善に満ちた心を持とう
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本201291日】1998年の夏、私は幸運にも法輪功に出会い、法輪功の修煉を始めました。初めて煉功に入って目にしたのは、修煉者の和やかな座禅の光景でした。私が座ると、すぐに足を組むのを手伝ってくれた人がいました。法を学ぶにつれて、これは佛家修煉大法で、宇宙の特性「真・善・忍」に基づいて良い人間を目指し、良い人間、さらに良い人間になるよう要求されていることがわかりました。「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さず」、常人のすべての恨みや執着を取り除き、最後には佛道神に成就するのだと分かりました。そこには奪い合いがなく、和やかで、まさに現世の浄土です。

 私は「真・善・忍」に基づいて自己を律し、師父に身体を浄化していただきました。以前の持病がなくなり、本当に無病の状態で全身が軽くなりました。すべての恨みを捨て、子供に対して余計な心配はもうしません。法理に照らし合わせて、物事の因縁関係が分かり、心が穏やか充実し、軽くなりました。師父は「あなたの敵を愛さなければ佛にはなれません」(『ヒューストン法会での説法』)とおっしゃいました。そこで、私は自己の思惟を正し、心の中夫の両親への恨みを抱かず、夫と喧嘩をせず、息子に手を出すのもやめ、こうして、わが家は平和になり、温かくなりました。

 長い間、夫の母は健康がすぐれず、夫は病気の母を家に迎え、私は姑の面倒を見ながら、大法の素晴らしさを話しました。ついに、姑は「法輪大法は素晴らしい!」「真・善・忍は素晴らしい!」と念じるようになりました。最後の数年間、姑は半身不随で床につき、私は大法弟子としての心で世話をしました。ご飯や飲み物を一口ずつ口へ運び、大便を漏らした衣類を洗濯し、背負ってお風呂に入らせたりしました。恨みを持っていた私を変えたのは、言うまでもなく法輪大法です。

 娘は小さい時から耳に障害があり、補聴器をつけ、小学校から専門学校まで面倒を見てきました。多くの苦労をしましたが、法輪大法の導きがあり、師父のご加護があり、私の心は穏やかで、「苦を楽とする」をやり遂げました。

 娘の聴力もかなり正常に戻りました。医師も「これは珍しいですね。通常の場合、病状が悪化しなければいいほうですよ」と驚いて言いました。これは娘が毎日「法輪大法は素晴らしい!」「真・善・忍は素晴らしい!」と念じていたからだと私には分かっていました。娘は美しく、頭の回転も速く、手先も器用で、流暢な標準語を話し、また、とても素晴らしい仕事をしていることは、すべて大法の恩恵を受けているからです。

 姑が亡くなった後、私は過去の自分と姑との関係を娘に教えました。私が変化してきた過程を聞いた娘は感動して泣きました。「善に満ちた心を持ちましょう」と私は子供に教えました。

 これは私の修煉過程の一つのエピソードです。これを書いて同修の皆さんと交流したいと思います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/8/30/262170.html)
 
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