内に向けて探すことへの悟り
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012年11月19日】問題に出遭った時、師父は私たち大法弟子に内に向けて探すように要求されました。問題に出遭った時はまず自分を探すべきだということはみな分かっています。これは私たち大法弟子として必ず成し遂げなければならないことです。

 ある時期、私と同修は一つのことに対する考えに意見の違いがありました。彼が自分の考えに固執している時、私は彼のやり方が妥当ではないので、違うやり方に変えるべきだと話しました。彼は私のアドバイスに耳を貸さず、刺激的な言葉を返しました。一回二回と交流する中で、私はますますこの同修は自分だけが正しいと思っており、自分を実証する心が強いと思いました。あるとき、他の同修もこのようにこの同修のことを話しているのを聞いたので、自分の考えは正しいと思い込みました。ある日私はついに我慢できず、過激な言葉で彼のすべての問題点を指摘しました。するとこの同修は挑発するような口調で「私はわざわざそのようにしました」と話しました。

 彼の話を聞いて私はぼーっとしました。彼はこのような人なのだと、ずっとこの同修に偏見があり、心から同修に対する偏見を取り除くことができませんでした。私は自分のよくない考えを抑えながら学法をしました。師父は『米国首都法会での説法』でこのように説かれました。「最も良い方法は、問題に出遭ったら、前へ前へと突っ込んではならず、追い詰めて解決を求めてはならず、心を放下し、一歩下がって問題を解決すべきです」「実はあなたはその心をずっと放下できず、突っ張っていて、どうしても誰が是か、誰が非かを究明したいと思い、自分に間違いがあっても、相手の間違いを探し出そうとしています。それでは、問題を解決することができません」

 以後、絶えず学法をする中で、私は自分自身を実証しようとする執着心があること、党文化の命令式の口調で話していることに気づきました。同修に漏れがあるのを見ると、善の心で手伝ってあげるのではなく、ほかの同修に訴えるなどの多くの執着心が見つかりました。絶えず自分を探すことによって、同修のそのような表現は真の彼自身ではないことに気づきました。私たちは師父に従って衆生を救うために世に降りた大法徒であり、そのようなよくない観念は、旧勢力が私たちに強いたのではありませんか。私は師父に与えられた能力で私たちを隔離する邪悪な要素を取り除きました。これを認識してから、私はもう同修に対するよくない考えがなくなりました。自分の正念で同修の正念を加持し、同修が早く間違った状態から抜け出られるように手伝いました。繰り返して内に向けて探してから、その同修と再び会った時、同修は積極的に私と交流し、素直に自分の修煉の中の不足を話しました。そのとき、私は本当に内に向けて探すことの美しさを体験して感動しました。

 生々世々の輪廻の中で、一人ひとりの同修の状態は異なり、執着心の大きさも異なりますが、私たちはともに師父が法を正すことを手伝っています。私たちは互いに大事にしないわけにはいきません。同修の状態が法の上にないとき、私たちは同修に対して親族のように接して、善意を持って注意を促してあげなければなりません。また同修を見下してはなりません。このようにすると旧勢力は私たちに隔たりを作ることができません。さもなければ、私たちがどのように多く法を実証したとしても、神聖な状態にならず、威徳はなおさらありません。

 数年前、学法は形式に留まり、夫と子供も修煉のためこの世に来たことを意識せず、彼らが大法を認めるならそれだけでいいと思いました。このような思想の下で夫と子供はずっと大法の本を見ていませんでした。師父は『大ニューヨーク地区法会での説法』で「人間の一念から善悪が現れ、善悪は人間の一念によるものだと言われていました」と説かれました。私は正念で夫と子供に対していませんでした。ある時、夫は私に「それで大法弟子ですか」と言いました。最初、私はこれがただの嫌味だと思いました。しかし彼が繰り返して話すので、夫でさえ私を大法弟子と認めないなら自分に問題があるのではないかと探しました。考えてみると、三つのことをよく行っておらず、夫が私に話すとき、私はいつも言い返し、彼に言わせませんでした。あるときは根本的に夫の間違いなのですが、彼は遠まわしに私の問題だと言うので、私はいつも弁解して、闘争心が強かったのです。

 絶えず内に向けて探し、私は素直に夫に「ごめんなさい、今日は私が法の上で自分を要求しませんでした」とか「私は我慢をしないで、つい強く言いすぎました」とか話しました。完全に自分を放下したとき、私たちは法の上で交流できるようになりました。人がこの世に来ることは容易なことではなく、この万古に会いがたい大法が公に世に伝わるとき、身近な人が宇宙大法の『転法輪』さえ学ばないなら、何と残念なことでしょう。私の変化に従って、夫や子供も次第に変わり、現在彼らも毎日時間を作って学法しています。

 以上は私が内に向けて探した体験です。私たちが内に向けて探すとき、私たちは巨大な全体を形成することができます。私たちが内に向けて探すとき、修煉の道の妨害は少なくなります。同修たちよ、私たちは師父の教えをしっかり心に刻みましょう。多く学法し内に向けて探し、師が法を正すことを手伝う道で精進しましょう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/13/265424.html)
 
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