発正念と自己の修煉を堅持し、家庭内の妨害を解体する
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文/大陸の大法弟子 伊蓮

 【明慧日本2012918】明慧ネットに掲載された「巣窟から逃れ再び魔難に陥った同修との交流」という文章を読んで私は複雑な気持ちでした。収容所の中で正々堂々と邪悪の迫害に立ち向かい、迫害を解体した同修に敬意を持つ一方で、その後家庭内の魔難を突破できず世を去られたことに無性に心を痛めました。

 私は19989月に法を得ました。あまりにも法を得たのが遅いと思い、どんな邪魔や妨害があっても私はずっと法を真面目に学んできました。学法を通じて、私は師父が教えられた法理の奥深さを知り、自分が師父の説法を聞くことが出来ることに無上の光栄を覚えました。また、学法を通じて、私は旧勢力の迫害の下で、法を正す時期に自分を修め、衆生を救う道をよりよく歩むためには、発正念を重視しなければならないことをはっきりと認識しました。私は他の空間が見えず、超常的な経験も少ないのですが、師父の法を堅く信じています。最近発正念の際、体が熱く、思想が清浄な時、確実に多くの邪悪を解体し、他の空間をきちんと整理できたと感じました。

 私は家庭の難関を乗り越える過程で非常に困難な道を歩み、やっと今日の落ち着いてゆったりした修煉環境を切り開くことができました。

 私の周辺には大法弟子が少なく、大法弟子に接する機会もあまりないので、私の家族も必然的に大法に接することなく、修煉に対する認識も浅かったのです。私の両親は邪党の無神論に深く影響され、神仏を信じることなく、特に父は苛立ちやすい性格で、話す度に罵声を上げる事が日常茶飯事になっていました。一方、母はひたすら我慢し、父に対し成す術はありませんでした。両親は教育を受けておらず、勤勉に勉強して高等教育を受けてきた私は彼らのプライドと希望になっていました。

 1999年に迫害が始まってから、両親は私の学業を心配し、あらゆる手段を使って私を大法から日々遠ざけようとしました。私が初めて不法に拘禁された際、両親ははるばる故郷から来て、私に圧力をかけ、自由と仕事を取り戻せるよう母は跪いて私に「反省文」を書かせようとしました。そのとき、私は師父の教えを思い出し、妥協しなかった為、結局不法に拘禁されてしまいました。「修煉者のゆるぎない正念は一切の人間の認識を超え、一切の人心を超越しており、常人には永遠に理解できないものですが、同時に、常人には変えられないものです。それというのも、人間には覚者を変えることはできないからです」(『精進要旨二』「強制は人心を変えられない」) 母は修煉の内包を理解できず、結局私が拘禁されていた間、ずっと師父と大法を敵視しました。

 収容所から家に戻った後、母は私の安全を心配して、尾行したり大法の本を隠したりしましたが、私は母がこれ以上大法に対し罪を犯さないよう母の行為を厳しく制止しました。同時に、私は出来るだけ母の事を心がけ、他の側面から真相を伝え、怠らずに発正念をしました。

 師父は『ワシントンDC国際法会での説法』の中で「今日の人間は、実は異なる次元の旧勢力の系統に按排された魔難を受けており、異なる次元の旧勢力に制御されているため非常に手ごわくなり、彼らは敢えて修煉者に手を下し、大法に対して不敬なことをしました」と説かれました。

 そのため、私は家族に対し特別に発正念を行い、毎日の四つの定時の発正念後、時間がある度に北京と現地の邪悪を取り除いた後、家族の背後にある邪悪の要素が取り除かれるよう発正念を続けました。仕事で地方に行った後も、私は家族のための発正念を続け、大法弟子の正念は時空を超え、必ず彼らの背後にある邪悪の要素がきれいに取り除かれると信じていました。こうして34年続けた結果、今は家族の態度が大分変わりました。

 母が私の家に来た際、私神韻の動画を見せると、母は神仏の存在の有無を聞いてきました。その後、私の根気強い説明を聞き、『転法輪』を読むようになりました。

 続いて私の夫について述べます。夫は私の同期生で、心優しく親孝行で学歴も高いのですが、科学教育の影響で常人の観念が強く、大法修煉に至りませんでした。邪悪な迫害が最も横行した数年のうち、夫も邪悪の圧力を受けてあらゆる方法で私の修煉を阻止しようとしました。師父から与えられた正念による仏法神通がなければ、私はその間の修煉の道のりを歩むことはできなかったと思います。

 「導航」『米国西部法輪大法法会での説法』の中で、師父は次のように説かれました。「我々大法の弟子が受けた苦痛、魔難ですが、皆さんに教えますが、それは個人の修煉のためにあっただけではなく、高次元の生命が学習者の業力と向上を口実に低次元の腐敗した生命を利用し、迫害を加えることによって大法を試練しているという要素もあります。実は法を正すことにとってそれは破壊なのです。皆さんは人間によってもたらされた魔難を受けているだけではありません。皆さんに修煉によって出来上がった一面もあり、皆さんが偉大な神ですので、極めて高い次元の神も皆さんに試練を与えています。ですから、今日の出来事は前代に先例のない、史上にもないこれほど大きな魔難です」

 夫は私の巻き添えを受けて会社でも迫害され、会議の際によく上司に「会社に出勤しなくていい。家でしっかり奥さんの管理をすればいい」と叱られました。こうして夫は毎日帰宅後、脚をテーブルに乗せるや否や私と喧嘩し、煉功する私を殴り、発正念をする私を罵りました。

 当時、私は現地の同修を知らず、身近に身内もいないので、1人であらゆる圧力に耐え、毎日曇り空を見つめながら空気の中に充満している邪悪の要素を感じ、法が人間社会を正す日が来るのを心から待ち望んでいました。当時の環境はまさに師父のおっしゃる通りでした。「1999年の720日以後、その時、全ての学習者も感じたかと思いますが、邪悪の付け入らない隙はなく、存在しないところもないようです。全てがまさにそれらの預言者が語ったとおり、天地を覆い隠す邪悪がやってきて、あたかも天が崩壊したかのように、あらゆるところに邪悪がいます。いくら良い人またはその他の生命であっても、その邪悪の影響を受けたかもしれません」(各地での説法二『米国フロリダ州法会での説法』)

 しかし、私の修煉に対する信念は一度たりとも揺るぎませんでした。私は地方の同修に『転法輪』を郵送してもらい、時間があれば通勤に向かう途中、仕事の後、本屋の中に座って本を読みました。夫が理性を保ってるとき、私は出来る限り彼に真相を伝えました。修煉が原因で、夫は離婚を迫りましたが、当時の私は修煉者が離婚してはいけないという観念のために同意しませんでした。私は人心と情を放下していないため再び迫害に遭い、不法に収容された間に、夫は私と離婚しました。

 収容所の中で、私は夫婦の情に対する執着を見つけ、自分の執着を取り除きながら発正念を続け、両親の努力で収容所を出ました。しかし、私はどうしても夫やその家族に大法を敵視してほしくなく、娘にも大法に接する機会を作り、常人社会に溺れない為に私は再婚を選択しました。夫も子供の幼さを考慮して再婚を受け入れてくれました。

 この数年間、私は数多くの家庭の魔難を経験しました。時には、同修と結婚できればこれほど多くの魔難を経験しなくて済んだのにと考えました。修煉の当初、夫は睡眠時間に煉功する私を阻止したり、真相資料を配る私を殴ったりしましたが、私はどんな状況においても学法と発正念を続け、機会があれば自分の正念を強め、夫の背後にある全ての邪悪の要素を取り除きました。生活の面で、私は全ての家事を受け持ち、文句一つ言うことなく黙々と仕事をこなし、自分の家族のように彼の家族に接し、出来る限り彼らの事に気を配り、善と犠牲をって彼らを感動させました。

 夫は色欲の強い人なので、発正念の際、私は彼の背後の邪悪要素を取り除くと同時に、彼の背後にある色魔と色欲の心も取り除きました。こうして34年続けた結果、ある日、師父は夢の中で私に「彼の色欲の心があなたの発正念でほぼなくなりました」と教えてくださいました。背後の邪悪が少なくなった今の夫は理性を保ち、私の修煉を邪魔しないだけでなく、時には私と一緒に煉功したりするようになりました。     

 一昨年、私は安全を軽視したため、三度目の迫害を受けることになりました。今回は、夫は離婚などを口にせず、あらゆる方法で私の救出のために四方を走り奮闘しました。1年後、再び常人社会に戻った私を夫の家族は非難しませんでした。夫の栄転は私の修煉で取りやめになりましたが、彼は何一つ文句を口に出さず、淡々としていました。中共邪党が政権を握る中国では、大法弟子の家族も違う意味での迫害を受けています。そのために、私たちは必ず自分の家族を救わなければならず、彼らに邪党の邪悪を見極め、是非をはっきりと認識させ、自身の為に希望と光を選択させなければなりません。

 しかし、明慧ネットに掲載された「巣窟から逃れ再び魔難に陥った同修との交流」という文章を読み、家庭の魔難に陥っている同修たちが、同じ修煉者である家族からも非難されていることに心を痛めました。大法弟子として、そして家族として、なおさらお互いを理解し、共に困難に直面し乗り越えなければなりません。修煉しておらず、真相が分からない家族も救わなければならず、ひたすら譲歩して我慢してはいけません。更に彼らが大法に対し罪を犯し、重大な業を作らないよう細心の注意を払う必要があります。

 大法弟子がもし、着実に発正念して邪悪を解体しなければ、もし弛まず学法をしなければ、修煉の道を正しく歩むことができず、邪悪の迫害を受け、家庭からの魔難を逃れることができず、三つのことをきちんとできないだけでなく、家族にも大法に対し罪を犯させることになります。

 明慧編集部の理性をもってはっきりした状態で、初めて修煉できるという文中に、このような指摘がありました。「師父が何度も私達におっしゃったように、大法の修煉は、主意識を必ず強くしなければならず、正念を用いなければ修煉することはできません。真に修める大法弟子は皆知っているように、真に修めることができなければ、師父が按排された正しい道を歩むことができず、旧勢力が按排した道を歩むことになり、そうなると、自分が救われないのみならず、遠い昔に師父に対して立てた神聖な誓いを実現することができません」

 魔難に陥っている弟子はなおさら正念を強め、正しい心を持ち、自分を真の大法弟子と認識し、内に向けて根本的な執着を探し、人心を放下しなければなりません。大法弟子は大法の法理を持って真に自分の心性を修め、家庭内のトラブルを処理し、継続して発正念を行わなければなりません。こうして初めて邪悪の陰謀を見抜き、邪悪が作った家庭の檻を突破し、修煉の道を正しく歩むことができます。

 以上は個人的な浅い認識ですが、妥当でない部分があれば同修の慈悲なご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/9/3/262347.html)
 
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