法を書き写す過程で、内に向けて探す
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012年11月9日】私は長い間、学法の時、法が心に入らず、人を救う効果も良くなく、非常に悩んでいました。ある時、法を書き写そうという考えが浮かんできました。「『佛法』はこの上なく奥深いものであり、世のあらゆる学説中、最も玄妙かつ超常的な科学です」(『転法輪』) 私が法をよく学び、向上しようとする一念をもってから、師父は私を手伝ってくださり、悟らせてくださいました。

 根本的な執着を取り除く

 私は着実に、一字ずつ『転法輪』を書き写していきました。私は目次の「清浄心」を書き写した時、間違って「清静心」と書いてしまいました。なぜこの文字を書き間違ったのか、これは自分の心が清浄でないからに決まっていると思いました。その時、手の甲にふと目がいきました。

 数日前、両手の甲に左右対称に小さな水泡ができ、とても痒く、引っ掻いて水泡を破り、これで安心しました。しかしまた、水泡ができ、これを繰り返しているうちに、どんどん水泡が多くなり、手の甲の3分の1くらいが赤く腫れ、いつも水が出ていました。非常に醜い感じでした。私は旧勢力の迫害か、あるいは、蚊などを殺した、その報いだろうと思っていました。しかし発正念しても、師父に善解していただくようにお願いしても、まったく変わりませんでした。

 人心が動き、私はその痒みを止めようと、薬を塗ってしまいました。(心の中で、病院へも行かず、薬も飲んでないので、法の上から考えても大丈夫だと思いました。これは本当に自分自身を欺き、人をも欺きました) 結果は当然のことながら、さらに水泡が広がっていきました。

 私は突然分かりました。「浄」は師父が悟らせてくださっていることを! 師父が私の体を浄化してくださっていたのです。しかし私は人心で、人のやり方で対処し、本当に体も心も浄らかではありませんでした。16年間修煉を積んできましたが、悟性がまだこんなに悪く、本当に恥ずかしく思いました。私は直ちに薬を捨て、心の中で「今後、弟子は師を信じ、法を信じ、真に固く信じて、師父の慈悲なる済度に背きません」と誓いました。その時、一陣の熱い流れが頭のてっぺんから下へと全身を駆け抜けていくのを感じました。私は感動のあまり涙が止まりませんでした。「情けない弟子がまた、師父にご心配をおかけしました」。手の水泡はすぐにすっかりよくなりました。

 善を修める

 ある日、私は自分が書いた「善」の字が間違っていることに気づきました。上部の「羊」を「羔」の上部のように書きました。これは私の「善」が足りないので師父が悟らせてくださったのだと分かりました。辞書では、古代「羊」と「祥」は同じ意味でした。「善」の表現は、口から出る一つ一つの言葉が和やかであるはずです。しかし、私には恨み言、非難するなどの言葉が無意識的に出てきてしまいます。一度、同修と隔たりが生じたことがありました。

 師父は説かれました。「皆さんに既にお話しましたが、善は装って見せるものではなく、表面で維持している状態でもありません。善は本当に心からのもので、修煉を通じてはじめて、身に付いて現れることのできるものです」(『二〇〇四年米国西部法会での説法』) 修煉者の言行はその人の心性、修煉の次元の表れであることがはっきりと分かりました。

 師父は『転法輪』で「真・善・忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」とおっしゃいました。私たちが家族、同修あるいは常人に対して怨む心、非難する心で、はなはだしい場合は喧嘩ごしの口調で話す時、「真・善・忍」の基準で判断するとそれは悪い人です。それは業をつくっているのではありませんか。もし今、法を正す時期が終わるとすれば、私は基準に達し、師父と共に家に戻れるでしょうか? 師父は何回も私たちに穏やかで慈悲の心を保つようにとおっしゃいました。

 「平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです。日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。従って、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」(『転法輪』)

 完全に「真・善・忍」の宇宙大法に同化してから、心は慈悲になり、表情、話し方もおのずと和やかで、人を救う効果もよくなります。師父は『二〇〇三年旧正月での説法』で「法理をそれほどの高さまで認識することができれば、その程度まで行うことができます」とおっしゃいました。自分の善の心が足りないと認識してから、人を救う効果が明らかによくなりました。

 私は毎日明慧ネットから悪人や凶悪な警官の電話番号をダウンロードして、それらの人に真相メールを送ります。以前はいつも罵声と脅迫の返事が返ってきました。これは恨む心や善の心がないからもたらされた結果だと分かり、メールの内容で善ではない部分を修正して送ります。現在は脅迫の言葉はほとんどなくなり、相手から「私はもうそんなことはしません」「ありがとうございます」などのメールが送られてきます。本当に師父が『洪吟二』「法正乾坤」でおっしゃった通りです。「慈悲は能く天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」

 嫉妬心を取り除く

 「嫉妬心」を書き写した時、私は「嫉」の文字を2回も書き間違いました。私に嫉妬心を取り除くよう師父が悟らせてくださったのです。

 以前、私は自分に嫉妬心があることに気づきませんでした。私が法輪大法の修煉を始めてから、私と家族は多くの恩恵を受け、師父のご加護の下で自分はこの上なく幸せでした。他人が私を嫉妬することはあり得ても、私が他人を嫉妬することはあり得ないと思っていました。さらに「嫉妬」の二文字をじっくり見ると、どちらにも女偏があり、つまり、これは女性によくある問題です。私も例外ではありません。師父はまさにおっしゃっています。「嫉妬心は中国ではきわめて強烈に現われており、すでに日常茶飯事になっていて、自分でもそれと感じられないほど強烈なものとなっています」(『転法輪』)

 自分の嫉妬心の現れを探してみると、少なくありませんでした。同修が金のネックレスを私に見せながら、嫁が買ってくれたと話した時、私は「それは顕示心です。誰がネックレスをもっていないのでしょうか。修煉者がこれを首にかけてどうするのですか」と思い、同修が嫁と仲のいいことを喜んであげませんでした。息子が嫁に高級な衣服を買った時、私はあなたのために一生懸命働いて養ってあげたのに、私には何も買ってくれないのかと、家族にさえ嫉妬するのです。これはどんなに強い嫉妬心でしょうか。私はアメリカの同修たちが師父とよくお会いできるのを非常に羨ましく思います。私はまだお会いしたことがなく、潜在意識にはちょっとした嫉妬心があります。

 私は毎日明慧ネットにアクセスし、同修たちの文章を読んでいます。同修たちの修煉過程の文章を読んでいると、いつも励まされ、感動して涙が止まりません。ある時は「自分はなぜそのように修煉できないのか。あなたたちは修煉して王や主になるでしょう。私は法輪世界に行って、そこの衆生になります」と劣等感が自然に生じてきました。実はこれも一種の嫉妬心で、これらの執着心をもって円満成就できるはずがありません。師父は「嫉妬心という問題はかなり重大です。なぜならそれは、われわれが修煉して圓満成就できるかどうかという問題に直接かかわってくるからです」(『転法輪』)とおっしゃいました。

 師父がおっしゃった「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています」『精進要旨(境界)』 

 私は法理の一層の内涵が分かるようになりました。嫉妬心により、顕示心、闘争心、歓喜心、恨む心、劣等感などが生じ、ひいては心理状態が和やかでなく、言行が不善で、悪者になります。

 嫉妬心の根源は私心で、私心を取り除いて師父が要求された基準に達しなければなりません。「まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」『精進要旨(佛性に漏れなし)』

 この一層の法理を理解してから、私が人を救う効果が良くなかった原因が分かりました。私の出発点は私心でした。落伍することを恐れ、三つのことをして、毎日の任務を完成するようにしていました。真相電話をかけて、断わられると意気消沈し、もうかけようと思いません。面と向かって真相を伝える時、相手の態度が悪ければ、もうこの人は済度する資格がないと勝手に考えてしまいます。真相メールを送ってから、折り返して電話がかかってくると、驚いてすぐ電源を切ったりします。真に人を救おうとする慈悲心、責任感がありませんでした。

 ここまで考えてきて、私は本当に恥ずかしくなり、師父の法像を見ることができませんでした。師父はこの情けない弟子を見放されることなく、悟らせてくださり、私は心から感謝いたします。私は必ず私心を取り除き、常人のすべての執着を取り除き、自分の先史の使命を果たします。今後、大法弟子の慈悲心をもって人々を救います。

 真相メールを受け取った人から、翌日、「詳しい話を聞かせてください」と返信がありました。以前なら、私はただ一通のメールを送って済ませるところでしたが、今回は勇気を出して(師父にご加持をお願いして)その人に電話をかけました。私は緊張して支離滅裂でしたが、その人は仮名で小先隊から脱退しました。「どこで法輪功を学べますか」と尋ね、私はネット封鎖を突破するソフトを使って、インターネットから大法の関連書籍、ビデオをダウンロードする方法を教えてあげました。その人は私が電話で直接脱退させた始めての人でした。私は自信を得て、同時に衆生が救いを待っていることが分かりました。

 先日、私は『転法輪』を第九講まで書き写しました。法を書き写す過程は内に向かって探す過程であり、執着心を取り除く過程でもあります。

 以上は私が『転法輪』を書き写す過程での悟りと収穫です。私は天目から何も見えませんが、法を書き写している時、法輪が頭のてっぺんや腕の上で回っているのを感じ、師父が何回も灌頂してくださっているのも感じました。

 16年の修煉の過程を振り返ってみると、無知で業力に満ちた私が、慈悲なる師父とお会いして修煉を始め、魔難の中を揺ぎない心で乗り越えてくることができました。師父は常に私のそばで私を加護し、私を引っ張って前へ進ませてくださいます。法を正す時期の大法弟子はこの上なく幸運です。私は修煉を始めた頃の初心をもって精進し、さらに精進します。

 次元が限られており、不足の部分は、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします

 (注:私が『転法輪』を書き写す時、まず一段落を暗記してから、書き写します。どのページも、行数と一行の文字数を本と同数にしています。これで一つ一つの文字が心に入るようになり、書き写し間違ってもすぐに発見できます)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/10/25/264438.html)
 
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