が走ったように震えて、止まらなくなりました。その後、気付いたら、手で足を掴んで「私は怖くないから、君も怖がらないで。止まれ」と足に命じていました。足はすぐ止まりました。交番に行っても、まったく協力せず何も答えませんでした。警官が私の写真を撮ろうとしたとき、私はカメラが無効になるように発正念をしながら、頭の向きを変えました。警察はパソコンのデータベースとスキャナーを使って、私の情報を探しました。警官の誰も、私の写真を撮る権利を持ってないので、パソコンが無効になるよう発正念しました。最後、警官は私を不法に刑務所に連行しました。
刑務所の中で、警察は私に立てと命じましたが、私は座りました。警官が座れと命令すれば、私は立ちました。名前を言わず、全てのことにおいて邪悪に協力せず、命令を全く聞きませんでした。その後、警官は私を名無しさんと言うようになりました。刑務所の中でも、夜は洋服を脱がずベッドに立てかけて、1日24回の正時発正念を欠かさないようにしました。師父の保護に心から感謝します。
見回りに担当する受刑者は、私が持ってきたデジタル時計を机の上に置きました。時計が遠くに置かれたため、最初の2日は正時を知らせるアラーム音があまり聞こえませんでした。心の中で、もし近くにあればよいのにと思うと、翌日、部屋が変わって近くなりました。ある夜、正時の発正念を2回出来なかったので、警官は私の住所と名前を言うように脅迫しました。その後、私は正念を強くして、警官も受刑者も私のことを妨害しなくなりました。夜、見回りの担当者も私が風邪を引かないように、発正念と煉功するとき、私のために窓を閉めてくれました。
師父の保護により2週間後、私は家に帰りました。
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2009/9/6/110614.html)