「人心で問題を見ないでください」に対する再考
■ 印刷版
 

文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2012年11月5日】『明慧週刊』第559号の「人心で問題を見ないでください」という交流文章を読んで深く感銘を受けました。私の夫も文中の人物のように、病業で亡くなったからです。数年来、夫と一緒に歩んできた道を思い出すたびに、胸は深い痛みと後悔でいっぱいになります。

 夫は私と同じように、迫害前から修煉を始めた古い修煉者であり、夫の法理に対する理解はそれほど深いとはいえませんが、表面上では幾つかの難関を勇敢に突破し、多くの人心を放下したように見えました。

 迫害が始まってから、夫は他の大法弟子と同じように、邪悪な迫害を暴き出して、真相を伝えました。普段、接触できるすべての常人に夫は勇敢に真相を伝えました。密告され、勤め先の管理職と「610弁公室」の職員がプレッシャーをかけてきた時に、夫は勇敢に対応しました。夫は職場で真・善・忍の法理に従って自分を厳しく律して仕事に尽力するほか、不正な汚職、収賄などをいっさいしないため、顧客や会社高層部の好評を博しました。修煉してから、毎年夫は会社の労働模範に選ばれ、省レベルの労働模範に何度も選ばれました。

 常人から見れば、夫は大法を堅く信じている人で、多くの同修から見ても夫は真に修煉している人です。毎日の仕事で5~6時間も外回りをして大変疲れますが、家に帰ったらしっかりと学法煉功を続けて、一日も怠ったことがないからです。夫は常人を救い済度する時にとても優しく慈悲に満ちています。彼は家の貯金を全額、資料点に寄付しました。普段はお金を節約して、真夏の炎天下で4~5時間外回りの仕事をして喉が渇いてもペットボトル一本も買わずに我慢していました。この点において、私も夫に心から敬服しています。

 しかし修煉は厳粛なことであり、法を正す時期の修煉の段階に入って、修煉者に対する要求もますます高くなりました。せっかちな夫は修煉してから大きく変わりました。しかし「三つのこと」をどれほどしたか、どれほどの人を救い済度したかを精進しているか否かの判断基準にしてしまい、修煉の基本は心性を高めることだと分かっていませんでした。そのため、難関に遭った時に、夫は執着心をなかなか放下できませんでした。

 迫害の初期、夜はどの場所に真相資料を配るかをめぐって、私たち二人の意見が一致しない時、夫は激怒して家の扉が壊れるほど蹴ったことがあります。修煉をだらけて遊びに夢中になっている子供に煉功を強要して、何度も強く引っぱたいたこともあり、子供はそのために何回も泣いて、修煉を諦めようとしていました。

 内に向けて修める法理が分からないため、多くの場合、難関に遭うと夫はただ我慢して、内心では怒りながら歯を食いしばって耐え、トラブルの中で執着を除去して高めることができませんでした。多くの場合、トラブルに遭ったら大法の法理で量ることができないため、関や難が少しずつ積み重なっていきました。

 近所の多くの家庭の水道料金は月極め制を採っていて、比較的安くなります。夫も我が家の水道料金を月極め制に変更したいと、何度も料金徴収のスタッフと相談しましたが、理由があって断られました。ある日、料金徴収の2人のスタッフが家に来た時、夫はとうとう自分を抑えきれず、足を踏みならして烈火のごとく怒り、何と言っても私に料金を払わせませんでした。私がお金を払った後、夫はその2人から無理やり料金を取り返したので、2人は恐れて家から逃げました。

 その時、私も外に向けて探し、夫の多くの言動は予想もできず、修煉者のあるべき状態からかけ離れていると思い、心の中で夫を軽蔑していました。彼と会話する時もよく責める口調で話して、自分の執着を除去する機会を逃しました。

 2006年3月、私がちょっとお洒落な感じのズボンを買ったために夫は激怒して、私の「変異した思想」を2、3時間も叱り続けました。私自身もズボンの件において自分に「変異した観念」があると意識しました。夫は一日中怒って、翌日また長時間私を叱りました。当時、交流文章を書いていた私は、黙って夫の話を聞いているうちに、とうとう我慢できなくて、つらくて涙を流しました。最後にもうすぐ書き終わる文章を、私は一言も声を出さずに破りました。

 その光景を見て夫は驚き、やっと自分が言い過ぎたことに気づいて、破れた紙をテープで貼り合わせてくれました。「もしこれがあなたの修煉を邪魔することになれば、私の罪になるのだ。私自身も理由はわからないが、どうしても怒りたいのだ」と夫は自分を責めました。夕方6時に発正念をする時、私の天目に二人の旧勢力の神が現れ、一人は夫を指さして、とても軽蔑した口調で私に「見てごらん、彼の様子を」と言いました。私はすぐ「邪悪は夫を迫害する資格がない」と意識して、ずっと発正念をすると、間もなく旧勢力の神は消えました。夜中の12時の発正念の時、私の天目になんと刃渡り15センチほどの長い刃物が、夫の枕の中央に上向きに立っている光景が映りました! その位置はちょうど横たわる時に夫の後脳部にあたる位置です! 邪悪のすべての迫害を解体するように私は発正念をしました。この件に関して夫は特に深く考えていませんでした。

 修煉する前、夫はよく外で賭博をしていました。修煉してから賭博を止めましたが、根本的な執着を取り除いていませんでした。中国では身内がマージャンで賭け事をするのはごく普通の遊びです。一族が集まる時に、夫は必ず皆とマージャンをやって賭け事をします。4月初めのある日、夫の弟が電話してきて、姑の家でマージャンをやろうと夫を誘いました。行くべきでないと分かりながら、夫は「これで最後だ、今後は二度とマージャンをやらない」と言って、私の顔色を伺いました。私は当然夫に行ってほしくなく、憤りを抱えて「何かに遭う時に大法で量らないあなたは、どのように修煉するの! 修煉をしたいのならしっかり修煉して、修煉したくなかったらマージャンをやってください。ただ今後は修煉を断念したほうがいい」と言いました。

 私の言葉はとても重くて、その後、言い過ぎたと思って心を痛めました。私は人心を抱えて叱り責める方法で強制的に夫を変えようとしていました。しかし、そのような人心では相手に過ちを認識させることはできません。『転法輪』に書かれている「気と気の間には制約作用がありません」のとおりです。弟から電話がまたかかってきた時、夫は「行く」と承諾しました。夫は私の言葉を借りて、怒った口調で「では、私は修煉を止める。これはあなたに強いられた結果だ。今後は私のやりたい放題だ。女遊びをして見せてやる」と言って出かけましたが、夫は不安そうでした。

 翌日家に帰った時、夫は昨日と違ってすでに落ち着いていました。自分の過ちを認識しましたが、修煉は遊びごとではなく、邪悪は彼の弱みに付けこんで迫害を始めました。3日後、夫は仕事中に大量の鼻血が出ました。なんと40日間で5回も出血して、そのたびに前よりひどくなり、出血時間も最初の30分から最後は6時間半にもなり、最後に夫は倒れて意識を失いました。(現地の同修はその日に、夫が死ぬ夢を見た) 結局、師父のご加持と同修たちの助けのもとで、夫は生死の関を乗り越えました。

 それ以来、夫の体調は明らかに悪化し、顔色は青白く、階段を上る時に息を切らして、亡くなるまでずっと咳をしていました。2006年の末に夫は咳や血尿、全身のむくみで夜通し寝られませんでした。同僚たちは夫に病院に行くように勧めましたが、夫はかたくなに病院に行きませんでした。気持ちはとても重かったと私は分かっています。彼と交流しようと思っても、彼は口を開かず、ずっと発正念をしていました。亡くなる一週間前の朝、夫の目を見た時、彼は間もなく亡くなることが分かり、私の心はどきっとしました。一瞬、頭が真っ白になり徹夜で発正念をして邪悪の迫害を否定しましたが、邪悪の妨害は大きく、その数日間、私は異常に眠かったのです。

 情勢は引き続き旧勢力の按排の通りに悪化しました。旧正月の大晦日の前日、「今回は私を止めないで、好きなように遊ばせてください」と夫は私に言いました。私の心は苦しかったのですが、どのように彼を説得すればよいか分かりませんでした。結局、夫は続けて3日間マージャンをやりました。

 2007年旧正月の3日に、夫婦で一緒に帰宅してマンションの階段を上る時、足のむくみのために歩きにくい夫は、私に手を伸ばして来ました。支えてほしいという意味でした。私はたまった不満が爆発して、「好きなように遊んだらいい、あなたを支えることなんかしない」と私はぷんぷんと怒って、苦しくて階段で立ち止まった夫を顧みず先に行ってしまいました。家に着いて10分後、夫は突然の病業で亡くなりました。

 数年来、夫を思い出すたびに、私の記憶は彼が手を伸ばして、私に支えてほしいと求めたその瞬間に戻ります。

 修煉は厳粛なことで、夫は遺憾を抱えてこの世を離れ、周囲の常人に大きなマイナスの影響をもたらしました。夫は着実に修煉しておらず、遭った難関を常人レベルの「体調の悪化」と思ってしまい、目の前の苦難からどのように抜け出すかばかりを追求して、それを修煉の一環として考えていませんでした。難関が積み重なって、とうとう越え難い生死の関になりました。師父はすべての大法弟子に最後まで修煉できる道を按排されましたが、夫は心性の向上が遅いので、旧勢力の按排を否定することができず、定められた天年でこの世を去ったのです。

 まだ人心を抱いている大法弟子に、形式だけを重視するような「修煉」から早く抜け出して、着実に自分を修めて、二度とめぐり合えない修煉の機縁を逃さないようにと、心から希望します。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/10/28/264581.html)
 
関連文章