執着を取り除くこと実は容易なことである
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中国大法弟子

 明慧日本2012911日】今日になって分かりましたが、私たちの修煉は難しくなく、執着を取り除くことも容易なことです。要は私たちが取り除こうとするかしないかということです。法の中から私たちは分かりますが、精神病の患者は主意識が弱く自分を制御できないから、師父の法を得ることができません。もし私たちが修煉のとき主意識が強くなければ、修煉することができないと悟りました。たとえば私たち自身に反映されたある執着心を意識したとします。このとき私たちが動かす念は非常に重要です。もしすぐに、このような悪い思想は自分ではないことが分かり、自分の主意識とこのようなよくない思想を見分けることができれば、師父の法身は私たちを手伝ってこの部分のよくない思想を取り除いてくださいます。法を正す時期では、ただこのように認識するだけでは足りないと思います。私たちは発正念してこのような悪い思想を取り除くべきです。現在は法を正す時期であるため、ある思想は旧勢力に強められたのです。邪悪は根本的に存在してはなりません。

 もしこのような法に符合しない思想、あるいは各種の執着心が噴出してきたとき、私たちが気づかず、各種の執着心に動かされ、消極的に受け入れ、なすすべがないと感じるなど、全部正常な状態ではありません。自分の主意識が強くないため、師父もなすすべがありません。このような状況では執着心を取り除けません。

 例をひとつ挙げると、ネット封鎖を突破するソフトを使って動態ネットに繋げると、ホームページに常人の色々なニュースがあります。修煉者たちがこのような世間のものに関心を持つと執着になり、ふさわしくありません。見てしまって時間を費やしてから、自分がなぜこのようなことを見てしまったのかと後悔するに決まっています。よく把握しないと、次回また見てしまいます。常人のニュースに興味があるのも一種の執着心で、異なる空間では一種の物質で、取り除かなければなりません。自分は昔そうでした。今日決心してから、明日また後悔し、しかも何度も繰り返していました。後で私はこの常人のニュースに興味を持つ思想は自分ではなく、発正念してこの悪い思想を取り除きました。すると効果はすぐ表れ、次に動態ネットを開いたときは、それらのニュースには目が行かず、直接明慧ネットを開きました。比較的軽い執着心は、見分けてから12回の発正念によって取り除かれますが、重い執着心は頑固な観念になってしまったから、数回の発正念によってようやく取り除かれます。いずれにせよ、私たちは自信を失ってはなりません。

 師父は「修は己にありて、功は師にあり」『転法輪』とおっしゃいました。私たちは法を着実に学び、日ごろ自分の思想に注意し、よくない思想を見分けて取り除けば、執着心を捨てることは難しくありません。個人の体験で、不足の部分は同修の慈悲なるご指摘お願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/9/9/262531.html)
 
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